「子どもの立場」に立って考える
月並みですが、寒くなりましたね。そして雨多いですね。
10回にわたり臨床倫理シリーズをお送りしてきましたが、本日で一旦最後にします。如何だったでしょうか。あまり突っ込んだ話はせず、概略、考える道筋についてざっくりと理解して頂くことに重点を置いてお話をしました。
個々の項目はまた折に触れてお話ししていきたいと思います。
子どもの立場に立って考える
「子どもの立場に立って考える」。小児医療に関わる医師だけでなく、例えば親、教師、各種習い事の先生、などこどもに関わる方々は、すくなからず意識したことがある言葉ではないでしょうか。
では、何をどう考えることが、「子どもの立場に立って考える」ということなのでしょうか。
もう一度症例を見てみましょう。
何度もお示ししてきましたが、皆さんだったらどのように考えますか?
「人工呼吸を続けたい」
「人工呼吸を止めたい」
いろんなお気持ちが、楽しかった日々の思い出とともに浮かんでくるはずです。医療者であればそのようなご両親、ご家族に向き合わなければなりません。
今までお話ししてきたように、ご両親とお話しする際に、「子どもの最善の利益」についてお話しすることがあります。また、どのようにすることが、その子の「尊厳」を守ることになるのか?ということもおたずねします。
多くのご両親が、ご自身のお気持ちと、理性としての「こうすべき」というお考えと、ご両親以外のご家族、兄弟の意向、社会一般通念と、多くの事柄の中で、悩まれます。一方で、お子さんの選択のために残された時間はそれ度ほど多くはありません。限られた時間の中で一定の結論を出していく必要があります。
誰の気持ちか?
私がよくご両親にお伝えしていることに、「主語は誰か?」という質問があります。
子どもに
「こうしてあげたい」
「こうすべきだ」
様々な気持ち・お考えが浮かぶとおもいますが、その時の主語は誰なのでしょうか。
最終的には、親の気持ちに添ってどこかで「決める」ということが必要ですが、悲しみと混乱の中にある親御さんが自信のお考えを相対化する際のキーワードとして、非常に有効だと個人的に感じています。
一方で医療者側は、多職種カンファレンス(治療に関わる医師、看護師、心理士・精神科医師などの患者サポートチーム、リハビリなど患者に関わる職種など)を行い、ご紹介したJonsenの臨床倫理の四分割表などを利用しながら、自分たちの判断の妥当性、両親に必要な情報の抜け漏れがないか、両親は十分に論点を踏まえて結論が出せているか、などを話しあいます。
最後にいくつか質問です
先の症例について、ご自身なりの結論を出してみて下さい。
多くの方が「自分自身の価値観・死生観」を意識することなく生活されており、いざ救急の場面で突然それに向き合うことになります。
皆さんであればどのような結論を出されるのでしょうか。
それはどうしてですか?
その上で、一つ考えて頂きたい質問があります。
私自身は、立場によって意見が変わっていいと思っています。そしてどんな選択をしても、「後悔」は残るのだと想います。一つを選択したら、他の選択肢は選択できません。
どの後悔だったら、墓場まで持って行けるか?
その後悔を持って行く、すなわち結論に責任を持っていくのは誰か?
それが多くの場合、「親」なんだろうとも思います。
さて、この議論に苦しくなってきている方もいらっしゃると思いますが、さらにかぶせます。
あなたが子ども・親・家族と話し合いを進める立場にある方であったら、どのような言葉で、どのようなプロセスを経て話し合いを進めますか?
もっといえば、本症例では、搬送された段階で、このような状況(すなわち「植物状態」)になる可能性は十分な蓋然性を持って高い状態にあります。
最初にご家族と出会う瞬間に、今後本児にどのような経過が待っているか、家族とどのような話し合いをしていかなければならないか、経験のある医療者であればある程度予測できる状態にあります。
そうであれば、家族との出会いの場(つまり最初にお話しに行く際)にどのような態度でのぞみますか?最初の一言目はどのようにかけますか?
出会いの場での家族の様子は様々です。起こってしまった事態に混乱し悲嘆に暮れている家族も居ますが、同じくらいの頻度で、子どもさんに「死が差し迫っている」ということは全く予想されておらず、家族で談笑をされながら医療者が説明に来るのを待っている方も見えます。
どのような一言で、その場の雰囲気をどのように変えますか?
また変える必要はありますか?
個人的には、ある程度症例の行く末を予想し、そこでどのような話し合いをしなくてはならないかを考えた上で、今後この家族とどのような関係性を築いていけるのか?を考えながら、その「出会いの場」を設計すべきだと考えています。もちろんうまくいかないこともあるのですが。
事態の重要性(つまり「子どもが死んでしまうかもしれない」ということ)を理解された後は、多くの親御さんが、悲しみの底でもがき苦しまれます。
抜け殻のように、しかし突然わき上がる悲しみに時に発狂するように泣き叫びながら、患児のベッドサイドで座っておられる親御さんに、あなたはどのような一言をかけますか?
正直、逃げだしたくなるときもあると思いますが、是非逃げずに患児と家族に向き合いたいものです。
ただし、このような状況では「人間対人間」の勝負にもなりますので、「親和性」は頭の片隅に置いておく必要があります。関係性を築くことが難しい場合は、チーム内の他の医師に依頼することも考慮します。多くの患者・家族により寄り添える「普遍的な態度」を構築することは大前提ですが、このような状況で、他の医師に依頼することは、「逃げ」ではないと考えています。そのためも、一人で抱え込まず、チームで患児・家族をサポートできる体制を整えていく、チームをまとめていくリーダーシップが必要ということだと思います。
小児科、小児集中治療室を中心に研修後、現在、救命救急センターに勤務しています。 全てのこども達が安心して暮らせる社会を作るべく、専門性と専門性の交差点で双方の価値を最大化していきます。 小児科専門医/救急科専門医/経営学修士(MBA)/日本DMAT隊員/災害時小児周産期リエゾン