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バターカップス 東京読書会「赤毛のアン」

1908年6月13日、L.M.モンゴメリが著した小説「Anne of Green Gables」が発行された。
その116年後の今日という日に東京で「赤毛のアン」の読書会を開催し、バターカップスの会員9名が集まってくれた。今年はモンゴメリ生誕150周年に当たる。その記念すべき年の、代表作が産声をあげた日に開催できて感無量の一言である。

場所は要町にあるお庭がすてきな古民家カフェ「藤香想」。

あら! 店員さんが映り込んでしまった。
とても親切に心地よい対応をしてくださり、最初から最後まで 本当によくしていただいた。

ちょうど見ごろの紫陽花は美しく、お庭にはアンにも登場するネジバナや、ヒメヒオウギ、ジギタリスなどいろんな植物が咲いている。

八重の梔子クチナシ。終わりかけているが近づくととても良い香りがした。
夏至が近いことを知らせてくれるかのように
半夏生ハンゲショウもたくさん咲いていた。

アン好きは植物好きの人も多いので、みなさんはお庭も楽しんだみたい。

時間になったらお店に入り、会場となっている2階へ。お昼ごはんはUMI(ネギトロ丼)とRIKU(ローストビーフ丼)の2種類から選べるのだが、私はUMIにした。

食材にも気を遣っているのが分かる健康的なUMI定食。
写真に写っていないが、自家製梅ジュースも甘さが絶妙でとても美味だった。

お昼を1時間ほど楽しんだあと、読書会を開始。テーマはみなさん、何十回と読んでいらっしゃる「赤毛のアン」なので、あらかじめ3つのお題を出してあった。
① 今回読んでみて、特に印象に残ったシーン
② 今回読んでみて、心に響いた言葉
③ 何度読んでも良いものは良い!普遍の好きな場面2つ

これを元にお一人ずつ話していただく。普遍のシーンを紹介する時「このシーンは声に出して読むと泣いてしまうので言えないんですけれど…」と言いながらまた思い出して泣きそうになってしまうのだが、それだけでどの場面か説明しなくてもわかってもらえるのが嬉しい。みなさんそれぞれにご自身の体験と重ね合わせ、今の自分にグッとくる場面や言葉を紹介してくださった。そのエピソードのひとつひとつが感動的でもらい泣きしてしまう。いい話をたくさん聞かせていただいた。

ちなみにお題に対する私の回答はこんな感じ。

① 今回読んでみて、特に印象に残ったシーン
全般通してダイアナとアンの美しい関係性に心が動いた。ダイアナがアンの腹心の友で本当に良かった。グリーン・ゲイブルズに一番近いオーチャード・スロープに住んでいるのがダイアナじゃなかったら…仮にジョシー・パイだったら? もう一度言う。ダイアナがアンの腹心の友で本当に良かった。これこそ神の思し召しというものである。

マシュウと同じようにダイアナもアンに対しては全肯定的だけれど、実際家のダイアナの発言は具体的で、特にアンを励ましたり慰めたりするシーンでは言葉に説得力があると思った。
また、アンのような個性が突出している友達のそばにいると自分を卑下してしまいそうなものだが、ダイアナはそういうところが一切ない。クイーン学院に行かない選択をした時にも、想像力があまりないと自覚した時にも、事実をありのままに受け入れている。自分の良さもしっかり分かっていて常に自分らしくあるところがすてき。だからこそアンの腹心でいられるのかも。

② 今回読んでみて、心に響いた言葉

「あたしの中にはたくさんのアンがいるんだわ。だからあたしはこんなやっかいな人間なんじゃないかしらって思うのことがあるのよ。もしあたしが、たった一人のアンだとしたらもっとずっと楽なんだけれど、でも、そうしたらいまの半分もおもしろくないでしょうよ」

村岡花子訳

人にはたくさんの面がある。今の世の中、一面だけをみて決めつける風潮が強い気がして嫌だなと感じることが多い中で、やっぱり多面性があるほうが面白い、そう言い切るアンの言葉を頼もしく感じて嬉しかった。

③ 何度読んでも良いものは良い!普遍の好きな場面2つ

好きなシーンはたくさんあって2つに絞るのも大変なのだが…一つは言わずもがなの名シーン。

「もし、あたしが男の子だったら、いま、とても役にたって、いろいろなことでマシュウ小父さんに楽させてあげられたのにね」とアンは悲しそうに言った。
「そうさな、わしには十二人の男の子よりもお前一人のほうがいいよ」とマシュウはアンの手をさすった。「いいかい?十二人の男の子よりいいんだからね。そうさな、エイヴリーの奨学金をとったのは男の子じゃなくて、女の子ではなかったかな? 女の子だったじゃないか ー わしの娘じゃないか ー わしの自慢の娘じゃないか」

村岡花子訳

もう一つは、グリン・ゲイブルズの居間でアンがマリラとマシュウに暗誦を聞かせたとき。マリラが幼いアンが大人になってしまった寂しさを感じて涙する姿を見て、アンが「自分は小さいころとちっとも変わっていない、マリラとマシュウとグリン・ゲイブルズが好きになる一方だ」と話す場面。なんという清らかな愛情で結ばれた3人なのだろう! 何度読んでも感動する。

 アンは若々しい頬をマリラのしぼんだ頬にすりつけ、手をのばしてマシュウの肩をなでた。マリラはそのときの自分の感情をアンのように言葉にあらわせるものなら、何をおいてもそうしたかったであろうが、性質と習慣が許さなかったので、ただ自分の娘をかたくやさしく抱きしめて放さないですむものならと思うばかりだった。
 目にどうやら涙らしいものがうかんできたマシュウは、たちあがると家の外へ出て行った。

村岡花子訳

圧倒的に多かった感想はマリラの人としての素晴らしさ、愛情深さ、人間らしさ、立派さ。同じ年代の私からすると、アンを引き取って育てるだけでもすごい人だが、読んでいると表に見せている姿の裏には、自信のなさや心配や不安でいっぱいだと読み手は分かる。それでも一度決めたらやりとおす責任感の強さ、不器用に迷いながら悩みながらもしっかりアンと向き合っていく姿は大人として真っ当で頼もしく、本当に尊敬に値する。

そして、まだ未婚の若い時にこの奥深い物語を著したモンゴメリの才能に感服しないわけにはいかない。この本が世に出て、100年以上経ってもなお時代も年齢も性別も人種も国も全部とびこえて、読んだ人々に勇気、励まし、生きる力を与え続けていることを目の当たりにしているこの奇跡にいまさらのように感動する。同時に「赤毛のアン」にめぐり逢えた、好きになれた自分が誇らしくなる。そんな幸せな想いが溢れ出したところで読書会は終わった。

少々名残惜しさを感じながらお開きにしようと思ったら、みんながスイーツを食べたいと言い出し、お店の方のご厚意でお借りしていた場所をさらに一時間延長してもらえたので、デザートとお茶タイムを楽しむことが出来た。すっかりくつろいで笑顔で話しているみんなの様子を見ながら、開催して本当に良かったと肩の力が抜けた。また次も…なんていうありがたい話もあるので、今後も定期開催できたらと思う。私にできることがあるのならいくらでも! バターカップスのメンバー相手だと自然とそんな気持ちが湧いてくるのだった。