禍話リライト「なぞる部屋」
骨折しちゃいましてね、足首を。
その体験者の方、Fさんっていう女性なんですけど。
会社でばりばりに仕事されてる、今は四十くらいの方で、
その方が三十五、六ぐらいの時の、だから四、五年前の話なんです。
不慮の事故で足首を骨折してしまって、一か月自宅療養という話になったんですけど、
それまでばりばり仕事してた人が突然の事故でそうなっちゃったから、
急にやることがなくなったんですよ。
家で勿論仕事もするんだけど、例えば日中、
平日の昼間にぼおっとワイドショー観ることなんてそれまで考えられなかったから。
しかもご両親もテニスとかママさんバレーとかにガンガン行くタイプの人だったから、
明るいうちはもうひとりでいるしかない。安静にするしかない、と。
最初のうちは本当に安静にしなきゃいけなかったからいいんだけど、
歩く練習しだすような後半になって来るともう余計に手持ち無沙汰になって。
それで散歩とリハビリを兼ねて、マンションの中とかを歩くようになったんですって。
元々交流が盛んなマンションで、周りもFさんのことはよく知ってるから、
「こんにちは。大変でしたね」
「ああ、いえいえ。もうだいぶ歩けるようになりました」
そうやってたまにすれ違う人たちと雑談をしたりしてて。
「おねえちゃんだいじょうぶー」
「うん、大丈夫だよ。お姉ちゃんって言ってくれるのか、いい子だねえ」
それなりに時間も潰せるからってことで、
よく歩くようになったんですって、マンションの廊下とかを。
それで或る時、いつもとは違うフロアを───仮に四階としましょうか、
四階を歩いてたんですけど、その当時四階ってたまたま人があんまり住んでなくて。
何人かの引っ越しが重なったりしてて、他と比べたら人がいなかったんですよ。
平日の昼の時間だったらなおさらで、けっこう静かになってて。
だからまあ、歩く練習にはちょうどよかったんですよね。
それでしばらく歩いてて、ちょっと階段を上り下りしてみようと思って、
四階の非常階段に繋がる扉をがちゃっと開けたら、そこで誰かと出くわしたんです。
「わっ……あ、こ、こんにちは」
見たら、自分と同じフロアに住んでる、幼稚園児の女の子でした。
その子、Fさんに会うと挨拶もそこそこに階段を下りて行ったんですけど。
その戻っていきかたとか反応が何というか「見つかっちゃった」みたいな、
そういう感じのリアクションだったんですよね。
なんだ? ってFさんは思って。
四階に同世代の子供とか、子供を可愛がってお菓子とかくれる老人とかもいないはずで、
いたとしても今の時間は出払ってるだろうと。
何となく気になるから、次の日も四階を歩いてたんですけど、
今度は違う男の子が四階に入ってきて、どこかに移動してるのを見たんですって。
そこでFさん、これひょっとして、って思って。
ひょっとして空き室が何かのミスで鍵開いてて、
そこが秘密基地というか、子供たちの遊び場になってるんじゃないかって、
そう思ったらしいんです。
これはよくない、確認しないとって思って、
さっき男の子が移動してった辺りを探してみたんですけど、
そこは鍵もちゃんと閉まってる空き室か、もしくは人が住んでる部屋しか無くて。
腑に落ちない感じはしたんですけど。
でもまだ人に相談する段階ではないだろうし、
マンション使った鬼ごっことかかもしれないしって思って、
Fさんその日はそのまま帰ったんですって。
今考えると、遊んでるにしては子供たちの声も一切聞こえてなかったんですけど。
それからもリハビリと自宅療養を繰り返してて、
確か一週間と経たないうちに、また廊下で女の子と衝突したんですって。
それは四階で、しかも一番最初に出くわして戻ってった、あの女の子とぶつかって。
これは何かあるに違いないと思ったFさんは、
ちょっとカマをかけてみようとしたんです。
「こら。だめでしょ、何してるの」
「あ、えっと…………ごめんなさい」
あくまでもぶつかったことを怒ってるテイで、子供たちが何をしてるのかを探ろうと。
「危ないでしょ、ちゃんと前見て歩かないと」
「はい…………」
「それにね、知らない人のお家に入っちゃだめでしょ?」
「はい、ごめんなさい…………」
あ、やっぱりそうなんだ。
Fさんは少し驚いて、少し根掘り葉掘り聞いてみたんですって。そしたらその子、
「四〇三号室で、お姉さんと遊んでたの。ごめんなさい」
みたいなことを言ったんです。でも。
そこ、空き室なんですよ。お姉さんどころか、誰も住んでない。
えっ、誰かいるの? 不審者? みたいなことを思いながら、
件の部屋まで行ってみたんですけど、でもその部屋には鍵かかってて。
ただその子が嘘を言ってる感じはしないし、
誰かが中から鍵を閉めてるかもしれないって思って。
「ちょっと……これは、管理人さんに相談しよう、一回」
「わあ、ご、ごめんなさい、そのっ」
「ああいや、これがあなたが悪いっていうか、大人の問題だから。大丈夫だいじょうぶ」
管理人のおばさんに話したら、おばさんも驚愕してて。
すぐその部屋に行ってマスターキー的なやつで開けたんですけど、
中には誰もいなくて。
女の子も「あれ、いつもいるのに」みたいな感じできょろきょろしてるんですよ。
もうFさんと管理人さん、どういうこと? って女の子に聞いて。
「それ、どんなお姉さんなの?」
「どんな、おねえさん……?」
「その、髪型とか」
「えっと、かみがたは、ながいかみの」
「長い髪。他には何か、ある? 背が高いとか、声はこんな感じとか」
「……わかんない」
「わかんないか……どこにでもいそうなお姉さん、ってこと?」
「いや、いつもおへやがまっくらだから、わかんない」
え?
