思い出話 人の心が死ぬ仕組み
エグいタイトルですんません
昨日のtwhzとその後のTL見てて、ちょっと吐き出しますね
子供の頃、
「で、あなたはどう思うの?」
という問いが死ぬほど苦手で嫌いでした
そう聞かれると、完全に萎縮してしまって声が出せなくなっていました
何か言おうとしていたかも記憶にありません
とにかく嫌なものとして残っています
なぜだろう。
聞かれ、答えると、
速攻で「えーそれは違うんじゃない?」とか
「ふーん」(←聞いたくせに興味なしリアクション)とか
そんなのをくらっていたからみたいです
前者は特に親からくらっていました
どうせ叩き伏せられる
どうせ誰も興味ない
私の話など表に出す価値もない
人の前で物を言うのはとても勇気がいるのに
しんどい結果しか待ってないなら
私は何も喋らない
……これが小2くらいのことでしょうかね
今更外野恨んでもしょうがないんですけど、もうちょっと共感欲しかったですね
「どんなことを言ってもいいんだ」という安心感はなかった
……まあ今思えば壮大が過ぎる思い込みなんですけど
小2の見る世界なんて井戸の中か猫の額か
受け止めてもらえなかった心が負った傷がとても痛いので、そこを麻痺させることで生き延びたんです、好きなものや自分の気持ちまで一緒に封じることで
傷ついた心をパージしなければならなかったあの日の私、しんどかったね
自分の気持ちを卑下してしまったので
だんだんそれがどんなものだったのかわからなくなっていきました
怖いですよね、何が好きか忘れてしまうの
こうして書いても大丈夫なんだと思えるまで随分かかりました、時間的にも労力的にも
小さい頃に刷り込まれた自動反応は手ごわかった…
でもね、勝てない相手ではないです
どんな話もてつめんみでして、こちらのリアクションなぞ知ったこっちゃない(ただし見てはいると思われる(こわい))人が週6でいらっしゃいますからね、なんか勇気出ます
まだまだその境地には至れないけど、追いたい背中があるのはありがたいなあと思う日々です
……オチ?なんですかそれは?
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