アユニ・Dがついに手にしたアーティストとしての自覚と、本当に「歌えること」。8年分の気づきを語った、『意地と光』オフィシャルインタビュー
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アユニ・DがPEDROとして作った最高傑作、それが『意地と光』です。断言していいと思います。素晴らしい作品です。
何が素晴らしいのか。アユニ・Dという人の、アユニ・D自身による、「アユニ・D論」が歌われているからだと、僕は思います。かつてアユニが歌詞を書いたBiSHの名曲のひとつに“本当本気”という曲があります。あの曲を、世の中に対する「陰」の力、ネガの力によるヤケクソの意地が逆上して生まれた名曲だとするのなら、今回の『意地と光』は、世の中における自分とは何か、今この混沌とした世界で、「何なら」自分は責任を持って歌えるのか、歌いたいのかという、アユニ自身が信じている仄かな光が綴られた傑作だと言えると思います。アユニは、人としての理想を持っているし、かっこつけもちゃんとするし、一方で、人気者として振る舞うことも扱われることも苦手だと思う、ある意味、自意識の過剰した部分も持っています。そういった様々な、自他間のズレを、アユニは何度も曲にしてきましたが、今回の『意地と光』は、理想の自分への宣言も、無慈悲な世界に吐かれる呪詛もなく、ただただ、「アユニ・Dが責任を持って歌えること」だけが歌われています。それは何か。端的に言うなら、「自分が大事にしたい人、そんな人たちへの、愛」です。だから、『意地と光』に辿り着いた今のアユニは、とても素直だと思います。というか、素直に自分の限界と現実を知り、そしてそれゆえのこれからの可能性と貫くべき価値観を見つけることができたのだと思います。
実は、僕は、BiSHが解散してからの約1年半、毎月インタビューをしてきました。アユニはずっと人生の深いところで迷っていましたし、実際、体調が優れない日も、そのインタビューの時間に限っても、やはり何度もありました。だからこそ、この作品を作れたこと、この作品に至ることができたというこの物語は、まごうことなく感動的なものである、と僕は思いました。今回のインタビューをさせてもらいたかったのはそういうことです。『意地と光』を聴くすべての方に、今のアユニがなぜどの思いで、「この世界を親みたいに抱きたい」と歌うことができたのか、その歩みを知ってもらいたい、そのうえで、『意地と光』を、そして新たな代表曲になるであろう“アンチ生活”を聴いてもらえたら、アユニにとって、何よりファンの皆さんにとっても、よりよいことなのではないかと思いました。ひとりのアーティストを追いかけていても、これだけ本質的な変化に立ち会える機会はそうないと思います。この曲と、この作品が、ぜひ多くの人に届きますように。
この1年半、16回に及ぶインタビューもまた遠くないうちに、どこかでまとめて発表したいと思っています。本にできたらいいなと思っています。アユニとも、浪漫惑星のスタッフともそう話しています。それはそれで少しだけお待ちいただければと思います。
Interview & Text by 小栁大輔(Interview inc.)
Photo by 外林健太
ー アユニさん、これはとってもいい作品ですよ。
アユニ:本当ですか?
ー 本当にそう思う。アユニ自身としては、7曲を作り終わってどう思っているの?
アユニ:今の現時点で、自分の生まれてからの情緒不安定だったり、不器用さだったり、そういうものは全部詰め込めた作品なのかなって。もうやれることはやり尽くせた気がします。
ー うん。だけど、きっとインタビューしたら、これまでの作品だって、やれることはやりましたとアユニは答えたと思うんだよね。これまでの作品とはまた違う実感があるんじゃない?
アユニ:そうですね。生きていく中で、新しいことを知れたり、昔好きだったものがやっぱり好きだなっていう再発見があったりっていう、今までにはなかった気づきも、精神的な部分としてあるんですけど。さらに大きいポイントとして、ライブでの立ち位置然り、BiSH解散からのPEDROでのツアー経験を経て、しっかり腹を括るという覚悟を、ようやくちゃんと自分で持てるようになったと思うんです。切腹感ではないですけど、そういった部分は今までの作品ではどこかためらってたなって今は感じていて。今回の作品はその気持ちをギュッと詰め込めましたね。それが大きかったかもしれないです。
ー 腹を決めたっていうのはどういう部分なの?
