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居場所があること

これこそが「幸せ」なんじゃないかと思う。

自分を受け入れてくれる場所
自分を必要としてくれる場所
居心地がいい場所

こんなことを考えるのは、やはりムスメの将来を案じているから。

支援級に入学して、ムスメの学年のママ友のみならず、他学年のママ友からも毎日色々な情報をもらえて、
早くも中学からの支援学校の見学を予約してしまうという…。

勤め先の療育でも職権濫用で様々な情報をいただけて、有難い限り。
振り回されていることも多々あるが、自分を少なからず必要としてくれて居場所があると感じることができるから、長く働き続けているのだと思う。

ムスメは今、小学校に居場所があるから、楽しく通えている。同じく息子も。
それは親として一番嬉しいことである。

この先も、自分の居場所があると感じられる環境に身を置いてほしいと切に願うが、
ムスメの場合は、その環境を親である私達が、本人の状況を見極めて斡旋する必要があるから、難しいのだ。悩むのだ。
もちろん先生からの見解を含めて、決めていくのだけれど、最終決定は保護者だもんね。

もし作業所や施設で毎日嫌な思いをしたら、という不安から、親亡き後はどうするのか、まで様々な心配が頭から離れない。
本当の意味での「居場所」を残してからでないと、安心してあの世に行けない。

居場所は与えられるだけではなく、自分から作り出せる。
重要なのは自身に関わる「人」である。

ムスメにとって、この先も良い居場所があるように、まずは情報収集と、本人の可能性を信じて、出来る限りのことをしたい。

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