禍話リライト: 忌魅恐「ただ静かに見ている人たち」
これは、関東地方の話、ということにしましょう。
関東のとある地域に、安めのアパートが乱立しているような場所がありまして。
車が一台通れるかな、みたいな狭苦しい道に、
三、四階建ての古いアパートが密集してる、そういうところ。
住んでる人は外国人労働者とかが多いらしくて、
“ATTENTION”とか貼り紙がしてあるような。
まあよくある安アパートですよね。
そのうちの一棟に引っ越した奴がいて。
まえのアパートの別の階が火事になっちゃったらしくて、
それで引っ越さざるを得なくなったとかで。
引っ越し祝いじゃないけど職場の友達が、
そいつの住んでる部屋に行ったんですって。
その引っ越した奴のことを仮に、まあBくんとしておきましょうか。
Bくんの住んでる部屋に───男の一人暮らしで場所も安いアパートだから、
それほど綺麗ではなかったそうなんですけど、そこに友達呼んで集まって。
「良かったなあ。急な引っ越しだったけど、場所が見つかって」
「ああ、すごい安いんだよここ」
「まあ、だろうな。壁も薄そうだし」
「そうなんだよ。しかも、ただでさえ安いアパートの中でも、
今俺が住んでるこの部屋、303号室って特に安くて。
ここだけ他の部屋よりも一万くらい値段が違うんだよな」
「はあ? 安すぎるだろそれ。え、事故物件とかなのここ?」
「いや、俺も不思議に思って色々調べたんだけど、
この部屋に何か変な曰く因縁とかは無いんだよ」
ただ、変な話なんだけど。
いま隣の部屋に住んでる人は、死んでるかもしれない。
Bくんはそう言うんです。
当然、何言ってんだよお前ってなりますよね。
そしたらBくん、ちょっと見てもらっていい? って友達に言って。
「見てって、何を?」
「隣の部屋のドア。来る時とかに見たりしなかった?」
「見ねえよ、隣のドアなんか」
「そうだよな。じゃあちょっと───見てもらっていいか?
階段上ってきて、うちが303号室だから、304号室のドア」
思いつめたような表情でBくんがそう言うから、
友達の一人が玄関出て、その304号室をぱっと見に行ったらしいんですね。
で見に行って、すぐ帰ってきて。
「え? なにこれ、え?」
戸惑ったというか、混乱した感じで。
「服がはみ出してるけど、何あれ?」
その友達とか、Bくんが言うには。
作業着か何かの袖が、ドアから突き出てるらしいんですよ。
どうにか頑張って玄関のどっかに引っ掛けたのか分かんないけど。
つまり、部屋干ししてるみたいなかたちの服がそこに、玄関にあって。
玄関からはみ出した袖の部分がドアに挟まって、
微妙に半開きみたいな状態になってるんですって。
これ、部屋の中どうなってんの? って。
ちらっと見えてるその作業着もかなりぼろぼろだし、
やばいなこれ、って話になって。Bくんも「そうだろ」って、話を続けて。
「引っ越し初日にそれ見て、
えっと思ったんだけど、それが未だにそのままなんだよ。
しかもな、隣から一切物音とかしないんだよ。
ほら、二日前とか大雨だったろ? その時俺一日中家にいたんだけどさ。
それでもずっと、そっちの部屋からは何の音もしなくて。
反対側の、もう片方のお隣さんの部屋からはね、よく音がするんだよ。
テレビとか、エアコンの音とか、壁薄いからさ。
でもこっちからは一切、音がしなくて」
だから。
死んでんじゃねえのかなって、思ってて。
「ベランダも見てみ?」
Bくんがそういうからまた誰か一人がベランダに行ったら、
件の304号室のほうをちらっと見てすぐに「おいおい」とか言って。
「うわ、ベランダ中ごみ袋でぱんぱんになってんじゃん。
これ夏とかやばいんじゃないの」
そう言いながらベランダから戻ってきたんです。
「そうなんだよ。で、玄関のこともあって怖いから管理業者に言うんだけど、
そのたびにお茶濁されるんだよね」
「えー、なにそれ」
「なんか『確認には行ってるから』とか言われて、
じゃあ具体的にどんな確認なんですかとか言ったら、お茶濁すんだよね」
やべえなここ、はやくお金貯めないとな、って話をして。
暫くして、一週間くらい経ってからかな。
Bくん、すごい深刻そうな顔で職場にいるんですよ。
あの話聞いてた職場の友達も心配して。
「おい大丈夫か」
「死んでたのかやっぱり」
とか言ったらBくん、
「それよりも悪い」
って言って。
