Quality of Life は誰が評価するか?
臨床倫理シリーズですが、話が長くなってきていて、何の話か?が見えにくくなってきているのでちょっと整理しておきます。
今回考えている症例はこんな症例でした。
で、どうしたいか?といわれても、一体どうやって考えたら良いのやら、ということで、Jonsen らによる、臨床倫理の四分割法が有用である、ということで、以下の表をご紹介しました。
そして、それぞれの象限を検討するに当たり、どんなことが問題になるか?ということを、お話をしている、というところです。昨日までに、上記の表の「医学的適応」と「患者の意向」についてお話ししてきました。
本日は Quality of Life (QOL) について考えてみたいと思います。
QOL とは何か?
生活の質、とも訳されますが、なかなか定義が難しい言葉です。理由は「価値判断」を含んでいるかだと思います。Quality と呼ぶからには、「良い」とか「悪い」と評価するわけですが、一体誰がどういう基準で評価するのだろうということになります。
患者自身が評価する場合
QOL を患者自身が判断する場合、それは即ち「患者の意向」ということになり既に検討しているのではないか?ということになりますね。患者、自律性の原則に基づき、患者個人が人生をどのように選択するかによるので、他人がとやかく言うことでもない、ともいえます。
しかしながら、その選択をした場合に、どのような人生が待っているのか?その帰結は「患者の意向」に本当にそうものなのかどうか?をきちんと問題意識として掲げ、検討しておくことには大きな意味があると思います。
患者以外の「第三者」が評価する場合
本人に判断能力がない場合などは、患者本人ではない、という意味で、QOL を第三者が評価することになります。
「QOL が低い」とは、苦しんでいる人の経験が話し手が望ましいと考える基準を下回っている、ということを意味しているのかもしれません。
だとすると、第三者から見て QOL の低い生活に、本人はとても満足している、ということは十分にあり得ることですね。従って、他者が自分の価値観を適用して他者の QOL を評価することには、極めて慎重であるべきではないでしょうか。
本症例の場合、
1. 乳幼児であるため、そもそも「意志」がよくわからない
2. 仮にわかったとしても、本人自身が「判断能力」がない
3. その結果を「感じられる」程、脳機能が残っていない
ことなどから、第三者が QOL を評価せざるを得ない状況です。
また、昨日の繰り返しになりますが、判断するのは「親」が本当に適切な状況なのだろうか?という問いが生まれます。
子どもの「最善の利益」に基づいて判断する
このような場合、昨日の記事でご紹介した、「最善の利益」という判断基準を用います。先に述べたように、
患者の「最善の利益」とは
合理的な人間が選択可能ならば選択したであろうQOL
であり、何を利益と見なすか?については、
できる限り、代理判断をしてもらう患者の観点から決められるべき
であるし、患者がどのように世界を眺めるかについて証拠がない場合、
批判的に(誤った情報、偏見、差別、ステレオタイプ化などに注意して)評価された社会共通の価値観に照らして判断されるべき
でしょう。つまり、臨床倫理の四分割表では、QOL の判断に当たり、その判断が、本当に患者の最善の利益に資するものかどうか? 多角的に検討せよ、と指摘しているわけです。
【参考文献】
Jonsen AR et al. 著 赤林朗他監訳 『臨床倫理学』第5版 進行医学出版社
清水哲郎/会田薫子編 『医療・介護のための死生学入門』 東京大学出版