スイスに恋する女
恋焦がれる場所がある。
雑誌で見た風景、なんとなく見たテレビ番組のロケ地。
それまで人生に関わりがなかった場所、名前も知らなかった地に、突然深い興味と関心が湧く。
そこに行きたいと心が訴える。
なぜがは分からない。
私の場合のそれは、スイスである。
▽
今年の4月中旬にスイス旅行を予定していた。
しかしこのパンデミックによりキャンセルせざるを得なくなったのは言うまでもない。
私がスイスに惹かれたのは、約2年前。
その時私は東京で働いていた。それは人生で2度目の親知らずを抜いた日だった。
ちなみに初めて歯を抜いたのはその1週間前で、この時の私は4本の親知らずを毎週歯医者で1本ずつ抜いている最中だった。特に急いで抜く必要もなかったが、私はどこか生き急いでいたのかもしれない。
とにかくその2本目の親知らずを抜いた夜、麻酔が切れるとかなりの痛みが私を襲った。1本目の時よりも強く、耐えられないほどでは無いが眠れないくらいの痛みだ。
そこで私は潔く寝ることを諦めた。そして動画サイトで夜通し時間を潰すことにした。
これを機に、前から少し気になっていたけれど、なかなか見る機会がなかった某アイドルグループの勉強をしようと思った。
アイドルグループは好きだ。特にグループは、まずメンバーの顔と名前を覚える作業が楽しい。良い時間つぶしだ。
そしてまだ顔の区別もつかないアイドルたちの動画を見漁った。そうしているうちにそのアイドルが旅行をしている動画を発見した。
その旅行地がスイスだった。
そして私はそれ以来、縁もゆかりも興味もなかったスイスに恋をしてしまうことになる。
ちなみに、そのアイドルグループにもしっかりハマったのは余談であるが。。
▽
話は全く変わり、私のここ数年の話をしよう。
私は九州福岡の大学を卒業後、就職せずにオーストラリアへワーキングホリデーに行った。
実は就職活動すらまともにしていない。だが就活対策は万全に準備をしていた。
その時代の新卒就活は12月1日に一斉スタートだった。そして私はそれまでの人生ずっと、自分は就職して社会でしっかり働く人間になると疑う余地なくそう思っていた。
だが迎えた12月1日、その日開催される合同企業説明会に着ていくスーツを見ながら、黒髪に染めたばかりの私は突然思った。
「自分の人生、これでいいのか?」
…思ってしまった。いや、いつかは思うことではあっただろうが、まさかのタイミングだった。
就職はおろか就職活動を始める前に、私は規定のレールを踏み外すことになる。
型にハマった生き方というのは楽だ。自分で深く考える必要がなく、生活が安定していると心にも余裕が生まれる。
だが、大学生だった私は全く逆のことを考えていた。
就職をすることは社会に貢献することだ。やりたいことも無いのに違う道へ進むことは、"逃げ"であり"楽"をすることだと。
そんな自分と周囲を納得させるために、留学という耳障りの良い理由を用意し、海外へ旅立ったのである。
人が動く理由なんてそんなものである。大きな決断のように見えても大義名分など多くの人に期待してはいけない。
結果として私は1年間のオーストラリア生活で、人生2〜3年分にも思える経験をした。
だが、1年後にはその代償として信じられないほど体が悲鳴をあげ帰国することになった。
若さとは自分の限界を知らないことである。
帰国後の私は、自力でベッドから起き上がれないほどに体を壊し、半年ほどニート生活を余儀なくされた。
それから体調が少し回復した頃、知人の紹介により、東京の会社で働くことになった。
社会復帰のリハビリとして緩く働くことを決意した私は、実家のある九州からスーツケース1つで家も決めずに上京したのである。
東京での生活はとても楽しかった。田舎者の私からすると、都会の一番の魅力は、多種多様な人間が存在することである。
その最たる地が東京だ。
変な人間に出会う頻度が田舎とは比べものにならない。
刺激的な街。
それから約2年の間を東京で過ごした。
だが、私にとってのこの生活はあくまでもリハビリ期間である。また海外で暮らしたい気持ちが募っていた。
この時の私は、日本で過ごす日々は無駄な時間だと決めつけていた。
オーストラリアからの帰国後、またすぐに海外へ行きたいと思っていたのに実行できないことへの焦りからだ。
そして私は、何の不満もなかった職場をとりあえず辞め、実家に帰ることにした。
仕事を辞めてしまえば何か新しいことを始めるしかない状況に、自らを追い込んだのである。
それは、2本目の親知らずを抜いた2ヶ月後のことであった。
私が人生で謎の行動力を発揮する瞬間というものは、自分が停滞していると感じた時だ。
ここまで私の数年史をたらたら書いてしまったが、つまり言いたいことはこれだ。
▽
話を戻そう。
2年前、東京にいた私は、スイスと出会った。
そしてその2ヶ月後には会社を辞め、新たな地としてカナダにワーホリに行く決意をしていた。
なぜ、カナダを選んだのか?
