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エチオピアの戦争—ティグライ戦争とは?何が起きたのか?何が原因なのか?現地を取材して分かったこと(2024/08)

はじめに

2024年 8/13-8/24、エチオピアに行った。
渡航目的は、2020-2022年に起きたティグライ戦争への理解を深めること。
そのためこの記事では、以下のような疑問に答えることにフォーカスする。

  • ティグライ戦争とは?

  • この戦争で何が起きた?

  • どうすればこうした戦争の再発を防げるのか?

記事の内容は、主に私が現地で聞いた情報をもとに作成している。
私が訪れたのは、首都のアディスアベバ、オロミア州のAdama(アダマ)、ティグライ州のMekelle(メケレ)である。

  • 私のプロフィール

    • 名前 : 板倉弘明、年齢 : 23、東京住み

    • 大学:明治大学政治学科で、ゼミでは平和学を学んでいる。

    • 経験:日本のNGOであるAccept InternationalInterbandでインターン経験

    • 将来的に紛争解決に貢献すべく、キャリアや活動を模索中

    • Facebook(フォロー待ってます!)

1. 戦争の経緯

2020-2022年、エチオピアのティグライ州で、政府とティグライ州との間で戦争が起き、30万〜150万人が亡くなった。
(死者数は、語る人やデータによって開きがある。150万人と主張するティグライ人もいる)
まず、戦争の全体像を説明する。

戦争前の対立

TPLF(=Tigray People’s Liberation Front.)は、1991年から約30年間エチオピアの政治をリードしていたティグライ州発の政党である。

2018年にはTPLF主導の政府に対する反対運動が起き、新しい首相を選出することになり、オロモ人とアムハラ人のハーフであるアビィが首相になった。 エチオピア政治に詳しい日本大使館の方によると、アビィを首相に選出することに対してTPLFは反対したようで、この時点で政府とTPLFの間には対立があったようである。

2020年、政府はコロナウイルスの蔓延を理由に、国政選挙を延期した。 しかしTPLFはそれに反対する。
あるティグライ人は、その選挙延期は憲法違反だと言う。

  • 「エチオピアでは5年おきに選挙を実施することが憲法で決まっている。それに、周辺国で、コロナウイルスを理由に選挙の延期をするような国は無かった」

そこでTPLFは、自らの州内で選挙を始めてしまう。これを受け、政府はティグライ州に対して政府資金の送付をストップする。

First wave(第一波)

戦争が始まる前、TPLFは、自分たちの州内に駐留していた政府軍に対し武装解除 (武器などの攻撃手段を放棄させること)を始めた。

理由は、現地のあるティグライ人によると、戦争が始まる前から、政府がティグライ州周辺に軍隊を展開し始めていたからだ。

ティグライ州の中にも政府軍がいたので、TPLFは、政府軍によって挟み撃ちにされると考え、そうなる前に、州内部の政府軍の武装解除を行ったのだ。
(※政府軍とは別に、各州は独自の軍隊を持っている。TPLFが武装解除を行ったのは、政府軍の方だ)

政府は、その行為は政府の許可なく行われたものであり違法であるとして、武装解除が終わる前に、ティグライの人々への攻撃を開始する(2020年11月)。

戦争が始まってすぐに、民間人も攻撃の対象になる。
あるティグライ人は、「魚を取るために海の水を枯らす。それが彼らのやり方だ」と、政府の攻撃を非難する。これは、政府が、政党であるTPLFを非難しながらも民間人まで攻撃していることを指している。

政府の攻撃は、複数の勢力と協調したものである。 そこには、エリトリア軍、ソマリア軍、そしてアムハラ州のfano(ファノ)といったエチオピアの他地域の武装勢力も含まれる。

