サイレントマジョリティ【100日プロジェクト36日目】
今週は、いろいろなものを制作した。オットのリクエストで、人気ゲームSubnautica(今すごく人気のあるゲーム)のキャラクター、peeperを描いたり、青海波をアレンジした絵を描いたり、草間彌生にインスパイアされた模様画も描いたし、古いカレンダーを使って封筒を作ったりもした。
でも誰からも反応はない。
というのは言い過ぎで、何人からかはありがたいコメントを頂いた。
それに、褒められるために制作しているわけではないので、それは気にならない。
それでもクリエイティブな生き方というのはえてして孤独なものだ。
同時に、何も言わないで私のすることや制作したものをみている人達もいる。
数週間前とあるイベントで、知り合いだけどそこまで親しくない年配の女性から、いきなり、「あなた絵描くんでしょ。あれ、私が描いたの」と壁にかかっている作品を指さして言われた。
数日前には、これもそこまで親しくない人から、とある絵を私が描いた物なのか、と聞かれた。作者を探しているそうなのだが、面白いことに絵の隅に書かれている作者の名字は、私のもののようにみえる。
英語でPut yourself out thereという表現がある。日本語での訳がなかなか難しいが、私がいつも書いているブレネー・ブラウンの言葉を使うと、「アリーナに出ていく」と同義になる。要するに、自分を、または自分が作った作品を世に出す、という意味。
クリエイティブな人生のススメというブログで以紹介したエリザベス・ギルバートの「Big Magic」でも、クリエイターは、作品ができたらそれを世に出して、その後のことは全く気にしてはいけないことになっている。世間が自分の作品にどんな反応をするかは、私の知ったことではないのだ。
SNS上で普段全く反応のない人から、実際会った時に、作品についてコメントされると、なんだか気持ち悪い。
このソーシャルメディア時代、みんな何も考えずにスクロールして適当に「いいね」ボタンを押しているのだろう。本人からすると、いいねを押す=見た、というシグナルなのかもしれない。
この、何も反応しない人達というのは日本人に多い気がする。いわゆるサイレントマジョリティというやつ。他の人にコメントを見られるのが嫌なのか、それとも各投稿にコメントする時間もないほど忙しいのか。かといって、見ていないわけではない。これまでの経験から、実際に会った時に「こないだ○○に行ってたでしょう」とか「○○さんに会ったのね」などと言われて、「見てたんですか!」とびっくりすることはざらにある。
こういった、見るだけで反応しない人達を、英語ではLurkerという。Lurkとは見つからないよう潜伏する、といったような意味だ。反応しないので、そこに居るのかどうか分からない。
自分では、できるだけそうしないようにしている。ただの写真投稿などなら気軽に「いいね」ボタンをクリックするだけだが、感情を動かされた場合(哀しい・嬉しい・怒りなど)はできるだけコメントするようにしている。コメントすることで、相手を受け止めているという意思表示になればと思っている。クリエイターとして、作品なり投稿なりを世に出したあとの反応は私の知ったことではないが、それでも反応してくれる人がいると嬉しいというのは人の性というものだろう。
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