ゴミを路上に捨てる人は発達の問題「アフリカから学ぶ編」
田舎に住んでいると
よくコンビニで食べたご飯などを袋に包んで道に捨てているのを目にする
そこで「どうしてゴミを捨てるのだろうか?」っと考えてみると
面白いことに気づいた。
人に迷惑をかけることをする人もいれば
目立ちたい!ということをする人もいる。
暴走族などは完全に目立ちたい!という目的であり
無人島で誰もいないところで音をバンバン鳴らすことはないだろう。
爆音がそんなに好きならばヘッドホンでもして、その爆音を部屋で聞いていればいいのだけどもそんな暴走族は聞いたことがない。。
そう考えると彼らの目的は目立ちたい!
注目してくれ!かまってもらいたい!などだろう。。
家にいても親からは怒られて自分の存在を否定され続けている人も本当に多い。
でもゴミを捨てる行為は「目立ちたい」ではなく
逆に人が見ていたら捨てないだろう。。
防犯カメラなどでも付けて、その人を特定すれば彼らはしなくなるのはわかる。
それよりもどうして彼らはゴミを捨てるのか?
家にゴミ箱がないわけでもない
路上に捨てる時もきちんと袋に入れて縛って捨てている。
一つ一つ投げて捨てるわけではないのをみるとそこらへんにゴミを散らかしたいわけでもないだろう。。
そこで思い出したのはアフリカでの旅のこと。
バスでの移動中、道路に突然止まったかと思ったら
サトウキビを抱えて束で売りに来ている村人たちがいる。
「こんなサトウキビ、どうするのか?」
彼らは窓から購入、そしてバスの中で走行中に食べるんです。
もうバスの中はサトウキビのクズだらけ。。
そして床もボロボロとサトウキビ。。
そしてそれを窓からその殻を捨てている人もいる
それが彼らにとっては普通なんです。
サトウキビは道に捨てても土に帰るから。。と考える人もいることでしょう。。
そうでしょうけども、問題はそこではないんです。
その習慣が今度はペットボトルでも同じことをするんです。
彼らが飲み終わったペットボトルも今度は窓から捨てます。
すごいでしょう!
なぜ僕がそういうことをしないのか?
なぜアフリカのその地域の人たちはするのか?
それは育った環境によるとも思いますが、日本でもゴミを捨てる人がいるのをみるとそうとも限らないんです。つまり、
脳が「先進国か、そうでないか」の違いです。。
日本もヨーロッパに比べたら後進国。。
レストラン禁煙、ゴミのポイ捨て、ゴミの分別、自転車のヘルメット、スキーのヘルメット、車のシートベルトなどもヨーロッパよりもかなり後になります。
1964年の東京オリンピックの東京の街の映像には
スクーターに二人乗り、そしてヘルメットなし。。
今のベトナムのような風景が普通にあります。
今だと想像できませんよね。。
でも戦後20年経っていてもそれだったんです。
ヨーロッパなどからその当時、日本に来たのならば驚いたことでしょう。
それは日本からアフリカに行った時も同じです。
アフリカでなくても後進国に行ったのならば同じなんです。
日本でもゴミを道路に捨てる人は日本で育っているのにそうするわけであり
「なぜそうするのか?」っというと答えは簡単で
「脳が発展途上のままなんです。」
よく高齢者の方にも多くいます。
昔のやり方からまったく変えられない人。。
環境が変わっても時代が変わっても変えられないのは
「脳が発展途上のままなんです。」
もし「ゴミを捨てることに目的」があるのならば
例えばAさんに嫌がらせをしたいのならば
Aさんの家の前にゴミを捨てていくことでしょう。。
でも捨てているのはどこでもいい場所。。
彼らの目的は捨てること。。きっと大通りなどではゴミは捨てていないと思います。
誰もいない小道だから捨てていることでしょう。
でもそれは迷惑をかけている!っと思っているわけでもなく
これをやったら迷惑をかける!っと思うわけではなく
誰か注目してくれ!っと思うわけでもなく
目立ちたいんだ!って思うわけでもなく
「脳が発展途上のままなんです。」
そういう人はどのようにすれば捨てなくなるのか?
それはシンガポールのように高額罰金にするか
東京ディズニーランドのようにゴミをすぐ拾うか
あの綺麗なディズニーランドでもゴミを捨てる人がいるのですから
綺麗な道だから、綺麗な場所だから、ゴミが落ちてないから。。
は関係がなく
彼らの脳が発展途上のままなだけなんです。。
ディズニーランドは高額なチケットを払っていますので
それでゴミを拾う清掃係の仕事の人も雇えているわけです。
誰もゴミが捨てなくなれば彼らの仕事もなくなってしまうことでしょうけども、街のゴミなどたまたま落としてしまうこともあるかもしれないけども、脳の問題は永遠のテーマにもなりそうです。
それでは今日も良い1日を!