あるティグライ人は、自分たちはたった1万5000人で、60万人の政府側勢力と戦ったのだと言う。

この戦いの中で、TPLFは政府側の勢力に敗れ、地方に逃げることになった。 その後TPLFは戦力を再構築し、TDF(=Tigray Defence Force. ティグライ防衛軍)の結成をリードする。
TDFのほとんどは民間人で構成されている。 TPLFが1.5万人の勢力であったのに対し、TDFは、自立的に志願した多くの民間人で構成され、その数は20万に上る。

あるティグライ人は、TDFを以下のように説明する。

  • 「自分たちの家族を守るために集まった、18歳〜40歳の若者や女の集まりだ。様々な人が含まれていて、医者や大学教授なども参加した」

ティグライの人々は8ヶ月戦い、一度は政府側の勢力を州から追い出すことに成功する。

あるティグライの人は、「これはミラクルだ。私たちは国ですらなくて、州が、国軍を追い出したんだからね」と述べる。
この戦いはfirst wave(第一波)と呼ばれる。

The siege (完全封鎖)

TPLFが政府側勢力を追い出した後、政府はティグライ全体を封鎖した。
ここでの封鎖は、人々が外部のほぼ全てのものにアクセスできないことを指す。
食べ物、燃料、電気、インターネット、銀行に預けたお金などである。

この状態が2年近く続く。
人々は飢餓状態に直面した。医薬品や適切な治療を病院で受けられない人は死に、女性の栄養不足は、奇形児が産まれることや流産の頻発に繋がった。

Second wave(第二波)

封鎖は約2年続いたが、「その間に政府は戦力を回復させて、再度攻撃を仕掛けてきた」。

  • 「(TDFは)敵を見つけても撃たない。近づいてから撃つんだ。弾が足りないからね」

この戦いは「第二波」と呼ばれている。
第二波は、第一波よりも激しかったという。

戦争の終結

第二波が始まってから数か月後、TPLFは降伏し、政府と和平協定を結んだ。
「ティグライ人は封鎖で完全に弱体化していた」こともあり、第二波はすぐに幕を閉じた。

2. 被災者の経験

この章では、主にティグライ人の話に焦点を当てる。

Mr. J(21歳)

彼はMekelleの町で私の活動をサポートしてくれた一人だ。彼は車の整備を学んでいる高校生だ。

第一波が始まったとき、彼はエリトリア国境に近いアリテナ周辺に住んでいた。 ティグライ兵の友人から、彼の住む場所が危険になるという話を聞き、戦争が起きることを認識した。

その後、ティグライの田舎の地域に移り、祖母の家で約2年過ごす。
第二波が始まる前に、彼は食糧不足のために故郷に戻った。
しかし、彼の家が砲撃を受け、父親と妹が負傷し、2人の隣人が亡くなってしまう。2022年8月15日のことだ。

彼は、家々が至る所で倒れ、通りには死体が横たわっているのを目にした。負傷した家族を病院に連れて行ったが、病院は血にまみれた人で溢れていて恐怖を感じた。

彼は軍用車を使って、故郷より南に位置するティグライの中心都市Mekelleに逃げた。
現在、彼は親戚と一緒にそこに住んでいるが、他の家族はティグライ州北部に残っている。彼の親戚の家には、家族全員を支える余裕がないからだ。

IDP (=Internal displaced peopleの略。国内避難民) キャンプ



Mr. D (28歳)

彼はIDPキャンプでインタビューした人の一人だ。
Q: 戦争によってどのような影響を受けましたか?

  • 「私はエリトリア国境付近にある車関連の店で働いていたんですけど、家族とともに町を離れなければならなくなって、仕事を辞めることになった」

Q: なぜ町を離れる決断をしたんですか?

  • 「治安が悪化していたから。エリトリア軍が侵入し、戦争による誘拐が今でも続いている。私も戦争が起きた時、エリトリア兵に誘拐された。彼らはTPLFのメンバーを探していて、誘拐した一人ひとりにTPLFメンバーかどうかを尋ねてたよ」

Mr. Z (26歳)

彼もIDPキャンプでインタビューをした人の一人だ。
Q: 戦争によってどのような影響を受けましたか?