アユニ:自分は言葉とか言葉選びが好きで。でも対人関係とか自分対他の何かという関係においてはちょっとためらっちゃったり、逃げちゃったり、甘えちゃったりする部分があって。こんなに突き詰めて言わなくても伝わるよね?わかってくれるよね?みたいな甘えた考えがあったんですよね。でも言葉って、上手に羅列できなくても、伝えたいことを一生懸命伝えたいっていう情熱を乗せて発信していくべきだなということに、この作品を作っていく中で気づいて。それこそ昨日ゆーまおさんと(田渕)ひさ子さんと一緒に今回の作品のインタビューを受けさせてもらって、その時におふたりが、今回の作品に対して、「いつもの作品よりもアユニちゃんが言葉をしっかりと放っている」というお言葉をくださって。信じていたい信念みたいなものを忠実に言い切ることだったり、自分の中にある意地と光の気持ちを込めた言葉を、メロディーに乗せられたのかなと自分では思ってます。
ー ゆーまお君の言う通りで、言葉選びを一人称で強くやれているよねというところはその通りだよね。腹を決めたと話してくれた部分をもう少し聞かせてもらえるかな。これまでの言葉じゃダメだったの?
アユニ:これは良くも悪くもなんですけど、できないくせにできるようにしようとしていたみたいな部分があって。自分でも無意識だったんですけど、言葉巧みに自分の信念じゃない色んな思考を入れ込んだりして。「どうやったらたくさんの人に伝わるか、どうやったらこういう人に伝わるか」みたいなことを考えすぎながら書いてたなと自覚したタイミングがあって。迷いながら、正解に向けて言葉のパズルを組んでいたみたいな。ただそのときも、自分の中では新しい発見がたくさんあったし、そういった言葉選びも好きだったんですけど、今まで散々やらせてもらった結果、一周回ってやっぱり自分の口から自然と出る言葉とか、自分で作る造語であったり、受け取る側に私が伝えたいことが100%伝わらなくてもいいのかもしれないっていう風に考えられるようになりました。私はただこの世にある言葉を並べているだけだから、受け取ってくれる人がその人の暮らしの中で何か一つでもリンクする部分があればいいんだなと。 その結果少しでも人の助けとか、きらめきの一部分になれたらいいなっていう気持ちが芽生えたというか。120%伝わらないと嫌だという感覚がなくなったことで少し柔らかくなった。今回の作品は自然な言葉遣いとか、自然に自分で言葉を作ったりまとめたりすることができたのかもしれないです。
ー それは、すごく大事な変化だと思うんだよね。今の話がとても大事なことだからもう少し聞かせてほしいんだけど、これまでのアユニの言葉選びというのは、不特定多数の人に届けられるように、その人たちの中にある最大公約数を狙って書こうとしてたということなのかな?
アユニ:そうです。
ー そうすると必然的にひとつ一つの言葉の濃度が薄まっていかざるを得ないよね。すべからくみんなの口に合う味に整えなきゃいけないわけで、ジェネリックな言葉になっていくよね。ところが今回は、ひと言で言うなら、オリジナルなものになったと思うんだよね。それはアユニ自身が、そういう自分にならないとダメだと思ったのかな?
