誰かの1番になることはもう諦めた
誰かの1番になれたらどれほど幸せなのだろうか。
私は誰かの1番になったことがないと思っています。
「それは誇張表現だろ」と思いますか?
例えば家族。
物心ついたときから両親は毎日のように夫婦喧嘩をしていました。夜中に目が覚めたら母の罵声が聞こえ、何かを投げる音が聞こえ、その直後には父の呻き声のようなものが聞こえました。
翌朝起きると母に「お父さんみたいな人と結婚しちゃダメだよ」と言われました。私から言わせれば、あなたのような妻になることのほうが恐ろしいし、もっと言えば結婚願望など微塵もなくなってました。
親の不仲は子どもの自己肯定感の成長を著しく阻害します。
例えば友達。
ありがたいことにこんな私にも友達が何人かいます。一生を通じて仲良くしたいと思える友達がいます。ただ、その友達にもたくさんの友達がいます。おそらく私よりもたくさんそれは存在しています。「何人かいる中のうちの1人」が私なのです。
例えば恋人。
奇跡のような確率で恋人ができたことがありました。ようやく誰かの1番になれると思いました。なれませんでした。土台にある「こんな私」が邪魔をして、愛想を尽かされたのでしょう。だんだんと私は蔑ろにされるようになりました。
恋人って何よりも大切な他人であったはずなのに、どうやらそうではないと気づきました。
20数年頑張って生きてきてこれだと、私はなにかおかしいのかなと感じてきます。
SNSを覗いてみると、上記3つのうちどれか1つは持ち合わせている人が殆どです。稀に全部持っている人もいる。
私には何もない。0です。
家族がだめなら友達。友達がだめなら恋人。
そうやって対人間の依存先を見つけようと頑張ってきました。
でも無理でした。やってみたけどダメだった。
暫くして気づいたのは、1人でも生きることはできるということです。
1人でも楽しい。1人でできる趣味もいっぱいあって楽しい。
でも隣で笑って同じことに触れてくれる人がいたらもっと楽しいかもしれない。
1人でできるからこそ、誰かとしたいことがある。
誰かの1番になることはこの人生でないだろうから、「誰かと」という夢はもう叶えられないけど。
私を前世とする来世の生き物に恨まれないように、せめて罪だけは犯さずに生きなければなと思っています。
弱いままで、この人生を、この世界をどうにか生き延びることができますように。