  • 「私はエリトリア国境近くで食料品店を営んでいたが、戦争が始まって町を離れることを余儀なくされた」

Q: 家族もここに来ているんですか?

  • 「他の家族全員、両親や兄弟姉妹も、エリトリア軍の砲撃で亡くなった。」 (彼が他の人よりも特に憂鬱そうに見え、常に手で頭を抱えていた理由が少し理解できた気がした)

  • 「私はそれを丘の上から見ていた。私の食料品店もその攻撃で壊れた。その後、10日間歩いてここにたどり着いた」

Mr. Y (34歳)

彼はティグライ地方で私に宿泊場所を提供してくれた人物で、インタビューの声は以下の動画で聞くことができる。
※設定で英語字幕をオンにできる。いいねとコメント宜しくお願いします!

3. 戦争の原因

この悲劇を引き起こしたものは何か? この戦争には、国内的、国際的な側面がある。

国内要因 1(国内の政治対立)

この戦争は、少数の人々の意志(特に政治家)によって引き起こされたものであるように思える。 (※政治家と話すことは出来なかったため、断定的な主張はしない)
一つの証拠は、国内避難民(IDP)の人々からである。 彼らに「なぜ政府とTPLFが戦ったと思うか?」と尋ねたところ、彼らは次のように答えた。

  • 「彼らは政治的なポジションを争っていると思う」

彼らは、自分たちの地域の政治家でさえ、自分たちのために戦っているとは考えていない。

  • 「彼ら(双方)は私たちのことを全く気にしていない。ただ政治的な問題ばかりを話し合っていて、再建への努力については何も話さない。食べ物は不足していて、4年間も家に戻れていない。 この4年間、政府関係者は一人としてここに来ていない」

ただ、「政治的なポジションを争う」という表現は曖昧なので、具体的な意味は推測するしかない。

(私が想像するに、政府の側から見れば、現政権に反抗するTPLFを弱体化させるため、できるだけ多くのメンバーを逮捕しようとしていたのかもしれない。 一方で、TPLFは現政権と戦い勝利し再度権力を握り、例えば、TPLFから新しい首相を任命することを目指していたのかもしれない)

少なくとも、ティグライ人にとって、政府がティグライ地域を攻撃する計画を立てていたことは明らかであった。
上記でも書いたが、あるティグライ人はこう言っている。

  • 「戦争が始まる前から、政府はティグライ地域の周辺に軍を配置し始めていた」

さらに、他のティグライ人はこう述べる。

  • 「コロナウイルスが拡散する中で、政府はティグライ地域へのワクチンや予防措置の配布を妨害していた。この戦争は政府が画策したものだ」

正確な数字は分からないが、兵士として戦ったティグライ人には民間人も大勢いる。 彼らは民族的対立感情や、政治的な地位のために戦ったわけではない。
例えば、TDFに兵士として入隊すれば、最低限パンが与えられた。食糧不足の中、パンのために戦った人もいるという。

さらに、次のような意見も聞いた。

  • 「人々は、仲間が死ぬのを見たり聞く中で、状況を変えるため、自分たちを守るために戦った」

  • 「オレの友人にTDFの女性がいる。彼女は殺された父親の死体を発見したのをきっかけに兵士になった。そういうことがあって、何もしないではいられないだろ?」

国内要因 2(反ティグライのプロパガンダ)

ティグライ人の意見

エチオピアの、ある大学の教授は、政府がティグライ人を攻撃した動機の一つとして、エチオピアを中央集権化し、ティグライからその文化や富、その他全てを奪い取ることを挙げている。

彼によれば、この紛争は、ティグライ地域が独自のアイデンティティを維持しようとすることと、エチオピアを均一化し支配を強化しようとする政府との対立である。この種の対立は100年以上続いていると彼は言う。