アユニ:思いました。
ー それはどういう経緯で、どういう変化があったの? アユニの中で。
アユニ:今小栁さんがおっしゃった最大公約数を狙うような書き方をするには修行が足りなすぎる。自分は何をカッコつけてたんだって。単純にそこです。背伸びして挑戦してみることも大事ですけど、それを経て今自分の出せる必殺技は何かっていうことをちゃんと考えてこれなかったなと思って。だからあらためて、いろんなやり方をここ一年試してみて、もう一度初心に返って自分を見つめ直して、やり方を変えてみよう。半径30cm以内の人を幸せにしたいと強く思うようになりました。特にライブハウスでは一番後ろの人にも絶対届くように表現したい。できるだけいろんな人に好かれたい気持ちもありますが、自分が一番届いてほしいと思っている人に向けて作った作品でもありました。
ー まさにそうだと思うんだよね。だから自分は今回の作品は凄くいいと思ったんだよ。今話してくれたけど、これまではどこか歌ノリのいい言葉、メロディへのノリのいい言葉、滑らかで心地のいい言葉というかね。そういう言葉を歌に乗せたい、メロディーに乗せたいという探し方をしていたと思うんだよね。今はその考え方がなくなったとは言わないけど、それありきじゃないよね。あくまで、言葉の意味ありき、メッセージありき。その基準で最終的な決断がされている感じがするんだけども。自分としてはどうですか?
アユニ:おっしゃる通りです。私は音楽以外の表現もしてみたいから、音楽では歌ノリのいい言葉を選ぼうと思っていて。でも紆余曲折していく中で、やっぱり私には音楽でしか自分を届ける術がないなって。もはやそれしかできないし、それをしたいんだなってことをあらためて強く感じたし、自分が裸で戦いに行ってもひさ子さんのギターとゆーまおさんのドラムという強い鎧を着させてもらえることも大きくて。今までは強くもない鎧を着て、勝手に強くなった気持ちでやっちゃって失敗していたので。もう自分は裸で行きます、おふたりやチームの力を借りようっていう感覚に変わりました。
ー 今の話は、自分の解釈としては、「これまでの作品とはガラッと作り方が変わりました」と言っているように聞こえるんだけど、自分としてはどう?
アユニ:意識的にはガラッと変えたつもりではあります。ただやっぱり変わらない部分は絶対的に存在していて。それこそ意地と光という自分の中の存在と、自分がどれだけ変わっても、このふたつが私の情熱に変化するということだけはずっと昔から変わらないなって思いますね。すいません、答えになってないんですけど。
ー いやわかるよ。すごくわかる。最大公約数と言ったけども、最大公約数的な言葉の選び方でも、喜んでくれる人はいたわけだよね。それでも、どこかでアユニはそれだけじゃ物足りないなのか、先が見えないなのか、手ごたえが少ないなのかわからないけれども、これじゃ足りないんだ!と思ったんだろうね。
アユニ:うあ、それはすごくあります。その時の自分の信念を120%作品に詰め込みたいっていうのは今までの作品でも変わらないんですけど、流動的な日々を過ごして、自分自身も少しずつ変化していく中で、やっぱりしっくりきてなかったのかもしれないなっていう違和感が確信に変わりました。でも、やってみなきゃわからなかったし、自由にやらせてもらえてきたことが糧になっていて。より一層良いものを作ろうっていう情熱に変わっていましたね。
ー アユニは現実に向き合わざるを得なかったんだよね。ふんわりとした結びつきでは、これから先、私は生きていけない。より実感の深い結びつきを目指していかないことには、自分は音楽を続けていけないんじゃないかという根本的な気づきがあったんじゃないのかなという感じがするんだけど。そこはどうですか?