ぱっと見たら、確かにその部屋、窓という窓がぴっちりカーテンで遮られてるんですね。
確かに、ほんとだ。空き部屋ってこんな感じにするんでしたっけ、って二人で言ってたら、
その子はさらに話を続けて。
「おねえさん」はいつも、この真っ暗な部屋にいて。
彼女は居間で後ろを向いて座ってるから、
子供たちは四〇三号室のドアを開けてそこに向かって、遊ぶんですって。
カーテンを閉め切った、真っ暗な部屋の中で。
「───それ、どうやって遊ぶの?」
Fさんが聞いたらその子は「えっとね」って、少し考えて。
ちいさなてのひらの、人差し指を立てて。
「おねえさんの顔をね、ひとさしゆびでなぞるの」
それ聞いて、めっちゃ怖くなって、二人とも。
管理人のおばさんなんかビビりすぎて、
「それ、何が面白いの?」
ってその子に直球で聞いたんですよ。
「え。……うーん、わかんないけど。
どっかさわったら『ふふ』っておねえさんがゆれたりするのが、
おもしろい、…………のかなあ」
もう、ぞっとして。意味は全く分かんないんですけど、凄く怖くなって。
しかも何が怖いって、その子によく聞いてったら、
そこに住んでる幼稚園の子、大体この部屋に来てるって言うんですよ。
いつからって聞いても、よく覚えてないって言って。
それで、これは町内会長を招集だ、緊急集会だ、って話になったんです。
とりあえず鍵は換えるとして、
不審者情報としてマンション全体に通達しないといけないし、
そこって入口に防犯カメラもちゃんと付けてるから、
それ持って警察に相談しておこうと。
「いやあ、なんかマンションが大変だなあ」って、
事の顛末をよく知らない両親が、帰ってくるなり話をしたんですけど、
Fさんはもう「うん、そうだね」としか言えないんですよね。
話をしようにも、どう説明をすればいいのか、
そもそもあれが何なのかも全く分かってないわけで。
「風呂は病人から入るべきだ」みたいなことをお父さんが言って、
その日は早いうちにFさんがお風呂に入ったんですけど、
お風呂入ってもやっぱり気分は優れないんですよ。
それで髪を洗いながら色々考えてたら、いつもより長風呂になっちゃって。
こんこん、とノックの音が聞こえてきたんですよね。
あ、長風呂だから心配しちゃったのかなって、
「いや、大丈夫」
そう言いながら入口に顔を向けたんですけど、
誰もいないんですよ入口には。
そこで気付いたんですけど、
お風呂場の外に面してる換気用の、
ほんのちょっとしか開かない曇りガラスがあって、そこ叩かれてるんですよ誰かに。
ばっとそっち見たらそこに人の顔があって。
窓にびっちり顔を付けてるみたいな白いシルエットが、
曇りガラス越しに見えていて。
くぐもった感じの女性の声で、
「こんばんは」
って窓越しに聞こえてきたらしいんです。
Fさん、あまりのことに思わず、
「…………こんばんは」
そう返したらしいんですよね。そしたら女性が、また喋りだして。
「いちど、おはなししておきたくて」
「…………な なんの、ですか」
「あそびのじゃまするな」
這這の体でお風呂場から出てきたFさんと、
Fさんがしどろもどろで説明した内容に驚いて、
その場所にお父さんが飛んで行ったんですけど、
誰も居なかったらしいんですよね。
そもそもオートロックで、
お風呂場の窓に関しては外から人が入ってどうこうできる構造でもないから、
お父さんは何か見間違えたんだろう、って言ったんですけど。
当然Fさんは、だからといって恐怖が消えるわけもありません。
「いや、今本当にいて、人、おんなのひとがいて、」
「いや誰もいないって、ほら…………臭っ」
そこで、風呂場の窓の辺りを見回っていた両親が突然に騒ぎ出しました。
何でも、先ほどまであれが立っていただろう場所、その辺りから、
火傷したときに塗るような薬品の強い臭気がしたらしいんです。
そこで両親も、これが例の不審者騒ぎか、みたいな感じで慌てだして。
Fさんもあまりのことに気分悪くなっちゃって、
実際暫くは少し熱も出ていたらしいんです。
そういう状態だから、変な夢も見るんですって。
夢の中で自分の家の中にいるんですけど、家の中はカーテン閉め切って真っ暗で。
何故か居間のリビングには知らない女が後ろを向いて座ってて、
それを見た瞬間に体が勝手に動くんですって。
ひとりでに女に近づいていくうちに自分の右手の人差し指が立っていって、