さらに彼は、数十年前から、様々な場所で反ティグライのプロパガンダが行われていることを指摘している。
例えば、メディアはティグライ人をヘビのように描写することで、エチオピア人に対するティグライ人の印象を悪くしてきた。

もちろん、戦争中も政府によるプロパガンダが行われた。
プロパガンダの一例として、例えば「もしエチオピアの人口の5%(ティグライ人)がいなくなれば、残りの95%が平和に暮らせる」というものがある。
ティグライではインターネットが遮断されていたため、外部の人々は政府の情報を信じ、ためらうことなく政府を支持したのだという。

一方、エリート層は政府の作戦が特定の民族集団を意図的に殺害するジェノサイドであることを知りながら支持していたという。

一例として、アディスアベバ大学から政府への60,000,000ブルの援助が挙げられる。その他の有名大学も政府を支持していた。
彼らは支援に何らかの利益を見出していたのだ、と彼は言う。

非ティグライ人の意見

プロパガンダに関して、アディスアベバに住む男性(彼をMr.Sと呼ぶ)から、TPLF政権下(1991年-2018年)でティグライ人が優遇されていたという意見を聞いた。

エチオピアは2010年から2019年にかけて年平均9.4%の経済成長を遂げた。

しかし、彼によれば、国全体が均等に発展したわけではなく、一部のグループ、特にティグライ人がその成長の恩恵を不均衡に享受していたとのことだ。
政権のトップがティグライ人であったためである。
ちなみに、同じような話を、たまたまアディスアベバで乗ったタクシー運転手からも聞いた。

エチオピア全土で活動するNGOの関係者によれば、メケレ(ティグライ州の州都)はエチオピアで2番目に発展指数が高い都市であり、教育の普及や人口に対する医療施設が多いのだという。

  • 「南部エチオピアの発展指数は非常に低くて、実際にその地域を訪れると、その差は目に見えて分かるんです」

一部のティグライ人は、メレス・ゼナウィ首相(1991-2012年)の時代は平和であったと主張しているが、エリトリアとの戦争(1998-2000年)もその時期に発生しているのは事実である。

Mr.Sは1997年、エリトリアとの紛争が原因で、エリトリアに強制移住させられたという。
エリトリアとの紛争は領土争いの側面があり、当時の政府は、争点となっている地域に7万人のエチオピア人を移住させることで、エチオピア人が住んでいる既成事実を作り上げようとした。

彼の家族もその中に含まれていた。

  • 「エリトリア政府が国境を封鎖したため、私はエチオピアに戻れなくなった。2回脱出を試みたが、国境で捕まり、投獄された」

  • 「1回目は2年間、2回目は4年の刑を受け、2年半で釈放された。3回目の脱出でようやくエチオピアに戻ることができた。それが2016年のことだ。」

  • 「国境を越える際、5発の銃弾を撃たれた。弾丸が頭の上を飛んでく音を今でも覚えてる」

彼によれば、エリトリア戦争に徴兵されたのは主にエチオピアの中流層や低所得層であり、多くのティグライ人は徴兵を免れたという。

もし多くの人々がこのような不平等さを感じていた場合、政府の反ティグライ-プロパガンダを受け入れる一因になっているだろう。

国際要因

ティグライ人によれば、約10か国が政府側にのみ武器を供給していた。

覚えている限りだと、挙げられた国々には、アメリカ、中国、ロシア、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、イラン、UAE、ウクライナが含まれていた。
これらの国々の目的はそれぞれ異なる。