アユニ:ありがとうございます。自分が言語化できない感情を言語化してくださって凄く助かります。まさにそうですね。その時の好奇心とか欲望が勝ってしまって、本来自分のやりたい形ではないやり方でやってみて出来上がった曲って、やっぱりバレてしまうんですよね。この曲、なんか降ってきたみたいな感覚の時とか、本当に伝えたい曲は衝動的に早く完成したりするんです。ただ、迷いがたくさんある曲って時間がかかってしまって。結局何が正解なのかもわからないけど、そのあやふやも正解なのかなって信じて出してみても聴いてくださる方にはバレる。自分が直感で信じてやってきた曲や言葉の方が誰かに響いてるっていう感覚も現実もある。妥協も時には必要なのかもしれないですけど、自分の性には合わないなと気づきましたね。表現に関しては外の世界を見ると上には上がいらっしゃるので、刺激を受けて落ち込むこともあって、自分はやっぱ表現者向いてないのかなと思うこともあって。でもそういった落ち込みと、自分への劣等感から生まれた曲がチームにもお客さんにも響いたって言ってもらえることがあって。それこそが、自分の信念としてやっていることなので救われる部分はありますね。深く深くものを作りたいって、より一層思った作品でした。
ー だいぶ突き詰めたし、だいぶしんどい作業だったとも思うんだけども。
アユニ:きっと今までの自分の歴史の中では物理的には大変な方に入ると思うんですけど、メンタル的にはーー満足してる感じに聞こえちゃうかもしれませんがーー、もう気持ち良くて気持ち良くて仕方ないです。“アンチ生活”が書けた時は、それこそ「これだった!」って思ったり、なんなんですかね。湿っていて、今にも消えそうな火がまた燃え盛ったというか、本当にそんな感覚でした。
ー それ面白い。もうちょっと具体的に聞きたいな。
アユニ:なぜ音楽を背負って、ライブしに日本中を旅してるのかとか、あらためて考える日々があって。あらためて、今、自分が大事にしたいものは何なのかなとか考えすぎてわからなくなったり、自分にとっては何が正義なんだろうってずっと考えていて。私はしゃべるのが下手だから、音楽で自分のことを表現してたんだって初心に返ったりと、それがきっかけで、「そうだ、そうだ。これだ、これだ」みたいな。好きなものが増えていくことも私にとってはすごく楽しいことなんですけど、自分はやっぱりマルチプレイヤーはできないなと。
ちょっと話が変わっちゃうかもしれないんですけど、自分にはこれしかないんだって思いながら、今まで生きてきたんですけど、自分の周りにいるクリエイティブ系の友人とか周りの人たちは、自分はこれがあるけどこれもできるみたいな人が多くて。歌があるけど、本も書けるとか。 メイクもできるけど、服をスタイリングするのが好きとか。絵も好きだけど、音楽もありますとか。そういう生き方がいいなって思ってた時期は、自分も「これしかないんだ」じゃなくて、「これだけいっぱいある」っていう気持ちでやれたら、もっと生きるのが楽になるのかもしれないなって思ってたんです。それでいろんなことに手を出してみたけど、結局そんな器用なことは自分はできなくて。ただひとつ、音楽に乗せて言葉を放って、楽器で自分の作り出したい音を出して表現するのが一番好きだし、私にはこれしかないってあらためて、今回思うようになって。他の人はいろんなことができるかもしれないけど、自分はこれしかないって思って生きてもいいのかもしれないという考えになってから作った作品が今回の作品だったので。 だからこそ、今の私が作ったひとつの曲が誰かに刺さったら、それは幸せなんですよね。
ー なるほどね。変なこと聞くけど、アユニって音楽に向いている人なの?
アユニ:向いてないと思います。 売れてないから(笑)。
ー いやいや、十分売れてるって。
アユニ:向いてる向いてないとか判断できるほど、まだ血の滲むような努力ができてないんですかね。なんていうか、向いてるか向いてないかを知るために今追求している感覚ですね。
ー そもそも自分は、音楽に向いてるのかどうか。その中でも、どういう音楽が向いてるのか向いてないのか。何を確かめるためにも、何かの方向に全振りしてみるしかないんだよね。不特定多数に向けた最大公約数を探す作業は、ある意味、宝くじみたいなものだよね。そうじゃなくて、何を歌えば、目の前のたったひとつの人が反応してくれるのかを試し続けるしかないんだよね。今回アユニは、そのゼロイチの作業がついにできたんだなあという感じがするんだよね。