うわあなぞらない、なぞらないから、って全力で拒否しているうちに、
漸く目が覚めて飛び起きる。そういうことを何回も繰り返したらしくて。
お母さんも流石に心配して、
サークル休んで近所の病院にFさんを連れて行ったりしたんですけど、
まあ解熱剤と栄養剤を出しておきましょうか、くらいの話にしかならなくて。
その後で家に帰って、お母さんはゼリーかなんか買いに行ってくるって、
もう一回家を出たんですけど、暫くしたらばたばた帰ってきて。
「ねえちょっと、近所の幼稚園が大変みたいよ」
よく分からないんだけど、幼稚園のとある年代で集団パニックが起こったらしくて。
幼稚園から小学生くらいの子供って、
何々菌とかバリアとか、そういうやつあるじゃないですか。
タッチしたらそれが移って、また誰かに移さないと、みたいな。
それを、幼稚園の何人もの子供たちが、泣き叫びながらやってたんですって。
「でも、おかしいのはさ」ってお母さんが人差し指を立てて。
「普通そういうのでタッチするときって、掌とか、両手とかでやるじゃない?
なのに皆、人差し指立てて、顔にタッチして回ってたんだって。
泣き叫んで、ほとんどパニックみたいな状態になりながら」
それを聞いたFさん、もう最悪の気持ちになって。
また布団に入って、寝ることにしたそうです。
部屋の外では、帰ってきたお父さんが話をしてるのが聞こえてきて。
「思った以上に深刻らしくてな。なんでも、
マンションの防犯カメラ見てもよく分からないから、
今度から暫く警察が巡回するみたいな話になってるらしい」
もう、布団の中で無理矢理に目を瞑って。
そんな風にずっと寝てたからFさん、
変な時間に目が覚めちゃったらしいんですよね。
夜中に目が覚めたんですけど、一切体が動かないんですよ。
いわゆる金縛りの状態でした。
しかも、目を瞑った向こうから、明らかに人の気配がしていて。
嫌だ、嫌だって目を瞑りながら、動かない体を何とか動かそうともがいていたら。
額に誰かの指が当たって。
つう って鼻のあたりを通っていく感触がしたそうです。
「わかる?」
よく知る女性の声がしました。首を横に振りたいんですけど、
体が動かないからどうすることも出来ない。
すると、鼻先に指を置いたその女性が。
「わかんないよなあ おまえなんかには。はは は は」
顔のすぐ近くで、けたけたと笑い始めたんです。
そのよく知る女性の声ってね、お母さんの声なんですよ。
あまりにも恐ろしくて殆ど気絶みたいな状態になって、
気が付いたら朝になっていました。
寝汗でパジャマはぐっしょりと湿っていて、
寝覚めはこれ以上なく悪かったそうです。
居間で朝の支度をしている両親に変わった様子はなくて、
「熱引いた?」なんて聞いてくるんですけど、生返事しか出来なかったそうで。
ただ汗かいて熱は大分引いてる感じがしたから、
取り敢えず顔洗おうと洗面所に行ったんです。
「えっ」
洗面所の鏡に、脂ぎった指のあとが付いていました。
かぴかぴに乾いて黒くなった、血か土のような何かが、
その脂に滲むみたいにへばりついていて。
例えばですよ、例えばですけど、鏡に顔がうつったとして、
その顔を指でなぞったらこの位置だろうなっていう場所に、
その指のあとは伸びていたらしくて。
当然ながら両親もそれを知らなくて、朝から大騒ぎになったそうです。
結局、カメラに写ってないってことで、どうしようもなくなって。
マンションの管理者が無理矢理に神主とかいっぱい呼んで、
お祓いみたいなことをしてもらったそうです。
「うちはそういうのやってないから」って言っても、
「いや、厄払いとかじゃなくてもこう、
幸せになりますようにとか、なんとか成就祈願とか、何かあるだろ。
それでいいからとにかくやってくれ」って。
それから、何か表立って変なことが起きたりはしていないそうで。
まあ、そんなことがあったもんだから、
例の部屋とその周辺は未だに空き部屋で、
そもそも人が寄り付かなくなってるらしいんですけど。
ただ、Fさんが言うには。
あの年、集団パニックを起こした子たちはもうあの部屋に入ってなくて、
もうそのことを覚えてもいないんです。
ですけど。
「今は、次の子たちが入ってるかもしれない」らしいんです。
もう住人の誰も、それを追求しようとはしないんですけど。
怪談ツイキャス「禍話」の「元祖!禍話 第十八夜」より、
53:11辺りからのお話を編集、加筆したものです。