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臼井自然療法の歴史

これから書くことは、臼井甕男先生を紹介しているウィキペディアでも詳しく書かれていない部分です。
これまで、靈氣の歴史は師から弟子へと口伝されてきたものでした。
私の師は、その口伝されてきたものを文字におこして私に手渡してくれました。なので、ザックリご紹介していきます。

臼井甕男先生は、1800年代の末頃、同志社大学の学長をしていました。同志社大学はキリスト教の大学であり、臼井先生はキリスト教の牧師をしていました。
日曜礼拝をしていたある日、学生の一人が臼井先生に質問しました。
「あなたは、聖書の中身を文字通りそのまま信じているのですか」と。
臼井先生は、信じていると答えました。
すると、学生は重ねて尋ねました。
「では、イエスが病人を癒し、水の上を歩いたと書かれていますが、あなたはそれを文字通り信じているのですか。あなたはそのようなことを実際に目にしたことがあるのですか」と。
臼井先生は、書かれていることは信じるが、病人が癒されたり、水の上を歩いたりする人は見たことがないということを認めました。
すると、その学生は言いました。
「あなたはこれまでの人生を生きてきて安泰なのですから、そのような妄信でも用が足りるのでしょう。でも、私たちのような大人になりたてで、たくさんの疑問や心配事がある者にとって、そんな妄信は役に立ちません。私たちはじかに目撃することが必要なのです」

その言葉によって、臼井先生は同志社大学を退きアメリカに渡りました。
イエスとその使徒たちが病人を癒やした秘密を知るために。
しかし、シカゴ大学で経典を研究し、博士号を得るまでになりましたが、臼井先生が求めたものはどこにも見当たらなかったのです。そして、仏教に目を向けてみた時、仏陀には治癒能力があったことに気づいたのです。

早速日本に戻った臼井先生は、心身の治療に知識ある人を求めてたくさんの仏教の僧院を訪れるようになりましたが、どこに行っても精神を癒やすことに専念するものであり、肉体を癒やすことに気を回す暇はないと言われるばかり。
ようやく、身体の治療に少なからず興味を持っている禅寺の住職に出会ました。
そして、その寺院に通い、治療の鍵となるものを探し出すために仏典の研究を始めたのです。
和訳の仏典には何も見つからず、漢文を学んで広範囲の仏典も読むようになりましたが、彼が望むような答えは見つかりませんでした。
臼井先生はそれでも諦めきれず、古代のサンスクリット語を学び、未翻訳の仏典を読み進めていくと仏陀口伝の中にその方法やシンボル、仏陀が行った治療について書かれていたのです。

ここまで来るのに7年かかりました。が、方法はわかってもそれは単なる知識であり、彼自身は治癒能力を身につけたわけではなかったのです。
そこで、旧友の住職と話し合った結果、治癒能力を身につけるために山にこもって瞑想することにしました。
住職は、それは危険を伴うことで、命を落とすことになるかもしれないと言いましたが、臼井先生はここまで来たらもう引き返すことはできないと、山にこもったのです。

ザックリと言いつつ、かなり詳しく書いてしまいましたが、山にこもった後の話ははウィキペディアにも書かれているので参考にしてみてください。

臼井先生が見出した 靈氣療法。今は靈氣ヒーリングと言っていますが、その伝授は一度では終わりません。
ファーストディグリー、セカンドディグリー、サードディグリーの3段階あります。
ファーストディグリーは、自己ヒーリングを中心にエネルギーの使い方を伝授されます。
セカンドとサードではシンボルを伝授され、シンボルの使い方や他者を癒やす方法が伝授されます。
その後はティーチャーズディグリーがあり、他者に伝授する方法を教わります。

私はティーチャーズディグリーまで伝授してもらいましたが、ここまで10年近くかかりました。

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