アユニ:ありがとうございます。そう言われると、自分自身もそこを目指した感じはあります。今回の作品は好奇心任せではなく、届けたい人がいて、一生懸命向き合うって腹を括って作ったので、そう受け取ってもらえるっていうのはすごく光栄です。あとは、やっぱり音楽に向いていたい、そうずっと信じていたい気持ちがすごく強いから。綺麗事のようなことですけど、ライブをしている時が本当に生きがいを感じるんですよ。感情が揺れ動いたり、生きた心地がするのってライブをしているときが一番なので。 今あらためて自分の宝だって信じたい作品になりました。お前音楽向いてないって言われたら、きっとすごく腹が立ちます。私は向いているんだ、向いてたいんだって思ってます。
ー どういう自分になりたいのかということを、上手いことやってごまかさずに、アユニの人生を通して、追求するということができたんだよね。アユニの責任において。
アユニ:できたと信じたいです。ただ、この作品を世に放ってから、きっと自分はもっとできるとも信じてます。
ー うまいこと、素敵に書いてやろうって狙いがないのがいいよね。
アユニ:はい、ありがとうございます。うまいこと書けたらいいんですけどね(笑)。
ー 共感は、狙えない。結果的に共感されるもので、これで共感されるだろうと考えても、狙えないよね。狙えるポジションの人も中にはいるんだけど、残念ながら、今のアユニは狙い澄ませるポジションじゃないよね。
アユニ:そうですね。教えてくれる人がいっぱいいて。自分もそこに気づけて幸せです。
ー でも共感されると思う、この作品は。1億人が共感できるかどうかはわからない。でも、アユニが、さっき話してくれた、顔を思い浮かべた、届けたかった人たちには共感されると思う。それは、今までと比べて何が違うんだと思う?
アユニ:人が好きになったっていう部分が大きいかもしれないです。自分との違いを知るのが怖くて、今までは「知らず嫌い」とか「食わず嫌い」ばかりだったんですけど、人を知ることで自分の世界とは、違う世界を知って。もう怖がってばっかりじゃいられないなって気づいて、知らないことをいっぱい知ろうと思って過ごしてみると自分のことも知れて。そうすると、自分の中の気持ち悪かった部分とか、自分の嫌いな部分とか、反対に自分の好きな部分も、人を好きになることで分かっていって。そこで、音楽への向き合い方、あと音楽っていう表現の存在がどれだけ自分の中で重要なのかということに気がつけました。ここが今までにはなかった、気づけなかった感覚です。
ー “アンチ生活”を書いたときに、火がもう一回灯った感じがしたって言ってくれたんだけどんも、それはどういう状態になれたの?
アユニ:なんで自分はこんなに疎外感を感じてるんだろうってずっと思ってたんですけど。それは自分が世界に阻害されているんじゃなくて、自分が世界だったり、人の善意を阻害してたんだって気づいた曲なんです。誰も自分のことを敵だなんて思ってないのに、なんで自分は全人類が敵だと思っていたんだって。なんか、倒れていた状態から目が覚めたような、そんな気分がしたんですけど。
ー 自分を正しく相対化できたということなんだと思うんだよね。世間の人は自分が思っているほど自分のことなんか考えちゃいないよね。僕が気にするほど、世間は僕に興味なんてないし、アユニが気にするほど、世間の人はアユニに興味はない。それは誰もがそうなんだろうけども、じゃあその中で、少しでも興味を持ってくれている人に何が言えるのかとか、何なら世の中の人たちに失礼がないのかとかね。何なら責任を持って言えるのかなとかね。信頼できる人間関係って、結局のその責任の連続の先にしか生まれないというか。さっき半径30cmって言ってたけども、それもいい表現だと思うよ。自分という存在は、世界を憎めるほど立派なもんでもない、というかね。
アユニ:はい。変なことやりまくって、そう気づかせてもらいました。
ー “アンチ生活”は本当に素晴らしい歌詞で。そこを聞いていきたいんだけど、「クソみたいな社会を、神みたいに救いたい」というフレーズがあって。昔から、アユニには、こういう目線があったと思うんだよね。でもこの曲は、今までとは違う実感があるでしょう?なんで違うんだと思う?