まず、すぐにスイスに行くお金がなかった。
それなら、また海外で働いて稼げば良い。
カナダならスイスに近いしビザも取りやすい。
という、全くもってカナダに敬意もクソもない理由で選んだ。
私は文字通り、スイスに行くためにカナダに来たのである。
そしてこの春、カナダでこつこつとお金を貯め、念願叶ってのスイス旅行を計画していたのだ。
最初に心惹かれた日から2年。飛行機もホテルも手配し、旅のしおりを作ってしまうほど準備を重ねた。
だが結果的には前述のようにキャンセルすることになった。
私がキャンセルを決意したのは、まだスイスもカナダも国境閉鎖をする前だった。だがヨーロッパでは日に日に感染が拡大していた。
旅行を決行することもまだ可能であった時期だ。
自分の利益だけを考えるならば、私はこの時点でも行こうと考えていただろう。
しかし、スイス旅行後に日本への帰国が迫っていた。自分が感染し親に移しでもしたら、私はスイスに行ったことを一生後悔してしまうかもしれない。そんなことを考えれば、キャンセルする以外の選択肢は無かったのだ。
もちろん、理屈ではわかっていても、自分の感情は納得しなかった。
2年前から行きたいと願い、そのためにカナダまでやってきて、お金を貯め、準備をした。
しばらくは、この自分の思いの熱量をどこに昇華して良いか分からずに落ち込んだ。前向きにはなれなかった。
「私は、ただ旅行をしにスイスに行こうとしていたんじゃない。
スイスに人生を見つけに行こうとしていたのだ。」
大したことはしていないがこの年まで生きていると、自分の人生で避けては通れないものが見えて来る感覚がある。
私の人生でいうと、「スイスに行くこと」「多言語を学ぶこと」「言葉を残すこと」などだ。
そしてその中でも、まずは恋い焦がれて仕方がないスイスに行っておかないと、その他のことに手がつけられないと思っていた。
この機を逃せば次はいつ行けるか分からない。
そして、それまでに自分が健康で生きているかも、死んでいるかも分からない。
「死ぬことよりも、死ねないと思う理由があることが嫌だ。」
そうして、生きる意味すらも見失いそうになっていた。
しかし、現実は容赦なく私のそんな儚い思考すらも奪った。
スイスについて考えてる場合じゃないほど、私の回りや世界の状況は深刻化していったのだった。
もはや個人の旅行にうだうだ言っているレベルではなくなったのである。
▽
いろいろな不安を抱えながらずっと家にいる生活の中で、私はカナダでの生活を振り返ってみた。
カナダに来た2日目に、私には気付いたことがる。
その日は銀行口座の開設やスマホの契約、行政機関での申請など、1日中手続きばかりだった。
そして私は自分が初めてオーストラリアに行った時のことを思い出した。
その時は英語も全く出来ず、こうした手続きは全てエージェント任せだった。初めて街を歩いた時は、コンビニのレジで会計をすることですらとても勇気が必要だったことを覚えている。
「私はあの時全てエージェントに任せていた手続きを、カナダでは自分ひとりでやり遂げた。」
それは単純に英語力が上がったとか、それだけが理由ではないと思えた。むしろ英語力は帰国後下がる一方であった。
私がオーストラリア生活の後、無駄に過ごしたと思っていた日本での数年間が、確かに私の人間力を上げていた。
体が動かせないベットの中で、変人が集まる街で、ぬるま湯のような実家で、私は確実に成長していたのだ。
「オーストラリアにいた時には出来なかったことが出来る。」
それが私にとっての自信となり、何も無駄じゃないと思えることが泣けるほど嬉しかった。
カナダに来て2日目にして、来て良かったと心から思えた。
▽
「そうだ、何も無駄じゃない。」
ありきたりな言葉すぎて耳をすり抜けていた言葉が、実感を持って胸に響いた。カナダに来て気付けたことだ。
「きっと今ではないタイミングでスイスに行くことで、今以上に得られることはあるはずだ。」
私が初めてスイス旅行の中止を前向きに捉えられた瞬間であった。
一応言っておくと、私は元来ポジティブ思考な人間である。
落ちた自分の心をプラスに持って行く作業は得意だ。基本的に寝ればすっきりする。だが、この時ばかりはいろんなマイナスが重なり、自分を持ち上げる作業にも疲れ切っていたのだ。
それが最近ようやく心の余裕を取り戻した。
なんせ、現状私はカナダで仕事もなくただ家で隔離生活をしている暇人だ。
こうなるといろいろと開き直れるし逆に楽しくもなってくる。
私はこうした現状の中、自分のスイスへの思いを発散できる場所を探していた。
そしてNoteに書ききってみるかとつらつら文字を打ってみたのである。
「世界と自分が停滞しているように思える今この現状も、無駄ではない、無駄にしてはいけない。」
そう思えたこのカナダの地で、何か新しいことを始めることにした。
「言葉を書くことがどこかへ向かう一歩になれば。
そしてそのどこかが、スイスだと良い。」
とはいえ、自己紹介文としては長いようで自己紹介としては短いような文となった。
しかし私がどんなことを考える人間であるかの紹介としては十分だと思う。
端的に言えば1文で済む話だ。
私は、スイスに恋焦がれる女である。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?