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「関心領域」

「特に何も起こらなかった」
これが映画を見終わった私の率直な感想でした。

これは間違いではないです。起承転結があるのかと言われればそういうわけでもなくて、普通の家族を映した120分です。

アウシュヴィッツ強制収容所の隣に住んでいるということを除いて。

家族の日々を淡々と流していく映像の奥から聞こえるのは、微かな喚き声や叫び声、銃声のようなものです。
初めはその音が耳に入って仕方がありませんでした。明らかに聞き逃すべきではないものだとわかりました。

しかし時間が流れていくと、私の中である変化が起きました。さっきまで気になっていた音が気にならなくなったのです。
それどころか、あまりにも緩やかにすぎる日常に退屈を感じるほどでした。

そうして最後まで観た感想が「特に何も起こらなかった」。
自分の感覚に気味悪さを覚えます。
壁の向こうで何が起こっているのか知っているくせに。

劇中の家族もおそらく同じです。隣で起こっていることを、全てではなくても知ってはいる。でも自分たちの日常を過ごしていくうちに、そこから聞こえてくるものは彼らの関心からは外れていくのです。

映画館を出てから、私は収容所の中で何が行われていたのか詳しく知りたくなり、検索してみました。
あの声の、あの音の正体は何か。

情報を取り入れた私は私の残酷さに漸く気づきます。
私もあの家族と同じだと気づきました。

観終えたあとの謎の不快感。
「何も起こらなかった」と思ったはずなのに。
ですが不快感を覚えるのは当たり前です。
劇中では確実に「何かが起こっていた」のだから。
見えなかっただけで。

音だけの表現で、視覚には一切影響を及ぼしてこないからこその不快感です。
音だけの情報は案外記憶に残りやすい。

自分の関心領域の狭さに落胆するとか、そんなものではないです。

私の語彙からはどのように表現したら適切かわかりません。

一つ言えることは、鑑賞直後よりも半日経った今のほうが気が滅入っています。

徐々に、でも確かに、私の脳内に侵略してきています。

観てよかったけどもう一回は観たくないと思わせるものがありました。

アウシュヴィッツのことを何も知らない人が観たら、ただの家族のホームドラマで終わるでしょう。
(途中明らかに不気味さを感じるシーンなどはありますが)

基礎知識の有無に関わらず、観た人の心に深く大きい何かを残していく映画だと思います。

関心領域というのは、所詮皆自分に関係ないところまでは及ばないものです。
関係ないところで被人道的な何かが行われていることを知っていても。
だって、「自分に関係ない」のだから。
関わってしまえば、関係者になってしまう。

関心領域を狭めるということはある種の自己防衛本能とも言えるのかもしれません。

最後にあのエンドロールの気味悪さ。
あんなに早く席を立ちたいと思ったことは初めてです。

早く自分を関心領域の外に出したいと思いました。

最初から関心領域の中になんていなかったくせに。


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