アユニ:なんで違うんでしょうね。初めて作詞した歌詞が、“本当本気”で。あの歌詞を書いたときは、なんかわだかまりというか、鬱憤がずっとあって。だから、ちょっと悪口を言っちゃった自分への嫌悪感とかも残っちゃったりして。世界を斜に構えて見てる感じだったんですけど、“アンチ生活”もそういった内容ではありつつ、でも書き終えた時の快楽がたまらないくらいあって。何が違うんでしょうね。歳を重ねたからかな?考え方なんですかね?
ー この曲にはすごく大事なことがあるんです。「クソみたいな社会を、神みたいに救いたい」という概念自体は、これまでもあったわけだよね。“本当本気”も、その視点が前提になっていて。ただ、あの曲は、若さもあったし、初めての歌詞を必死に書いたわけだし、なんていうかな、一番火のつきやすいものに、無理やり火をつけて書くしかなかったんだと思うんだよね。そのときに、一番早く火がつきそうな導火線が、「世間を憎む」というか、「世間にバカにされて虐げられている自分」というものだった。ただ、今回素晴らしいのは、「神みたいに救いたい」で終わらなかったということだと思うんだ。「神みたいに救いたい」っていうのは、さっき言ったように、不特定多数の人に届く可能性のある最大公約数的な表現なんだと思う。でもその後に、アユニは、「このクソみたいな世界を、親みたいに抱きたい」と歌っているんだよね。「神」と「親」の違いだけども、これが書けたことが重要なことだと思うよ。
アユニ:すみません。なるほど、ありがとうございます。
ー そう言われるとどうですか?
アユニ:嬉しいです。確かに意識的に理論付けて変えたわけではないのに、そういったものにできたということはきっと何か自分の中の精神的な部分を耕すことができていたのではないかなって思います。すごい報われます。報われた気持ちになりました。嬉しいです。
ー ここはなぜこう書いたの? そのときのことは覚えてる?
アユニ:確かに自分には、神みたいに救いたいっていう妄想も願望もあるけど、そんな大した存在じゃない。自分ひとりの力なんて、しょうもないんだっていうことをここまで生きてきて、しっかり実感していて。だから、もう目の前にいる人だけ、今すごく大事な存在のあなただけでも救って、救いあって、お互いの存在をお守りにしあって生きていきたい、っていう祈りが自分にとって大切な考え方になって。昔の幼稚だった自分は、自分がやっぱり一番大事だと思ってたんですけど、今は自分よりもこの人が大事だっていう存在もたくさんできて。外の世界ってこんなに不条理で溢れているけど、浪漫的なことばっかりなんだなってことに気づいたんだと思います。 迷いはなかったですね。この曲に関しては、本当に一つも迷いがなかったんです。もう夢中になって書き上げたので。今こうやって見ると、心の底から自分はこう思ってるんだなって感じました。
ー この歌詞は頭から書いていったの?
アユニ:サビかな? いや、でも。ああ、わかんないです。頭から書いたのかな? でもやっぱり、神みたいに救いたいっていう願望はあるし、あなたを救ったいっていう気持ちはすごく根本にあるかもしれないですね。
ー 「神みたいに救いたい」ってまず書いた時に、これだけじゃ届かないなと思ったのかな。
アユニ:そうだと思います。自分は音楽でしっかり救いたいって思って音楽を始めたけど、やっぱりそんな立派なものじゃないし、世界なんて変えられない。自分ががむしゃらに何か歌い続けて叫び続けていく中で、一番大事な人だけでもいいから、良い気分になってほしいし、できれば泣いてほしくない、できれば笑っていてほしい、っていう気持ちになったんだと思います。でも同時に、できるだけ遠くまで行きたいし、目標の場所まで到達したい情熱も消えずにずっと自分の中にある。ただ、その中でも、究極突き詰めたときに一番届けたい人、届けたいものが、最近かなり明確になって。それは、忘れたくない感覚です。
ー アユニは、今、誰に届けようと思ったの?
