「みんなそんなもんよ」に騙されたら死ぬぞ。


私は怒ってる。

妊娠したとき

異様に体がしんどかった。
しんどい、しんどいと散々まわりに言って、得た返事はたいてい
「みんなそんなもんよ。」

そうかあ~そんなもんかあ~って耐えてたら、重症悪阻で入院した。

退院してもおなかが張って張って痛くて、長時間座っていられなかった。
まわりの妊娠経験者にその話をしたら
「みんなそんなもんよ。」って言われた。

そんなもんかあ~。わたしは打たれ弱いからなあ~と思っていたら
10分おきに前駆陣痛のような痛みが確認されて切迫早産で入院した。

子どもが生まれたあと

子どもが全然寝なくて、寝ても抱っこで。一時間置きの授乳で、
子どもを人に預けようにも母乳過多で吸ってもらえないと痛みで眠れなくて
痛いつらい眠れないと漏らしたら
「みんなそんなもんよ。」って言われた。

三か月過ぎたら楽になるのかと思ったけど全然そんなことなくて
五か月すぎたころに限界がきて、助産師さんに
「この子は自閉症じゃないんですか」「もう限界です」と漏らした。

「視線は合うから、自閉ではなさそう。」
「添い乳を教えてあげる。お母さんもっと、力を抜いて」と言われた。
周囲を頼ろうにも、生後4か月をすぎたころから猛烈なパパ拒否。
人見知りの場所見知り。
そして相変わらずの母乳過多。預けたところでその時間眠れるはずもなく、
起きて痛みで泣きながら乳絞るだけになるのは目に見えてる。
解決策もなく、繰り返される激しい夫婦喧嘩。

夫はもう忘れているだろうが
「ほかの母親はみんなできているのに」と言われた言葉は、その後ずっとずっと、自分のなかの抜けないトゲとして残っている。

1歳、2歳・・・

少しずつ眠れるようになり、お話も上手になり・・・
でもなんだかほかの子と違う気がする。

「発達障害じゃないんでしょうか」と何度も尋ねた。

「うーん、目も合うし、発達も早いし・・・この年ごろの男の子はみんなそんなもんじゃない?」

発達障害DE☆SHI☆TA!!!!!!

しんどい、しんどい、しんどい。
それまでずっと育児困難感を訴え続け、メンタルケアを受けてきたワタクシ。ずっと「人と同じことが、自分にはできない」と悩み続けてきた。

みんなは子どもを落ち着けて保育園に送り迎えできるのに、私は出来ない。
みんなの子は落ち着いて小児科受診できるのに、うちの子は少しもじっとできない。なんで、なんで、なんで・・・・

発達障害やんけ!!!!!!(2回目)

いやでも まて。
わたしは子どもに発達障害があってはじめて「わたしのしんどさ」がオフィシャルに認められたと思ってる?なにそれ?

わたしだって、特性がある。 みんなできて当たり前のことができなくて、悩み続けて生きた三十幾年。 子どもが「みんなと同じように」できないのは「わたしのせい」だと思ってた。でも「わたしのせい」ではなかった。子どもの脳のはたらきに大きな原因があった。なーんだ!わたしのせいじゃなかったんだ! ってことに安心したの??それとも「ほら!発達障害だった!普通の子よりしんどかったでしょ!だから言ったでしょ!」って錦の御旗をブンブン振り回して、今までの自分のしんどさを承認してあげたいんだろうか。 (いや実際「グレー」と言われていたころは「母の育児困難感」に焦点があたっていた医療的ケアが、診断を機にガッ!と「こどもの問題」に変わっていった。次々療育の予定が入り、「子どもをサポートする」体制を急ぎ組みなおしている印象だけれども。それを書き出すと本題からズレるので・・・)

で?そもそも

みんなって誰やねん


普通の子、ってだれさ。
腹立つなあ、おい。
みんなって誰や。

「みんな」じゃねんだよ。「わたし」がツライ、って言ってんの!
それをちゃんと受け止めてほしかったのに。
「みんなそんなもんよ〜」ってフワッとまとめて綺麗に終わろうとすんな!

