【大掃除】部屋のものが減っていくにつれて、空虚な気持ちになっていく
2019-12-29
今年の後半は
「物質主義からの脱却」に焦点を置いた一年だった。
こう銘打って始めたわけではなかったけど、知らない間にそういう思考が身についてしまった。
お金の問題から根本的に離脱するには、生活コストを下げることが最善であると気づいたから。
これは、前々から感じてることではあったけど、いかんせん、この物質主義ってのは、世の中の価値観として根強く張り巡らされており、なかなか心の奥底までこの執着というか、洗脳というか、価値観…?を取り除くことは難しかったのだと思う。
それがようやくハズレたようで
どんどんモノを捨て始めた。
思い出もクソもない。
死んだらどうせすべてゴミクズ。
心の中にしまっておけば良い。
そんな風に思う。
これは、少し寂しい感覚でもあるけど、清々しさも感じる。
しかし、先程、大きなラックを片付けた時に、妙に空虚な気分になった。
みっちり詰まった参考書を必要なもの不要なものに分類して、少しだけ残った本。
不要であると判断され、メルカリ、ブックオフ行きの並べられた、今まで読んですらなかったボンデジの糞重いカラー参考書籍達。
漫画家をはじめて10年。
色々背負ってきたものが、抜け落ちていく。
背負いすぎていたものから開放されていく。
良くも悪くも。
こんなにも多くのモノをもって、安心感をモノに押し付けていたのだなと感じる。
まだまだ、捨てられるものはあるけど
すべて背負ったものを捨てた時
「あぁ。ようやくいつでも死ねる状態になったんだな」
と思うんだろうと思うと
少しゾッとする。
これが身辺整理ってやつなんだと。
今年の後半、物質主義からの脱却とともに、ここ数ヶ月は「死の哲学」についても沢山学んだ。
そして人はいつか必ず死ぬことと、そしてそれが自然なことであり受け入れるしかないものであることを理解しつつある。
白隠和尚のように「人間死ぬ時は死ぬのがよい」なんて割り切るに至るところまではいってないが。
モノへ押し付けていた安心感が、自分に戻ってきて、
この安心感ってやつは
自分が自分という一人の人間として、「いつでも終わることができる」という感覚と同じなのかもしれないななんてよくわからないことを感じる。
「いつでも死ねる」
と自分が自分に許せることが、究極的には心の平穏なんじゃなかろうかとか、不気味なことを思いながら
出版社から頂戴してきた、スケベめな本を縛っている自分がいる。
生きるということも死ぬということも表裏一体で、それを複雑化して息苦しくしていたのは自分なのだと、そんなことを思う年末。
こんな年末は二度と勘弁していただきたいが。
2020年の目標は…?なんて動画がYou Tubeに流れ始めた昨今
もう何もないよ。と心の奥でぼんやりつぶやくのも悪くないのかもしれない。
もう目の前にあるものだけで、僕は満足して生きていける。
ただ、のんべんだらりと規則正しく、ぐーたらしながら、淡々と生きるのだ。代わり映えのしない人生を。