アユニ:今回の作品は自分自身の、自分のお守りのような存在になった人ですね。例えば両親とか家族とか友人とか。チームの方とかお客さんもそうですけど、前作であったり、好き放題やったときもあるし、自由にやらせてもらってきて。誰にも家出しろなんて言われてないのに、自ら家を飛び出て、いろんな場所に行って、自分で勝手に傷ついて。しかもそれを家にいた人のせいにもしちゃって。でも、家にいた人は私にそれを強要もしてなかったし、私が嫌な思いをするようなことを一つもしてこなかったのに、ってことにふと気づいて。旅に疲れて家に戻ってきたときに、変わらず美味しいご飯の匂いがして、変わらず温かいお風呂が用意されていて、温かいおやすみっていう言葉と温かい布団が用意されていて。なんか自分がいっぱい変わっていった気でいたけど、周りは本当に何も変わってないんだなって。それぞれがそれぞれの信念や正義を持ってるんだなって。なんでしょうね。変わらないでいてくれた自分のお守りのような、ふるさとのような人たちに届けたいと思って作った作品ですね。勝手にハチャメチャになってたのは自分だったんだな、なんかおかしくなっちゃっててごめんなさい。やっぱりここが居場所ですって。PEDROっていう存在概念に対してもそう、アユニ・Dっていう人間に対してもそう、何者かになろうとしてもなれなかったし、何者かに無理してならなくても好きでいてくれる人がいるんだなって。そしたら好きでいてくれる人を百倍自分が好きでいようって気持ちになって。意地と光で反省と感謝、地獄と天国っていうか、そういったものをふるさとのようなすべてのその人たちに届けたいんです。
ー よくわかる説明だと思います。本当にその通りだと思うよ。でも、アユニは、今回、“ふるさと”という曲は作っていないし、「両親」という言葉も使っていないよね。
アユニ:そうなると、本当に私の両親にしか歌ってないように聞こえるし、そう見えてしまうから。あくまで、例えの言葉であってそれは嫌だから。親友だったり、昔から私のことをずっと好きでいてくれているファンの方のことでもあるから。自分の中での「親」っていう存在はいっぱいいるんです。ただ両親って言葉を使うと、傍から見ると本当に両親にだけ伝えたいように見えるので。血の繋がりのある人のことを指す意味で「親」っていう表現を使っているわけではない、ということですね。
ー その気づきが素晴らしいと思うんだよね。さっき不特定多数に対する最大公約数って言ったけど、そんな正解は、狙っても見つけられない。でも、「親みたいに抱きたい」という表現は、もしかしたら初めてアユニができた、不特定多数の人に本当に届いてくれる最大公約数的な表現なのかもしれないよね。
アユニ:そうかもしれないですね。言葉って何度書いても何百回書いてもやっぱり難しいですね。人と人との話とか、音楽を通しての会話とかこういうインタビューでも見つかる部分があるから、なんかたまらんですね。今のこの時間もそうですし、ライブしてるとやっぱつくづく死んでらんねえなって、死んでる暇なんてないなって思いますね。どうしたら音楽が届くかっていうのを一生考えてるんだろうなってあらためて感じました。
ー 「アンチ生活」っていいタイトルだよね。その心は?
アユニ:私生活ってなんか自己中心的だと思っていて。自分が雑にすれば雑になるし、自分が丁寧にすれば丁寧になるし、人に見られるわけでもなく一人で整えていくものなので。それって結局、生活とか暮らしというものは、人との交わりとはまた違ったもので、あくまで己のものであるってことなのかもしれないなと思ったんですよね。でも私は今自分のことよりも人のために生きていたいという気持ちが強くて、この気持ちを言葉にしたのが“アンチ生活”です。
ー そう、だから、この曲を“生活”というタイトルにしなかったのも偉いなと思った。これはとてもいいタイトルだよ。
アユニ:ありがとうございます。絶対にタイトル変えようとしてたんですけどね(笑)。これを作った時にちょっと怖いタイトルにしすぎたかもしれないって思ったんですけど、信じてこのままにしてみました。
ー 『意地と光』というタイトルはいつつけたの?