それよりも悪いってどういうことだって、話を聞いていったんですって。
俺、引っ越したばっかりで色々ごみとか出てたからさ。
朝にちょっと早起きして、家とごみステーションを往復して、
段ボールとか捨てに行ってたんだよ。
そしたら急に「すいません」って話しかけられて。
見たらスーツ姿の男の人で、
このアパートの住人なんですか、
3階に住んでらっしゃる方なんですか、って聞いてくるから。
ああ、なんか刑事さんとか役所の人とか、
あの部屋のことで調べてる人なのかなって思って。
俺は別に疾しいこととかないからさ、
はい3階の、3号室に住んでて、って答えたら。
「お隣の住人のことなんですけども」
って言って、色々質問とかされたんだよ。
されたんだけどさ。
聞いてることがいまいち噛み合わないっていうか、
話してる途中で俺も、これ刑事とか役所の人とかじゃないかもって思ったんだけど。
質問の内容が、なんか変なんだよ。
例えば住民の生死を確認するとか、
最後に姿を見たのはいつですかとか、そういう質問じゃなくて。
「壁に耳とか当ててみましたか?」とか。
「ベランダはどうなってますか」って聞かれたから、
「ベランダは、ごみ袋がいっぱいで」って答えたら、
「その中にこういう色のシャツは含まれてますか」って聞かれたりとか。
だから俺、段々気持ち悪くなってきてさ。
そこまでは知らないです、って言ったら、
そのスーツの人も「そうですか」って言って、
とりあえずこれお渡ししときますから、って名刺みたいなのを渡されて。
また来ますんで、って帰っちゃったんだよ。
何というか、見た目自体は凡庸な、
部屋に帰るころには特徴忘れちゃったみたいな人なんだけど、
やっぱ聞かれた内容とかが変だったからさ。
部屋の中で、何だったんだろうなって思って、
さっきもらった紙を見て。
それ、なんにも名刺じゃないんだよ。
ただ名刺くらいの大きさの紙にボールペンで直接、
言葉なのかも分からないような文字が書かれてて。
そこまで聞いて、職場の友達も何だそれって言って。
分かんないけど、とにかくやばいって話になったんですよ。引っ越した方がいいって。
結局それから、依然として隣から音がすることはなかったんですけど、
でもスーツ姿の奴がちょこちょこうろついてるって話になって、アパート全体で。
だからそのアパートに、注意喚起みたいな貼り紙が貼りだされるようになったんですって。
気を付けてください、こっちでもちょっと警察に相談しています、
そういう内容で、日本語と英語の両方で。
だから正直、あんまり居たくないじゃないですか。そんな建物に。
それでBくんも、友達とかの家を転々としてるような状況になってて。
そんな時に、付き合ってる彼女さんが一回家に来て、
家の様子を見たんですって。貼り紙とか。
隣の玄関から未だにはみ出してる、ぼろぼろの作業着の袖とか。
それで彼女さんが怖がって、というかBくんを心配してくれたらしくて。
もうあたしんとこに転がり込めば、みたいな話になって、
Bくんもそうしようかなって思ったんです。彼女さんのお家に引っ越そうって。
すぐに諸々の手続きとかをして。
違約金とか出るのかなって思ったら、払わなくて済んだらしいんですよ。
いや普通違約金出るだろ引っ越したばっかなんだしって、友達も言ったんですけど、
うん、でもなんか払わなくていいって話になったって、Bくんも怪訝そうな顔で。
「あ、じゃあ最初に渡した金とかは戻ってこなかったのかな」
「いや……それも、返ってきた。全部じゃないけど」
どうなってんだよその家、ってなって。
もう、すぐに引っ越しをしようってことで、
事情を知ってる友達とかで集まって、引っ越し作業をしたらしくて。
荷物やら家財道具を出して、夜ごろになって作業が終わったんですって。
良かった良かったって、がらんどうの部屋で皆ちょっと一息ついて。
「みんなありがとな、こんな急に」
「いや、いいよ別に」
「この近所に飲み屋があるからさ。今から皆で行こうぜ。お礼に俺奢るわ」
その時、ベランダでタバコ吸ってたやつが。
急に灰皿代わりの空き缶とたばこ持って、
「ちょ、ちょっと、おいおいおい」
物凄い焦った感じで部屋に戻ってきたんですよ。
どうした、って皆が言ったら。
「た、立ってる。隣の、あのベランダに、誰か立ってる」
「は? いや立てないでしょ、ごみ袋やばいんだから」
