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物語の書き換えをする作業
こんにちは。
今日も勉強したことのなかからまとめていきます。
今日のまとめ:不妊は生殖の物語の書き換えが必要になる
「生殖の物語」ってどういうことでしょう。
私は勉強をするまで、この言葉を聴いたこともなかったです。
ほとんどの人は、自分は自然に妊娠できる事は当たり前で、
生殖について物語を持っていること自体に気が付いていません。
生殖の物語とは、いつか自分が子供を産んで家族を作っていくことの物語のことで、多くの人は幼いころから当たり前に持っています。
どこかで、自分の親をモデルにして、大人になったらこうなるんだということを学んでいるんですね。
例えば、自分が2人姉妹の人は、子供は2人と思っているとか。
夫婦二人に子供は3人で一軒家に親子で住んでいて、おばあちゃんたちが時々遊びに来て…とか、こんな具体的なイメージを持っている人もいるでしょうね。
子供は必要ないよ、という生殖の物語を持っている人もいますよね。
生殖の物語存在に気が付くのは、不妊かも…と気が付いたとき。
気が付くのは、その物語を「実現できないかもしれない」と思ったときです。
だから、多くの不妊を経験をしていない人に関しては、その物語があることも気が付きません。
子供を産んで家族を作っていくことがあたりまえにできることだと思っています。
子供は産んだけれど、姉妹の予定が一人になったとか、そいう意味での書き換えは経験はしていくのでしょうが。
まさか、子供なしの人生になるなんて!
ここまで大きく、今まで持っていた物語から外れていくとは思ってもみませんでした。
子供を持たないまで極端ではなくても、すぐに子供は授からず治療をしている間は、物語が揺るがされます。
「あたりまえ」ができない自分に、治療を重ねるごとに物語から外れてしまうのではと不安に思うのです。
治療をして子供が授かったとしても、自分の生殖の物語からはずれてしまった事、「あたりまえじゃなかった」ことが心の傷となってしまうこともあります。
以前”子供をあきらめると決めても心は揺らぐ”と書きました。
きっとこの物語の書き換え作業の途中だから揺らぐということなんでしょうね。
自分の思い描いていた通りにならないことなんて、今までうん十年生きてきて、たくさんあるはず。
まちがえたー、やってしまったー!やられた―!というときには、
そのつど、(しかたない)とか(まあなんとかなるか)と思ってやり過ごしてきたはずです。
生殖の物語というのは自分のなかで、かなり大きな存在としてあることだとは知らなかったのです。
私が不妊なことで揺らいだ生殖の物語は、自分の物語だけではありません。
親もまた、親の生殖の物語を持っています。
いつか孫を連れて温泉で背中を流してもらうことが夢と語っていた私の父親は、その夢をかなえることができませんでした。
これもまた、親の世代の生殖の物語の書き換えが必要になるのです。
でもね、ここからは私の個人的な考えになりますが、
親の生殖の物語まで、自分が引き受けてつらい思いをする必要なんてないんですよ。
生殖の物語は、親の影響はうけてはいるけど、物語の持ち主は個人個人。
血が途絶えるとか、墓はどうするんだとか、
なんですか、武士ですか?
わたし、墓守用の人材ですか?
そんな役割背負うなんて、全く時代錯誤です。
先祖って、もう死んでるんですよ。生きてないんですよ。
あったこともない過去の人まで背負わされるなんて、今の時代は必要ないですよね?
今に生きる人として、何が大事かって、
これからも自分の人生が続いていくってことが大事なんだと思います。
生殖の物語を上手に書き換えて、自分の子供に向ける予定だったエネルギーを、
今生きている、自分や、自分の周りの人に向けていきたいと思っています。