ブルース名盤紹介26 The Best Of CHARLEY PATTON/CHARLEY PATTON
いよいよ登場。
ミシシッピはデルタ・ブルースの父、
チャーリー・パットンです。
チャーリーパットンは1891年(諸説あり)
ミシシッピ州、ハインズ郡エドワーズの生まれ。
作物を地代として土地を借り、
小作人として働いていた父ビルと、
インディアンと白人の混血と言われている母、
アニーの子供として、
チャーリー・パットンは生まれました。
1897年に、パットン一家は、
北へ100マイルほど離れた
(大阪ー愛知間くらいの距離)
「ドッケリープランテーション」
へ移住します。
アメリカで最初の綿農園と言われた
ドッケリープランテーション。
所有者のウィル・ドッケリーは
労働者の自由な余暇の過ごし方を
好意的にとる人だったそうで、
人々は労働の疲れを音楽で癒しました。
この農園では、
同じくブルースアーティストの
トミー・ジョンソンも働いていたとの事。
このように、
「デルタ・ブルース」の中心地として、
このドッケリープランテーションは
非常に重要な場所と言えるでしょう。
またこの地域で、チャーリーは
ヘンリースローンという
ミュージシャンにも音楽を教わるなどして
ギターの腕を磨き、
地域の酒場などで演奏を始めました。
そして、1929年にいよいよ初録音。
14曲が録音されました。
その中から、まずは
”Mississippi Boweavil Blues”
Boweavilとは、害虫のゾウムシのことで、
綿花畑が大変な被害を受けました。
「ベン、(間)、キョイーン」
この出だしから、やられます。
そして歌い始める、
パットンの低い、存在感のある声。
ワンコードで繰り返しながら、
徐々にテンポが上がり、
演奏に熱がこもっていきます。
これがデルタブルースの父、
チャーリーパットンの世界。
他の追随を許さない、
深みを感じます。
”Pea Vine Blues”
日本のブルース愛好家の強い味方、
P-Vineレーベルの由来にもなった
「豆の木のツタ」を意味する”Pea Vine”。
デルタ地帯の広大な平地、
地平線の向こうへ繋がる線路を、
豆の木のツタに例えて
P-Vine列車と言ったそう。
まさに「豆」知識ですが
日本のブルース愛好家としては、
知っておきたい所です。
”Green River Blues”
この曲の3番の歌詞(1分ごろ)
”Goin' Where The South Cross The Dog”
は、W.Cハンディが、
ミシシッピの路上で無名の演奏家が歌うのを
聞き、衝撃を受けたものと同じです。
このエピソードは1903年の事で、
これがブルース最古の記録として
伝えられています。
恐らく、デルタ地帯に伝わっていた
歌詞なのでしょう。
”High Water Everywhere”
ミシシッピを襲った洪水を
テーマにした歌ですが、
鬼気迫る歌と演奏は、
聴いていて恐ろしい程。
刺激が強いので、動画添付は避けておきますが、
チャーリーパットンを語る上で
外す事の出来ない曲です。
その他、アメリカへ
奴隷として連れてこられた
アフリカ系アメリカ人の歴史にとって
特別な意味を持ったであろう、
黒人霊歌の
”I Shall Not Be Moved”
では、大変深く心にしみる歌を
パットンは聴かせてくれます。
曲のバリエーションがとても幅広く、
”Shake It And Break It”
の酒場でのダンスを思い起こさせる
騒がしい曲も魅力。
いかがでしたでしょうか。
ブルースの歴史において
チャーリー・パットンは大変大きな存在です。
パットンに限らず、
色々調べるにつれ、その周りにいた人々、
その祖先のことも、考えずにはいられなくなります。
苦しい状況を、歌にして
素晴らしい文化へと
昇華してきた人たちがいたという事。
その事に、感謝を忘れずにいたい。
そして、最高の音楽を
楽しませてもらっている事に感謝。
さて、今回はベスト盤を紹介しましたが、
コンプリート盤も必携です。
もってないのでなくなる前に買わなきゃ。