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人 -Uchida

耳が理解したことは肌がもうその前に理解している。

でも口が何を喋り出すのか分からないから、人と話すのは面白い。

雰囲気というものは自分で作ることができないくせに、1番に人に伝わる。

それを感じとるのは耳でも頭でもなく肌だ。


このトーン、このタイミング、このテンポ。

空気の吸い方、目の動き方、足の踏み出し方。

このようなことが雰囲気の構成要素だろうか。

何か特徴的な癖は一つくらい人それぞれあるのだろうけれど、初めて会ったときにはその一つの癖はまだ分からない。

それでも肌でその人の持つ雰囲気は捉えている。


しかし、それだけではどんなことが人に喋る程のことだと着眼して日々生きているのかは分からない。

まず喋り出す一言目を聞いて耳が反応し、

次にそのことについてのこちらの返しの後の返事で耳が理解し、

そのまま続いていくセッションの繰り返しで頭と心が理解していく。

同じ場所で同じ用件で複数の人と一定期間に会い話し合う

そういったシチュエーションは今までそんなになかった。

場所が同じ、用件が同じだからこそ、それぞれの話出しは何なのだろうと好奇心で満タンになっている自分がいる。

用件は二の次でとにかくその人への興味が募る。

その人にはどんな棚があって、どういう風な物の取り出し方をして、どんな風に私に見せてくれたり聞いてくれたりするのか。

肌で感じていたアレは果たしてそのままなのか、確かめたくなる。

方向転換はどのタイミング?どこでウインカー出す人なの?とかそんな感じで一緒にドライブするみたいな感覚。

ずっとずっと話して、私とその人が話しているのを見ている自分も出てきて、その自分がその場の指揮をとっていく。

結局は本題の用件にもその興味は大事、もしかすると一番大事な本題なのかもしれない。


こういうことが楽しくて、人と話して物を作る。

人はそれほど安易にわかるものでもない。

人に興味を持つのもまた安易ではない。

ただ、不特定多数ではない、目の前の人には、自分のいろんな器官や感覚がはたらくようだ。

まだまだこのことには深さも高さも幅も広さもありそうだから、体感して知っていこうと思う。





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