例えば、先ほどの教授は次のように分析している。

  • アメリカ:武器を販売することで利益を得たい。

  • 中国:ティグライにある金や綿などの天然資源へのアクセスを得たい。

  • サウジアラビアなどのイスラム教国:アフリカの角に位置する国の中でもキリスト教が支配的である数少ない国、エチオピアを、イスラム化したい。

天然資源に関しては、ティグライ人の一人が、Humela(フメラ)とShire(シレ)(※どちらもティグライ北部の都市)の間に金鉱があると語っている。

  • 「金鉱労働者たちは、違法に金を他国に売ることで、政府の職員より多くの金を得ている。政府は今この問題を解決しようとしている」

  • 「アリババグループ(中国最大級の企業の一つ)もこれに関与している」

  • 「警察が不足していて、シレ周辺では夜になると危険で、私も首を絞められたことがある」

エチオピアのムスリムの一人は、サウジアラビアが武器を供給する理由について別の意見を述べた。

  • 「サウジアラビアがエチオピアに武器を供給する理由は、地域における影響力を高め、経済的および安全保障上の利益を確保し、アフリカにおいてキーとなる国であるエチオピアとの外交関係を強化したいからだ。この支援は、エチオピアのイスラム化というより、アフリカの角地域での影響力を強化し、紅海などの重要な貿易ルートの安定を確保する戦略の一環だよ」

4. 戦争後に残る影響

この章はこの記事の主な部分ではないが、戦争についての理解を深めるために記している。

直接的な影響

戦争の影響は、和平条約が締結された後も残っているようだ。

  • 戦場で人を多く殺す体験をした結果、精神的に病み、PTSDを発症してしまった彼氏と別れざるを得なくなった女性がいると聞いた。

  • メケレに6日間滞在した間に一度、片足を失い、松葉杖で歩く若者を見た。

  • 上記2章のインタビューに登場したMr.Yは、戦争中に職を失い、現在も職を探している。

  • アディスアベバで約200メートル歩くと、物乞いに5回ほど声をかけられる。彼らの多くは高齢者や子供であり、ティグライ地域でも同様の状況である。 (ただ、エチオピアは1人辺りGDPが非常に低いため、戦争前からこうだった可能性は高い)

極度のインフレ

戦後のインフレは深刻だ。

  • 戦前に11,000,000ブルだったある家は、戦争の期間を含め6年で80,000,000ブルに値上がりしたという。

  • Mr.Yの場合、彼が借りていた家の家賃が上昇したため、現在の新しい場所に引っ越さざるを得なくなった。私が訪れる数日前のことだ。

  • 戦前に5ブルで買えたコーヒーは、今では20ビル以上するのが一般的である。

人材の流出

知識層の流出も問題だ。以下は聞いた話である。

  • あるエチオピアの医師は、給与が800ドルから400ドルに半減したため、ケニアに移住した。ケニアにいけば彼の給与が4倍になるからである。

  • あるビジネスマンは、最近、オロモ人以外が所有するビジネスが政府当局による謎の調査のため一時的に閉鎖されたと述べた。彼は調査が終了するのを待たなければならなかった。

    さらに、彼は1,600,000ブルの賄賂を要求されたため、エチオピアでビジネスをする気を削がれ、現在はケニアでビジネスを行っている。
    また、彼の子供を含め、家族はアメリカで暮らしている。

実際、エチオピアで出会ったほぼすべての人々が、他国で働き生活したいと考えており、彼らの親戚の一部はすでに他国に移住している。

(例えば、アプリで知り合ってエチオピアに行く前に色々と助けれてくれた女性、ティグライを案内してくれた2人のガイド、ティグライで私を家に迎えてくれた男性とその友達、そしてアディスアベバで私を泊めてくれた家族など)

出会った人々は、アメリカ、カナダ、スイス、フランスなどの国々を移住先として挙げていた。

その理由の一つは低賃金である。
以下はエチオピアの人々から聞いた給与の例である。

  • 高校教師である28歳の人物は、月額11,400ビル(2024年9月の為替レートで約100ドル)を受け取っている。

  • 23歳のエンジニア(機械学習などを使った医療サポートシステムの構築に関与)は、月額60ドルを受け取っている(2024年8月の為替レート)。

エチオピアではスマートフォンが約200ドルするようであり、日常生活に必要な金額に比して、彼らの給与がいかに低いかが分かる。

低い賃金は、戦争によるインフレ・国内の仕事不足から少なからず影響を受けており、戦争を防ぐことの重要性を示しているだろう。

5. 持続的な平和に向けて

エチオピアでは今も武力衝突が起きている。今後、再びティグライ戦争のような大規模な戦争が起こる可能性は十分にあるだろう。

持続的な平和のために、何ができるだろうか?

