自分が思いもしない影響を、あなたは相手に与えているかも
連投132日目。今日は日曜日なので、休日モードですが、いってみましょう。
つい1時間ほど前に、本棚の移動という少しやっかいな作業をして一段落したところです。
本棚の移動って、本を抜き出して、また戻してという作業になりますが、我が家の本棚にはアルバムも入れてあったり、ちょっとした小物類も置いてあったりするので、いちいち止まってしまいますよね。そこが少しやっかいなところ(笑)
そんな中でも、いろいろと気づくことはあったのですが、ずっと手をつけずに「片づけなきゃな〜」とそのままにしていたものがありました。
それは、「手紙」です。
年賀状や、近況報告のお手紙、御礼のお手紙など、いろんなお手紙がありましたが、なかなか捨てられずにいました。
たくさん頂いているのに、お手紙を返した記憶がない。というより、筆無精なので、お返事をおそらく返していない。(あ、この手紙、大半は携帯電話やスマホが普及する以前のものです)
学生時代のサークル活動で、たまたま一緒のグループになって過ごした先輩・後輩からの手紙とかは、こちらが光栄に思えるほどのありがたい御礼の言葉をいただいていました。
どれもこれも、わたしへの「思い」を届けてくれているものなのに、お返事を返していないのが申し訳なくなりました。
ただ、片付けを続けていると、別の見方もわいてきました。
手紙を受け取る前に、わたしがその人に対して、何かしらの形で貢献をしていたから、御礼の手紙を受け取っているんじゃないかーと。
・あの時、誘われたことがきっかけになって…
・話してくれたことが、いまでも心に残っていて…
・いつもしんどい時に、さり気なく声をかけてもらって救われていました…
まったく、自分としてはそこまで考えていたわけじゃないけれど、その人の心に深く残る会話になっていたり、人生の転機になるような時間を過ごしていたりしていたわけです。
「ぺさんはいつも周りに気を配り、声をかけていましたね」と言われている場面は、本当になんのこともない日常会話なんだと思います。ただ、その何気ない瞬間が、相手にとっては緊張がほぐれたり、不安な気持ちが軽くなったりするきっかけになっていたのだとしたら、わたしとしても嬉しいことです。
わたしとしては、真剣さとユーモアさの両方を兼ね備えた空間で、仲間と過ごしたいわけです。だから、「緊張して自分の世界に閉じこもっている人はいないかな?」「居心地が悪い人はいないかな?」「元気のない人はいないかな?」「困りごとは起きていないかな?」と、確かに全体に意識を張り巡らせている時がありました。
それが、わたしが仲間に向けている思いであり、貢献として役立っていたから、お手紙を受け取ったんだなぁと思えるようになりました。
そう考えると、御礼を伝えられた時に、「いえいえ、たいしたことはしてませんから〜」とものすごく謙遜する人がいますが、それって相手が感じている感謝を打ち消す行為でもあるし、何より自分の「意識しない影響」を見ないようにする行為だと言い換えることもできそうです。
いい影響の場合はいいけど、悪い影響の場合は、ちょっとマズい。
謙遜が美学のような文化が日本にはありますが、謙遜している自分を発見したら、ちょっと観察してみるのもいいかもしれません。
そして、御礼は承認として受け取り、そう御礼を言ってもらえるような時間をパートナーとしてご一緒できたことを、自分でも承認するようにしましょう。