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思い出を履く
今年の5月9日は、母の日。
記念にお送りするのは、母と娘を繋ぐ 靴の話。
母と私を繋ぐアイテムとして真っ先に思い浮かんだのは、黒い靴。
一見 何の変哲もない靴だけれど、実は私の前にふたり、この靴を履いた人がいる。
私の母と、その幼なじみの友人。
今よりも女性が少し生きにくかった時代を、必死に生きた若いふたり。
それは私の母が、若くで亡くなった幼なじみの形見として譲り受けた、大切な靴。
1番目の持ち主は、私の母の幼なじみだった。
彼女はもともと耳に重い障害を抱えていたそう。
それでも普通学級に通い、母と同じ生活を送り、大手IT企業でお仕事もしたと言う。
現在よりもずっと、障害者には厳しい時代だったと思う。
そんな中で きっと人の何十倍もの努力を重ねたのであろう彼女は、28歳という若さで心臓発作で急死してしまった。
亡くなってしまった誰かの人生を 他人が容易に語ることなんて、決してできないけれど。そんな彼女が、その靴の最初の持ち主だった。
彼女のお母様から形見として譲り受けたのが、私の母。2番目の持ち主。
キャリアウーマンだった母自身もとても大切にその靴を履いてきて、そして3番目として数十年越しに私が譲り受け、履かせてもらうこととなって。
2年前、教育実習の3週間、通勤靴として活躍してくれた。
私の元にたどり着く前に、ふたりの女性が履いた靴。
だからやっぱり、思い入れがあって、重みがあって。
履くと自然と背筋が伸びた。
教育実習中にある友人が、その靴を素敵だと言ってくれたことがあった。
服装を褒められることは普段から嬉しいことだけれど、その時はいつもとはちょっと違う、不思議な あったかい感覚がして。それはその靴が私にとって他とは違う、特別な存在である証拠だ。
だってこの靴には、思いが詰まってる。
確かに、ただ私が履いているその瞬間、見た目には何も分からないけれど。だけどやっぱり、その靴はふたりの女性の人生に寄り添ってきて、きっとそれぞれを記憶しているはずなのだ。
だから 靴を褒められた時、キャリアウーマンだった母の若い頃と、その友人の人生そのものを肯定されたような気がして。それが何よりも嬉しくて、誇らしかった。
ふたりがこの靴を履いていた頃、社会は今よりも 女性や障害者に対する風当たりが厳しかった。そんな時代を必死に生き抜いた、ふたりの若い女性の苦労は計り知れない。
今を生きる私には想像することしかできないけれど、その瞬間の思いを、ふたりに寄り添ったこの靴は知っている。
だからこそ、この靴を履くと「ちゃんと生きなきゃ、頑張ろう」って 私を前向きにしてくれるのかもな。
そうやって、この靴は思いを繋いでくれる。
繋がった思いは世代を越えて、私を勇気付ける。
その靴を履く時、 私の背中を押してくれるのは、私よりも先に 私と同じように若い時代を過ごしたふたりの記憶。
-Rina
Rinaと靴の写真は、instagram @peepinstyle でご覧いただけます。