アユニ:全曲揃ってからですね。これがどんな一枚になったか、いっぱいいっぱい考えて。いろんな情緒不安定な曲があるけど、自分の中ではその不安定さがメラメラと燃え盛る情熱とか意地でもなって。「今死んでもいいくらいやってやるぞ!」っていう意地と、「まだ全然死んでらんねえ。まだまだやりたいこといっぱいあるし、これからもまだいっぱい煌めきがある」っていう光と。それがもう、この7曲にパンパンに詰まっているなと思って『意地と光』にしました。
ー これもまた、今のアユニと、アユニという人の本質を端的に示すことができたいいタイトルだね。
アユニ:いや、ありがとうございます。すみません。
ー でもこういうふうにやっぱりひとつずつ、一曲ずつ、向き合っていくしかないんだと思うんだよね。その結果、目の前のひとりずつに、アユニという人の本質をわかってもらう、そして受け入れて、あらためて愛してもらうということをやっていくしかないんじゃないのかな。
アユニ:今は本当にそう思います。
ー そのうえで、“アンチ生活”という曲はアユニのこれからの方向性を変えてくれる曲だと思う。
アユニ:ありがとうございます。そういったものにもしたいです。
ー そういう曲として覚悟を持って届けていかないとね。もうライブで歌ってるの?
アユニ:はい。もう歌ってます。届いてると信じてます。自分はできればもっともっといろんなものを見たいし、いろんなことをしたいから長生きしたいと思ってはいるけど、この曲をライブでやり終えた時は、「ああもう言いたいこと全部言ったな。もう今死んでもいいかもしれないな」って思ったりするので。そのくらい感情も全部注ぎ込んで歌っているので、届いてほしいですよね。 もし届いていないとしたら、なんか納得いかないというか、それは自分のライブの力が足りないし、今よりもっといい“アンチ生活”が歌い上げれるようになるのかもしれないんですけど。「届け! 届けよ、この野郎」「受け取ってください。お願いします」って思って歌ってます。
ー いい作品、本当に。アユニには、この一年半、というか、BiSH最後の一年も合わせたら、2年半毎月会って話を聞かせてもらってきたんだけども。そんな付き合いの中でも、特にこの曲はアユニにとって、本当に重要な曲になるという確信があって。それで、こうしてインタビューさせてもらいたいなと、自分からオファーさせてもらったんです。
アユニ:ああ、すみません、ありがとうございます。
ー この曲がなぜ書けたのかを、アユニ自身が知った方がいいんじゃないか、自分の口で言語化できた方がいいんじゃないかと思ったわけです。
アユニ:またあらためて気づけました。
ー アユニのなかで、根本的な考え方の雛形自体が変わったんだと感じたんです。大事なことは、どういうものだった考え方が、どういうきっかけで、いつ、どのように変わっていったのか、そしてその結果、どうして素晴らしい曲が生まれたのか。その必然的な流れを自覚するべきなんじゃないか、ということで。その気づきを促す、というか、その変化と深まりを言語化することで、アーティスト本人の自覚が高まり、ファンやリスナーにも、アユニの変化の物語を共有してもらえるわけだよね。そのうえで、楽曲を聴いてもらえる。その関係性を深めていくそのきっかけを作るのが、インタビューという仕事なんだと思うんだよね。そうすることでアユニが表現者として深まっていく。その結果、世の中にも新たな救いが生まれる可能性が高まるわけだよね。 そういうふうに、世の中がナイスな方に行くべきだと思うわけですね。
アユニ:あ、寿命延びちゃった。ありがとうございます。これで戦うしかないと思ってます。戦わせてください。この曲ができたきっかけも、赤窄さんと制作のお話しをした日に、もう朝まで起きて書いた曲で。だから本当になんか、自分の身近に半径30cmにいてくれる人がいなかったら、絶対にできなかった曲なので。ありがたいですよね。やっぱり人はひとりでなんか生きていけないですね。
▽ New Release EP「意地」「光」Streaming
▽ TOUR INFORMATION
PEDRO ラブ&ピースツアー Final 「意地と光」
PEDRO TOUR 2024「ラブ&ピースツアー」
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https://t.pia.jp/pia/artist/artists.do?artistsCd=I9180014