母親の虚言癖×ギャンブル依存症 前半

とにかく引っ越してきて、仕事でいなく土日も居ないか、日曜会社が休みの日はデパートに買い物、車で3時間かかるとこまで買い物。
たぶん買い物依存症もあったと思う。

昔デパートの地下だったかキッズコーナーがありそこに1、2時間待たされていた。

お小遣いを持たされたことはなかった。
お金を使うことにいきなりドーパミンが出てたように今なら冷静に考えれる。

少し精神疾患もあるんじゃないかと言うくらい虚言癖もあり嘘を本当のように言うところが嫌いで仕方なかった。

父親が腰の手術で入院したときの日曜日、母親は買い物に、行ってくると何時間も父親入院してた一般病棟で待った。
まだ携帯電話がなかったから迎えを待つしか無く、今思うと何時間も待たせて何を買い物するのか?と思う。
きっとパチンコだったんだと今なら思う。

小学4年くらいになって日曜日の買い物が苦痛になってついていかなくなった。
そうすると一人で朝から夕方まで居なくなり、きっとパチンコだったと思う。

その頃から事務の仕事をしてた母親はまだパソコンもない時代で帳簿を手書きでやってた時代、家に持ち帰り毎日毎日仕事が終わらないと夜中まで消したり書いたりしてた。

小学生、中学生時代は『頑張ってるんだなー』っと思ってたけど、今冷静に考えたら横領やってたんだと思う。

あとのあとからお金の話し合いで私の妹に『昔の会社は横領したて疑われて辞めた』と言ってたけど今私が大人になりあのときの行動を見たら横領してたんだと思う。

その時に母方の祖父母が生活費を肩代わりしてたかもしれないと、まだあとに気づく。

もう既にギャンブルに生活基準が向き始めてたんだろう。買い物もデパートの購入品、美容室も頻繁に行く。
身なりはまだ、キレイにしてた。

私が高校に、入学しとにかくバイトしろと言われバイト先も、決められ給料の通帳はお母さんが管理しとくと言われ、疑うこと無く預けていた。

給与明細は毎月見るけど通帳は一度も見たこと無く毎月一万渡されてた。

そのころポケベル、携帯が出始めたバイト代で足りるから安心してた。

高校3年で急に大学いけと言われ、今まで全く興味も考えたこともない大学に行けと言い始め、三者面談でしっかり向き合ってくれた先生で母親にだいぶ言ってくれたけど三者面談中に母親が切れ始めて先生に罵声を浴びせ、私は大学受験の道に行くことになった。
落ちるように白紙で出したけどほぼ作文と先生の推薦文で受かってしまった。

泣いて泣いて泣いたけど

今考えたら大学入学の御祝いをギャンブルに使ってたと思う。

私がバイトで使ってた通帳の引き落としたり入れたりの金額の差が凄く、普通の給与では出来なりやり方で結局残高300円を結婚するときへその緒と渡された。

祖母が認知症入る前に、今まで御祝いを沢山渡してきたと言われたけど私には1回も届かなかった。

ギャンブル依存症は家族を苦しめる。

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