「いや、うん、でも、どうやってるのかは知らないけど、とにかく立ってた」
「立ってたって───でも、誰が」
「多分、男だと思う」
その友達、手がぶるぶるに震えてるんですよ。
明らかに嘘とか冗談を言ってる感じじゃない。
そこで、もう一人が勇気出して、
開け放しのベランダに行って、隣をちょっと覗いたらしいんですよね。
そしたらその人も、暫くは怪訝そうな感じでそっちを見てたんですけど、
急にはっと怯えた表情になって、
「やばい、やばい、やばい」
って部屋の中に戻ってきたんですよ。
どうするの、出たほうがいいの、って聞いたら、
「いや、出るな、出るな」
って言って。暫くここにいたほうがいいかもしれない、
みたいなことを言うんですよ。さっきの人と同じく、ぶるぶる震えながら。
その人が言うには。
何があるんだろうって思って、ゆっくり顔を出してみたんだよ。
そしたら、ベランダに立ってる人は見えなかったけど、
腕が見えたんだ。
多分ベランダに誰かが立ってて、
その人が手すりの向こうの空中に向かって、
腕を突き出してて。右腕だったんだけど。
その、右手が見えたんだよ。
その右手が。
ひとつ、
ふたつって、
ゆっくり、指を折っていって。
ちょうど今、この部屋にいる人数を数え上げたところで、
ぴたりと止まって。
すっと、腕が引っ込んだんだ。
その友達はそう言ったんです。
依然として全く音がしない、隣の部屋に接してる壁を見ながら。
そこから、出たほうがいい、いや出ないほうが、って、
部屋の中で意見が割れて押し問答みたいになって。
でも、もう取り敢えず出よう、
もう夜だしすぐに出ないとまずいって話になって。
財布とか携帯を持ったのを確認してから、
皆で一斉にばんと扉を出たんです。そしたら。
自分たちのドアの前、303号室は特に何もなかったから、
ひとまず安心して、みんな一斉に出て鍵を閉めて、
ぱっと隣を見たら。
その304号室の扉の前に、
少なくとも六、七人はいるような、人だかりができてて。
そこに立ってる、老若男女の集団が。
一切の音を立てないで、微動だにせず、
あの部屋のドアをじっと見てるんです。
壁の薄い部屋の中にいても多分気づかないくらい、静かに。
そこでBくんも友達もみんな、一斉にアパートの廊下を走って。
外階段をばあっと駆け下りて一階まで着いたところで、
皆立ち止まって、息も絶え絶えになって。
Bくん、そこでぜえぜえ息を吐きながら、
あいつもまじってた、
あいつもまじってた、
あの、スーツ着たやつが、
あいつが先頭にいた。
そう言ったそうです。
それを聞いて、もうみんな早くここを出よう、遠くに行こうって話をして。
何とか息を整えてから、その敷地を出たんです。
狭苦しい入り組んだ道を通って、
ここを曲がったらもうアパートが見えなくなるってところで、
最後にその建物をふっと振り返ったら。
人数が倍くらいに増えてたそうです。
十数人の人だかりが、あの部屋の前にできていて。
あまりに人が多いから、そのうちの何人かは、
さっき自分たちが出てきた部屋のドアのすぐ前にも立っていて。
もし部屋を出るのが少し遅れていたら、
確実に鉢合わせしていたであろう位置にも、何人もの人がいて。
そこにいる十数人の男女は、ぴくりとも動かず、あの部屋をじっと見ていたそうで。
すぐにその敷地を出て、
その晩は皆で、浴びるほどお酒を飲んだそうです。
少し時間が経って、気が付いたら、
そこの建物だけが取り壊されていたらしくて。
車が一台通れるかみたいな入り組んだ道に乱立してる安アパートですから、
そこだけを取り壊すって相当難しくて、
よっぽどの事情がない限り壊そうとはならないと思うんですけど。
でも、無理矢理に重機を入れて、ある一区画の建物だけを、
どんな事情かは分からないですけど取り壊したらしくて。
そこは今、ベンチと申し訳程度の砂場しかないような、
金網で囲われた、へんな立地と名前のちいさな公園になってるらしいですよ。
怪談ツイキャス「禍話」の企画「忌魅恐NEO 第一夜」より、
2:05:46辺りからのお話を編集、加筆したもの(記事内の画像は自作)です。
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/625554757
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