「意見を言うかどうか」が、相手の反応しだいになっていないか?
noteマガジン「パートナーシップを磨く」は、(職場や学校や家庭で)安心で安全に話し合える関係と環境を創り出したい人が、その土台となるパートナーシップについて探究できるフィールドです。研修やセッションで扱っているエッセンスを届けています。
連投130日目。
130日続けてくると、切り口を変えながらも、似たようなことを述べているような気がしてきます。でも、そいういこと、裏を返せば、本質的に重要なポイントだと言うこともできます。
相手のリアクションが薄くて、響いているのかどうかがわからないし、賛成なのか反対なのかもわからない。
相手のリアクションが否定的で、険しい表情で話を聞き続けられたり、口を開けば否定的な意見が述べられる。
こういう体験をすると、相手のことを「コミュニケーションがしにくい相手」と感じてしまうようになり、ついつい会話の頻度が下がったり、会話をするとしても用件だけで済ませたり、ややもするとまったく会話しなくなったり…そういうわけにもいかなくて、どうしてもしっかりと会話しなきゃいけない時には、口調が強くなってしまったり声が大きくなってしまってトラブルになってしまったり…ということ、ありますよね。
わたしも少なからず体験してきました。
特に、会話の頻度が下がると、ますます話しかけづらくなり、余計にやりづらい相手だなと感じる強度が増す感じがして、ますます会話の頻度が下がる…という悪循環にはまったこともありました。
でも、これって、言い換えれば、「相手しだいのコミュニケーション」だって言えますよね。
話しかけにくさはこちら側にあることなのに、話しかけにくいのは相手が悪いかのように感じたり。
会話の頻度が下がるのはこちらが話さないからなのに、相手が話しかけてくるなというオーラを出しているように感じたり。
一つ伝えるのに、勢いがないと言えなくて、強い口調になったり早口になったりしているのは、こちら側の感覚なのに、相手が聞く耳を持たないからだと感じてみたり。
あの人はきっと◯◯と思っているに違いない。
どうせこんなこと言ったって、あの人は◯◯と言って怒りだすわよ。
(余談ですが…「きっと」「たぶん」「どうせ」と言っているうちはかわいいもんです。知らぬ間に「絶対」となり、まるでそれが真実のその人の姿であるかのように捉えるようになったら、かなりやっかいです)
相手の反応が期待通りであるかどうか。期待通りでないことは残念ではありますが、その反応を避けるために、そもそもコミュニケーションを起こさないというのは本末転棟です。
意見は、表明しなければ、相手が知る由がない。
知る由もない意見に、相手が自動的にたどり着いて、あなたと同じ意見になることを期待するのは、働きもせずに宝くじが当たるのをあてにしているようなものです。
まずは自分の意見を表明すること。
仮にバッサリ切られようが、意味ないと腐されようが、それは間違っていると反対意見を述べられようが、あなたが自分の意見を表明しなければ、波風も立たないけれど、あなたのことは相手には何も伝わりません。
下手をすると、あなたの表情が不平不満がありそうな顔に見えて、周りからはあなたが問題であるかのように見られる可能性もあります。
「”自分”を言う」
相手の反応がどうであれ、言う。表明する。明らかにする。
それにすぐに期待通りのリアクションが得られなかったとしても、すぐに響いているという手応えを感じられなくても、数日後にピンと来ることもあるし、2年後に「そういえば、あの時もあの人に言われた!」と思い出して、深くその人に刻まれることだってある。
でも、あなたが「”自分”を言う」ことをしなければ、なんにも起きません。悪い事態も起きないし、嬉しい変化も起きません。
まずは相手しだいにならずに、「”自分”を言う」ことに取り組み始めみましょう。
これも練習♪ 練習♪