箱
箱、といえば私が最初に想像するのが『魍魎の匣』だろうか。
鈍器と名高い原作を読んだことはないのだが、遠い昔になんとはなしに漫画を買ったことがある。
その時、私は登場人物が抱く「箱」への執着になんとはなしに共感した。
箱には不思議な魅力がある。
以前、その魅力を説明しようとして友人には上手に説明することができなかったのだが(そのせいで猟奇的な人間であると認識された)、私は箱が好きである。特に自分の好きなものがみちみちに詰まっている箱が。
その中身に自分が愛してやまないものが詰まっている、と考えるだけでその箱をどこまでも愛せてしまう。ある意味でそれ自体が崇拝、溺愛、宝物の対象となるくらい。
だが、私は同時に、自分の愛する存在がみちみちに詰まっているその箱を開くことを嫌う。
私にとってその箱はそれ自体で完成しているので開けることによって、空気が入ることも、空白が生まれてしまうことも嫌なのである。
少しの欠けでも許せない。完成したままそこにあってほしい。完璧であってほしい。
だから私は箱にその時大切なものを詰め込んでいつまでも閉じたままにしてしまう。
そしてそのまま何年も経って忘れてしまうという悪癖も、私にはある。
一年ほど前に部屋の片づけをした時に丸い箱を見つけた。
何かを入れていた記憶はあるのだけれど中身が思い出せない。
ちょっとどきどきしながら開けてみれば出てきたのはお菓子の箱や赤い紐、それからチープなピンク色の時計、小さなマスコット、その他諸々・・・。
おそらくそれらは私が高校時代に大切にしていたものたちで、当時はとてもとても愛おしく思っていたもののはずなのに今となっては何故それを大切に思っていたのか具体的なエピソードを思い出せない。(唯一、チープなピンク色の時計については後ほど思い出した)
いつの間にかそれはもう私にとって愛おしいものではなくただの「物」になっていた。
開けなければよかったかもしれない、と思った。
箱の中の当時の私の思いは開けた瞬間、ふわふわと「現在」の空気に溶けて消えてしまったかもしれない気がしたからだ。おそらく中身が入れ替わっていても、腐っていても、気づきなどしない。
それはある意味幸福であるし、同時に盲目であるがゆえに結局は本当の幸福を逃していると思っている。
過去に私がそれを閉じ込めようと思うほど愛おしい時間の記憶は、きっともうこの先誰も知ることはない。
例え、なんとかいつかその物のエピソードを思い出したとしても、一度「物」に戻ってしまったが故に、その時の愛おしさはきっと帰ってこないだろう。
そういう悪癖を理解しながらも、私はこれからもガラクタだらけの箱を作っていくだろう。
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