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変化と恐れ、繋がり

ずっと変わらないと思った
同じ目線で居ると思いたかった

10代の頃から仲の良い友達が居て、
当たり前のように、一緒に大人になりました。

気が付けばもう何年も会っていなかったり、毎週会っていたのに3ヶ月、半年、1年……
なんか寂しいなぁと思う反面、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ…納得してしまった自分がそこに居ました。

恥ずかしながら20代前半の私は、本当にどこにでも居るような子でした。流行りのファッションを追いかけ、彼氏が居ることがステータスで、美容の学校に通ったこともあり、メイクやオシャレを極めようとしていました。

もちろん、政治や経済、世界情勢なんて難しいからわからない。10代の頃、あれだけ疑問に思っていた世の中の在り方や、自分の存在意義、どこから来てどこへ向かうのか…なんてことは、すっかり忘れていました。

今だけを楽しめたら良いと思っていたあの頃、毎週会っても話が尽きることはありませんし、きっと同じような事を話しては、また次週も同じ事の繰り返し…

それでも楽しかった!
「あれからどう?」「あんま変わってない」それなのに、気付けば何時間もダラダラと何でもない時間を一緒に過ごせました。

だけど、ある時から私の中で急に大人へのステップアップが始まったのです。

あんなにどうでも良かった政治経済…世界情勢…自分が生まれ育った日本という国。
2011年をきっかけに、少しずつ自分が気になった事をとことん調べ始めました。

そこから数年は、それでも友達と会えば今までと同じ価値観で話せていました。
だけどある日、私が興味ある話をしていて熱が入り過ぎた時…友達が完全にひいているのがわかりました。

つまらない話をしてしまったと思う自分と、何でこの話題が気にならないんだろう?と言う押し付け気味な自分が行ったり来たり…
お互いの温度差と価値観のズレがはっきりとわかってしまったのです。

大切な友達だからわかってほしい。気付いてほしい。一緒に新しい時代へ向かいたい。
当時、それでもまだ若過ぎた私は興味を持ってもらいたくて、情報をどんどん話しました。

でも、1ミリも距離は縮まりませんでした。
それどころか、会う頻度は減っていきました。

私はそこで気が付いたのです。
人はそれぞれに違う。違うのは当たり前。
違うからこそ人なんだ。

「みんなちがって、みんないい」

私がしていたことは、中学時代の強制または矯正させられる教育と似ていたのです。
自分が思う正義が一番正しいと思っていた。
それが一番怖いことなのに。

そして、薄々気が付いていたことに目を向けて、受け入れることにしました。

人は変わっていく生き物。
その変化を怖がらなくていい。

それからネットで知り合って、意気投合し、友達になり、1年に1度くらいのペースでしか会えなくても、昨日の続きのような話ができる。
そんな友達もできました。

また、ある事がきっかけで、ネットで集まった数人。今では本当の自分というのを初めて打ち明けられた仲間になりました。

その仲間が居たから、今私がここに居ます。

ずっと前から、もちろんこれからの時代も、ネットで繋がると言うのは、もう当たり前なんだと感じました。

ただ、合わなくなったからって、無理に合わそうとしなくていい。違うからって強要したり、遠ざけたりしなくていい。答えは1つじゃない。

ずっと同じ目線では居られない
それぞれの場所で生きていく
だからと言って、友達には変わりません
お互いを尊重し合える関係で居たい


自分と違うということを受け入れる、認め合うことを疎かにしていた私の話でした。
結局、疎遠になってしまったけど、偶に会っては近況を話しています。

こんな、長いひとりごとにお付き合い頂きありがとうございます。

また更新します。

peco

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