上記で行った紛争原因の分析では、以下4つを紛争激化の要因として挙げた。
この章ではそれぞれに対する対処を考える。

  1. 政治レベルでの対立・権力争い

  2. 民間レベルでの対立感情・偏見と、そこから発生する、戦争への金銭的・軍事的なサポート

  3. 武器輸出(武器の輸出収益を目的としたもの)

  4. 武器輸出(ビジネス的な影響力保持を目的としたもの)

解決策1:影響力のある人々とつながりを築きつつ、平和を議論する機会を作る

政治レベルの紛争に対する解決策として、直接的なものを提示することは難しい。

しかし、影響力のある人々や政治家とのつながりを徐々に築く努力は可能だ。 大臣、裁判官、大学教授、起業家、様々な分野の専門家などとの関係を築くこともできる。

政治に関与する人々が、日常的な意見交換を通じ幅広い意見や平和的な考え方に触れることで、国の政策レベルで変化が生まれる可能性があると考える。

解決策2:平和教育により、戦争に対抗する土壌を育てる

市民レベルでの敵意や偏見に対処するためには、特に学生を対象とした、平和教育を提供することを提案する。

平和教育とは、例えば、日本の原爆体験を次世代に伝える活動を指す。
これには、犠牲者の言葉を残し、どのくらいの人が命を落としたのか、戦時下でどのようなことに苦しんだかを具体的にすることなどを含む。
学生は、その教訓を学ぶ機会を得ることになる。

ティグライの人が経験したことを、ティグライ州以外の人も知ることで、そもそも戦争自体に抵抗を感じる人を増やすことが出来る。
そうすれば、政府が戦争を始めようとした際に、強い抵抗運動が起きるようになるのではないか。

また、メディアを通したプロパガンダは今回の紛争を悪化させた要因と考えられるが、その教訓を伝えることで、今後はメディアの情報を批判的に捉えることが出来るようになるだろう。

学校の授業の1コマを借りて講義する、Webサイトで情報をまとめて発信するなどは今からでも始めることが出来るだろう。私も挑戦してみるつもりだ。

解決策3:武器輸出規制のための強力な国際法作りと、執行の徹底

武器輸出に対する解決策は、紛争の激化に寄与する武器の輸出を禁止する強力な国際法を作りつつ、法の遵守を確保するシステムを確立することが挙げられる。

すでにATT(=武器貿易条約)と呼ばれる国際条約が存在し、違法な武器取引を禁止している。

しかし、196か国のうち115か国がこの条約に署名している一方で、主要な武器輸出国であるアメリカなどはその中に含まれていない。
また、ティグライ戦争中の武器輸出が防がれなかったことを考えると、改善の余地は大きい。

さらに、ティグライ人の経験から判断する限り、ティグライで起こったことはジェノサイド(集団虐殺)であり、これは国際法であるジェノサイド条約で禁止されている。

例えば、政府はすべてのティグライ人を封鎖の対象にしたが、特定の民族集団を肉体および精神的に厳しい状態に置く行為はジェノサイドとして定義されている。

  • ジェノサイド条約での定義

    1. (English)*Any of the following acts committed with intent to destroy, in whole or in part, a national, ethnical, racial or religious group, as such: (a) Killing members of the group; (b) Causing serious bodily or mental harm to members of the group; (c) Deliberately inflicting on the group conditions of life calculated to bring about its physical destruction in whole or in part; (d) Imposing measures intended to prevent births within the group; (e) Forcibly transferring children of the group to another group.

