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限りある時間の使い方

私は専業主婦だ。なので時間がいっぱいある。

ただ、毎日自由にしていいよとなると自由なはずの時間も不自由になるのは、私の修行が足りないからです。といっても毎日1人で家でなんでもやっていい、ということになると、時間をがむしゃらになって使うのは至難の業だと私は思うのだ。なんて贅沢な悩みだろう。全くだ。(働けよ)

会社員時代に培った1日のスケジュール管理を、専業主婦になってから数年続けていた。
それはタスクを綿密に管理しているエクセルで作ったスケジュールを見て、締め切りの近いものから1日のタスクに落とし、その日のタスクを実行する時間を分単位で決め、その通りに働く。という毎日。
これは、仕事でするならOK、でも専業主婦がすること?
数年後、この時間管理方法はエクセルを手放したと同時に廃止された。(私に)

周りに人がいて仕事をしていると全く苦にならないものも、自分で長期のものも短期のものもタスクを決めて全部を管理するとなると苦痛で朝目覚めが良くない。そんな数年を全く疑問に思わず過ごしていたのだからDOM(ドM)なのかと思う。

今は午前中にすることだけを決めて毎日を過ごしていて、なるべく無理をしないようにしているので朝の目覚めも良くなった。
ちょっとは何か達成しろよ自分、と思うのだが何せ少しでも憂鬱な要素があるとしつこいようだが朝の目覚めが良くないから困ったものだ。
朝の目覚めが良くないと1日が淀んでしまう気がする。長い1日が苦痛になり次の日もその次の日もずっと尾をひく。
これは私の不器用さのせいなのかもしれないけど、何せ、避けたいのである。

午前中やることに加えて、毎日を快適に過ごすために今実行しているのが「ワクワクするようなイベントを毎日のタスクに入れる」である。しかもそれは私の身になることがいい。

例えば期限を決めて本を毎日決まったページ数読むとか(これは多分ビジネス書がいい)、「1日電子ピアノデー」と題して家事以外の時間はひたすら電子ピアノに向かう(やってみたが一日中は根気がなく弾けない)、とか、期限ありの「毎日お絵描きチャレンジ」と題して、決まった日数毎日絵を描く(それでも趣味か)、とか。

なかなか楽しくて特に「このイベントをやる」と決めた次の日の目覚めはワクワクで最高である。単純なのだ。

でもこれは長い1日を乗り切るための苦肉の策であり、私のスキルを本気で上げることには繋がらないのが現状である。
なんとか、スキルアップのための葛藤や苦しみと朝の目覚めの良さを両立させたいと思うが、先ほども述べた通り、至難の業だ。一体どうすれば。

結局、人生というのは苦しいことが多いもので、どんな環境にあってもそこから逃げる選択肢は自分にとっていいことではないのだろう。(もちろん逃げないといけない場合もあると思うが、朝の目覚めのためにスキルアップのための苦痛を避けるというのは違うと思うのだ)

人生、同じ10年を過ごした後に手に入れているものの違いは、その10年間をどう過ごしたかにかかっている。ダラダラ過ごしても10年経てば歳を取る、苦労しても楽しても同じ10年である。10年後、人格や技術力に差が出ているが、過ぎた時間は平等だ。

これではいけない、表面的なことばかりでは何も達成できないし、もしかすると置いてけぼりにされてしまいそうだ。何か対策を打たねば、とアラフォーの私は本気で焦っている。

それならば、今後の10年を有意義に過ごすのに何か「目的」だとか「目標」を設けたら毎日ハリがでるだろうことに今更ながら気づいた。
苦しい時もあるかもしれないが目的のために頑張れる自分になろうと思ったアラフォーの私である。(専業主婦になってからそういうことから遠ざかっていて久しぶりに思い出したのだが、我ながらナイスアイデアだ(※幼稚園の子でもわかるアイデア))

目標を決めようと思った。

私が決めた目標は、自分発信で今後10年間生きた証を記録すること、と、色々な所に住む、ということ。

10年間あればもっと違う目標も生まれてくるだろうがそれはそれでいい。今は今の目標に向かうことでハリのある生活を送りたい。
この目標を達成することは、スキルアップに繋がると思うし、今後の10年間を苦しいことから逃げずに挑戦できる自分になれる気がする。(若い時は、若い頃の苦労は買ってでもせよというのがポリシーだったのだけど、歳を取ると甘えが出てくるものなのか)

でも・・・やっぱり朝の目覚めが悪くならない程度がいいな。(こりゃまた甘い考えだ、ズコー)

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