好き嫌いと感覚と情報
今ちょうど試験期間中なんですが、改めて勉強の楽しさを噛みしめています。(精神錯乱防止のため)
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少し、いやかなり昔の話をします。
おそらく幼稚園生ぐらいの時の話です。私は食べることが大好きで、苦手な食べ物は何一つありませんでした。
ある時、周りの友達はみんな苦手なものがあると知りました。テレビでは「子供が苦手なものを食べさせる方法!」みたいな番組もやってました。
お察しの通り、ピーマンやらニンジンやらの事です。可愛そうですよね、ピーマン君。あんなに美味しいのに。
とまあ、そんな情報を耳にした後、私にある変化が起こりました。
ピーマンが食べれなくなってしまったのです。
何が起こったのかさっぱりわかりませんでした。今まで食べていたものが、突然美味しくなくなくなる。味に違和感を感じる。ピーマン君には申し訳ありませんが、もどしてしまいました。
おそらく情報の獲得により、「皆が美味しくないと思ってるものを美味しいと感じている自分は病気じゃないか?」とでも思ったのでしょう。
この時から私はピーマンが苦手になりました。
恥ずかしながら、今でも進んで食べようとはしません。
逆のパターンもあります。
今から少し前ですが、パクチーブームが起こりました。何かとパクチーやれパクチー。アホかと思いましたけどね。
この時ふと、なぜパクチーはこんなに人気があるのか、を調べてみました。
すると!!なんだこのスーパーフードは!
栄養がすごい!ビタミン!美容効果!
なんならカドミウムの排出効果だってあるみたい?(真偽はわかりませんが)
もちろんその情報を得たあとのパクチーは最高でした。時々行ってた近所の刀削麺屋さんでは、今まで抜きにしてもらってたパクチーを大盛りで頼むようになりました。
たまに家でもごま油かけてパクチー食ってます。いやあ〜パクチー最高ですね。
とまあアホみたいな2つのエピソードがあったわけですが。どちらとも自分の感覚ではなく+αであるはずの外部要因(情報)が先行してしまっているんですよね。
勉強だってそうです。
前書きであたかも勉強がつまらないかのような書き方をしましたが、そんなこと微塵も思っていません。
知らなかったこと、新しいことを知る楽しさは計り知れません。
ただそこに「子供は勉強が苦手」だの「勉強は将来なんの役に立つの」だのいらない情報があることによって、あたかも勉強=つまらないものかのような構図が僕の中に生まれてしまっているのです。んでもって勉強に手が付きにくくなるわけです。
そんなくだらない情報、放っておけばいいじゃないかと思うかもしれません。でもその固定観念は小さい時から培ってきたもので、自分の意志では変えられない程大きくなってしまったのが現状です。
私達は自分の感覚によって物事を判別してるように感じます。その感覚は今までの経験の積み重ねですが、ある情報を機に変わってしまうことがあります。(→ピーマン/パクチー)
もしくは、情報により変われないことがあります。(→勉強)
情報の取捨選択をしろ、と言われても今の時代難しいですよね。
なら、「へえ、みんなはそうなんだ。私は違うけどね。」ぐらいのスタンスで生きるぐらいが丁度いいのではないでしょうか。
みんな分かってるとは思いますが。
以上、僕はピーマンが苦手でパクチーが好きだというだけのお話でした。