    2. (日本語)以下のいずれかの行為が、特定の国民的、民族的、種族的、宗教的集団を全体または一部を破壊する意図を持って行われた場合、ジェノサイド(集団虐殺)と定義される:(a)集団のメンバーを殺害する行為;(b)集団のメンバーに深刻な身体的または精神的な損害を与える行為;(c)集団の生活条件を故意に破壊し、その全体または一部を物理的に破壊する意図を持つ行為;(d)集団内での出生を防ぐ措置を課す行為;(e)集団の子供を他の集団に強制的に移送する行為。*

ティグライ戦争中にエチオピア政府に武器を輸出したアメリカや中国などの国々は、この条約の署名国である。
ジェノサイド条約に加盟している国がジェノサイドに加担したという事実は、法的に議論されるべきだ。

国際法を違反した者が責任を追及され、かつ被害者が適切に補償されるようにするのは当然ではないか。なぜこれが実現していないのか?

これについては、エチオピアでのインタビューだけでは理解することができなかった。

結論として、解決策3に関して次に私ができることは以下などだ。

  1. 武器取引の意思決定プロセスがどのように行われたのかを理解する。 (武器輸出国は、政府のプロパガンダに騙されて武器を輸出したのか?それとも純粋に武器輸出による利益を得たかったのか?)

  2. ジェノサイドに寄与する非人道的な武器取引を輸出前に監視・防止するシステムの構築に貢献する。 そのためには、このようなシステムの構築に関与する人々と繋がりつつ、関連する国際法についてさらに学ぶ必要がある。

  3. 武器取引によって引き起こされた虐殺による損害に対する責任を追及し、補償を確保するシステムの構築に貢献する。

6. 復興に向けて

もちろん、復興のための行動を取ることも重要である。
IDPキャンプにいる人々は、次の2つが必要だと述べた。

  1. 十分な量の食料

  2. 故郷に戻り、以前の生活を再開すること

彼らは月に12キログラムの食料しか提供されず、1日1食で4年間生活している。 また、かつて住んでいた地域は依然として安全ではないと考えており、戻ることが出来ていない。

私は、戦争で精神的に傷を負った人々をアートで癒すプロジェクトを始めたティグライの女性に出会った。
上記は、彼女が始めたアートギャラリーの写真だ。

彼女はいくつかの授業を抱え、120人の子供たちが参加している。

  • 「授業では、参加者がアートを通じて感情を表現し、解決策を見つけ、将来について考えることに焦点を当てています。私たちの活動は、ネガティブな感情をポジティブに変えることを目指しています」

  • 「例えば、ある7日間のセッションを通じて、私たちは子供たちが癒されていく様子を見ました」

  • 「セッションが終わって家に帰るように言うと、子供たちは帰りたくないと言い、もっとここにいたいと言うんです。 ここから彼らがここでの経験を心地よく感じていることが分かると思います…!」

ティグライ地域を訪れる機会があれば、ぜひ「Minya Art Space」に立ち寄って下さい。 活動はSNSでも見ることができます!

7. 最後に

連絡待ってます!

紛争解決に関わりたいと思っている方と繋がりたいので、ぜひFacebookのフォローお願いします。

特に平和教育関連の活動は少しずつ増やしていくと思うので、一緒に何かしたいという方はお声がけ下さい。
記事へのコメント・追加の情報もお待ちしています。

情報源

情報提供や、エチオピアでの生活を支えてくれた人全てに感謝です

全ての人について書かないが、多様な視点を得るため、年齢や職業を問わず多くの人から話を聞いた。

アディスアベバ、オロミア州、ティグライ州で、若者から年配の人々、ビジネスオーナーや若い医師、オフィスワーカー、大学教授、弁護士、IDPの人々、NGOメンバー、エチオピア政治問題を担当する日本大使館の方などと話をすることが叶った。

いいね、コメントお待ちしています!
ちなみにNotionでも同じ記事書いてます(実はそっちの方が見やすいです)

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