いや、ちがう。問題の所在はわたしにある。
わたしは、いい加減学ぶべきだ。

「みんなそんなもん」に騙されるな。死ぬぞ。


現に私は妊娠で二回、産後数回入院した。
「そっかぁ~、みんな耐えてるのかあ~。」じゃない。

みんな耐えててもお前は耐えるな。絶対に。

そんなところで変な協調性発揮しなくていい。
しんどいんだ。わたしは。
わたしの声を、わたしが聞かないで、どうする。

よく聞け、お前は、「人と同じことが同じようにできない。」
それでいいんだ。

だから、もし今後
「みんなそんなもん」って言われてもお前は!耐えるな!!!
わかったか!!!!!みらいのわたし!!!!!

そして息子にも、同じことを求めるな


お前の子は、きっとこれからもひとと同じことが、同じようにできない。
それでいいんだ。子どもに「みんなと同じ」を求めるな。

いつも口先では子どもに言ってるだろう。
「人を傷つけたり、自分が傷ついたりしなければ。何をしてもいい」って。
ウソをまことにしろ。できる限りで、かまわないから。

今後、
わたしにも、子にも、私たちの悩みに対して
「みんなそんなもんよ」って私たちの口を塞ごうとするやつがいたら
心のなかでそいつをぶっ飛ばせ

わたしたちは、わたしたちの苦しみに目を向けて、癒していけばいい。
余裕があれば、「でも、わたしはシンドイの」と反論していい。

「みんなそんなもんよ」は取扱注意のことば。


人生はみんな苦しい。
みんな平等に苦しむ権利が与えられている。

勘違いするな。

人生を苦しむことは権利であって、義務じゃない。


「みんなそんなもんよ」に、人を癒す効能があることも知ってる。
学びを与えることもある。

でも、「そっか!じゃあ自分も耐えよう!」

この方向に行くな!耐えるな!!!!それは用法を間違えている!!
その方向に、「みんなそんなもんよ」は効かねんだ!
少なくとも、わたしには!
だから、ひとに言うときも気を付けようとおもう。

でもなあ、みんな。みんなしんどい。
そういうとき、なんていって励ませばいいんだ。

答えがでない。
最近わたしがよく使うことば
「家庭のかず、ひとの数だけ、地獄がある。」

親が死ぬ、自分や家族に病気や障害がある、仕事がうまくいかない。
どれも平凡な悩み。だけどその人の中を一歩覗き込めば、きっとみんな地獄の荒波の真っただ中。

共有できるところは共有し、傷を認め合い、慰め合い、
明日もだましだまし、生きましょう。

ともかくも、わたし。よくぞ、よくぞ

きょうこの日まで、わが子を生かしきりました。


恥も外聞もなく叫び散らかした
「わたしはしんどい!!!!!!!!!!」のおかげで
子どもの特性を早く発見することができました。
たくさんの戦友を得ることができました。
よく戦いました。よく生きました。えらかったね。

きっと、この文を読む人は
同じように3歳を迎えた子をお持ちの方が多いでしょう。
診断が出た方も、これからの方も、なんの問題もなく3歳をむかえた方も

3歳のお誕生日、おめでとう。

よくここまで生かしきりましたね。
はじめての妊娠、出産、育児、イヤイヤ期・・・
ここまで一緒に戦ってくれたみなさん。本当にありがとう。
みなさんのおかげでわたしは
「みんなそんなもん」だと思いながら、子育てを乗り越えてこられました。

それは決して「お前も我慢しろ」と、ひとの口を塞ぐ文脈ではなく、
「あー!!!しんどい!!!!!!」「無理ー!!!!!!!!!」
と、堂々と叫ばせてもらえる「みんなそんなもん」でした。

旧Twitterでフォローフォロワー関係になってくれた皆々様。
同じ時期に生まれた愛しい子どもたち。
3歳になり、もうずいぶん個性が出てきて、
各々抱える大変さも多種多様になってきました。

それでもまだ今しばらく、「みんなそんなもん」
と思って、一緒に育児していていいですか。

この記事が参加している募集