自転車カゴのゴミ理論
みなさんは自分の自転車のカゴに、ゴミが捨てられていたことはありますか?
または誰かの自転車のカゴに、ゴミを捨てたことはありますか?
私にはどちらも経験があります。どちらにしてみても、あまり良い気持ちはしないものです。
では、自転車のカゴに捨てられていたゴミを、自宅へ持ち帰って、分別して捨てたことはありますか?
その人はもしかしたら、ちょっぴり良い人生を送るのかも知れません。
今回は私のちょっとした経験にちなんだ、ストレスについてのお話です。
自転車カゴのゴミ
ある日、駅の駐輪場に停めていた私の自転車のカゴの中に、誰かのゴミが捨てられていました。
そこにあった紙袋には、ハンバーガーの包み紙や、食べ残しのポテトのカス、飲み残しのジュースが入っていました。
腹立たしさに、思わず舌打ちをしました。
そのゴミを、そのまま隣の自転車のカゴに捨てるか、その辺の道端にでも捨ててやろうかとも思いましたが、ふと「家に持って帰って捨てたらどうなるんだろう?」と思い立ち、ゴミを捨てずに家に持ち帰ってみることにしました。
自宅に帰ると、きちんとゴミを分別してからゴミ袋へ捨てました。
それから数日間、特に何ごともなく日常を過ごしました。
「どうなるんだろう?」とゴミを持って帰ってはみたものの、当たり前の事ですが何かが起こるようなことはありませんでした。
しかし私は気がつきました。
何も起こらないことが起きたのだと。
もしも私が隣の自転車にゴミを捨てたり、道端に放り投げでもしていたら、どうなっていたでしょうか。
自分の自転車のカゴに入れられたゴミを見た別の人が、舌打ちをして隣の人のカゴに捨てる、次の人がまた隣の人のカゴに捨てる、そしてある人はそれを道端に捨てる。
誰かが分別して捨てない限り、そのゴミが無くなることはありません。そしてゴミは時間の経過とともに悪臭を放つこともあります。場合によってはカラスやネズミがたかり、虫が湧くことだってあるでしょう。
いずれにしても、気持ちのいいものは見られないはずです。
じゃあ自分のゴミじゃなくったって、自分のカゴに入っていたんなら、持って帰って捨てればいいじゃん。
そう思った時に、「あ、これってなんかストレスと似てるな」と感じました。
僕たちはストレスをどうするか
ストレスといえば?という問いかけに
「溜まるもの。発散するもの。」
と答える人はいますが
「家に持って帰って、きちんと分別してから捨てるもの。」
と答える人は、まあいないでしょう。
しかし溜める容れ物には限界がありますし、発散は溜まったものを散らかす行為にも繋がります。
それはあたかも自転車のカゴに捨てられたゴミのようです。
これは自分のゴミでは無いと、被害者然として騒ぎ立てて周囲の注目を集め、隣の人のカゴや道端に捨てる。
愚痴はゴミをお裾分けする行為であり、八つ当たりは関係ない人のカゴにゴミを入れる行為です。それでゴミが消えて無くなるわけでもないのに、不衛生極まりありません。
そんな無駄なことはせずに、家に持って帰ればいいのです。それはとても手間な作業だし、理不尽にも思いますが、きちんと処理さえすれば、時間になったらゴミ収集車が回収してくれるのです。
もちろん分別出来なければ業者に突き返されてしまいますし、自宅がゴミ屋敷になるリスクもあります。
今後はストレスの見方を少し変えて、ストレス発散法ではなく、ストレス分別法を学ぶといいのかも知れません。