剱岳はとくべつな山だ。山登りを初めた頃の憧れの山であり、修行を兼ねてワンシーズン山小屋で働いた思い出の場所でもあり、またプロのガイドになってからは、この山をガイドしたいという思いで、研鑽を積んできた。剱岳で自分が活動できる範囲は、それでも物理的には剱岳のほんの一部分でしかない。
ここには、たくさんの登攀ラインがあり、様々なルート取りが可能で、能力とモチベーションに応じて、厳冬期、残雪期、無積雪期のそれぞれに、挑戦することができる。地元立山には日本で最も古いガイド組織のひとつで、経験豊かなガイドたちを擁する立山ガイド協会があり、まさに「剱人」と呼ぶにふさわしいガイドたちが、縦横無尽に剱岳をガイドしている。特筆すべきは、さらに富山県警の山岳警備隊の存在だろう。夏山シーズンには剱沢に常駐部隊がおり、救助要請があれば、数時間で山頂へまたさらに奥の北方稜線までまさしく駆け上る。頼もしい存在だ。
(平蔵谷を見下ろす。2020.7.16)
自分はクライミングのガイドではないので、八ッ峰などのマルチピッチのルートをガイドすることはないが、ノーマルルートである別山尾根でも、一般登山道としてはクライミングの要素が多く、お客様を案内する山としては、やはり最難関の山のひとつだ。
ガイド本などではカニのタテバイ、ヨコバイばかりが、取り上げられることが多く、悪戯に恐怖心を煽っているような気もするが、別山尾根の難しさは、全体の行程管理とあちらこちらに潜むリスクをスムーズに回避することだと思う。タテバイヨコバイはミスればもちろん命取りになる箇所だが、あからさまな危険を意識して行動する箇所なので、潜在的なリスクはむしろ少ない。
(山頂近くから別山尾根を見下ろす 2020.07.16)
剱岳でガイドをするようになってから先輩ガイドに教えられたのは、「別山尾根で最も気を抜いてはいけない場所は、下りの前剱周辺」ということだった。核心部を過ぎたことから来る気の緩み、疲労、そしてそれらが原因となって油断、スキが生じやすい場所、それが前剱周辺という訳だ。
また、ルートの問題も大きい。登りルート下りルートが違う箇所があり、正規のルート以外に微妙な踏み跡もある。細かいアップダウンがあって、あたかも登山道に見えるルンゼもいくつかある。間違ってルンゼに入り込めば、進退極まることになる。そして過去に事故が多い前剱大岩あたり。落石、滑落に細心の注意を払わなければならない。
だから一般登山者から見れば、こんなところでロープを出すのか?迷惑だ!と思われることもあるが、迷わずロープを結んで降ることが多い。
別山尾根は地元のガイドの方々や山岳警備隊、山小屋の方々によっていつもきめ細かく整備されているルートだが、それでも些細なミスが命取りになってしまう箇所があちらこちらに潜んでいる。
(別山尾根全景 左下に剱澤小屋、左中段に剣山荘 右上に八ッ峰と長次郎雪渓、中央やや右に平蔵谷 その右に源次郎尾根 2020.07.16)
行程管理で言えば、どの時刻にどこにいるか、その日の天候によって、危険な時間帯に危険な場所にいないようにすることがポイントだろう。またハイシーズンには混雑する別山尾根。タテバイヨコバイでの渋滞も起こる。お客様を案内する場合は、そう言った事態をなるべく避ける工夫をすることも重要だ。
剱澤小屋を起点に、登り4時間、下り3時間半、それに撮影時間や休憩時間をプラスする。他のガイドの方よりも、長い設定かもしれない。
夏山なら4時に出発して、一服剱あたりで朝日に照らされる山々を撮影しながら、核心部へ。山頂は8時半ごろ。9時に下山を開始して12時過ぎに山小屋に戻る、往々にして、天気が良ければ、撮影に時間をとられて遅くなることが多いが、それでも安全な時間と天候の間に安全圏である一服剱にたどり着こう、そんなイメージで臨むことが多い。
一昨年は、日没近い時刻に山頂付近で道迷いした登山者がいた。誤って源次郎尾根に降ってしまって進退が極まったようだった。剱沢から警備隊が真っ暗な中山頂へ駆けつけ保護、ビバークして翌朝ヘリでピックアップとなった。
昨年はやはり遅い時刻に別山尾根に取り付いて、初見でルートミスしているところを他の登山者に注意されながらも登山を続行、下山時に前剱周辺でルートミスして滑落、亡くなった若者がいた。
<感慨深い登頂>
今回は、COVID-19の感染が再び問題視されはじめた7月中旬の山行。山小屋も手探りで営業を開始した直後で、いつもと勝手がちがうことも多かった。新型コロナに対する意識とそれを反映する行動形式は、自分を含めて、職業を含む立場、年齢、居住地、そして考え方によって、本当に人それぞれ、千差万別だと感じた。
剱澤小屋では、小屋内ではマスク着用。談話室は使用制限。食事はひとりひとり衝立で区切って同じ方向を向いて黙々と食べる、缶ビールやジュースは、飲んだらそのまま捨てないで洗ってゴミ箱へ。個人のゴミは、まとめてビニール袋に入れてからゴミ箱へなどなど、考えられうる様々な方策が講じられていた。
ガイドとしては、登山中はマスクを外して行動することにしているが、お客様によっては着用したまま行動される方もいらっしゃる。他の登山者をみても、徹底して防御体制をとっている方もあれば、あまり気にしないでいる方も。グループでマスクを着けないでワイワイ登っている人もいれば、マスク着用して単独で黙々と歩いている人もいる。
感染防止対策はもちろん重要だが、ガイドもお客様も、家庭人、社会人であり、自宅から移動する、山に行く、山小屋に泊まる、という行動に対して、どう責任を取るか、あるいは周囲の人をどう説得するか、どのような意思表明をしどのように行動するか、結局はそこに行き着くのかもしれない。
天気は入山日の2020年7月15日は雨で、カッパを着て別山乗越を越えた。剱澤小屋に着くと新平さんが出迎えてくれた。乾燥室に直行し、山小屋での新しい行動様式のレクチャを受けた。いろいろ困難はあるがなるべくいつものようにリラックスして過ごそうと思い、お客様と居場所を見つけて寛いだ。
(タテバイの取り付きへ 2020.07.16)
(一服剱と剱沢 右に剱岳御前 左に別山 2018.07)
二日目は朝まで雨。今日の登頂は無理か、10時をリミットに、いつもで出発できる体勢で様子を見た。8時半ごろから天気が回復し始めたので、9時に出発。小雨になったり晴れたりを繰り返しながら前剱まで登った。剱沢全景が見え隠れし始め、順調に核心部を登って山頂へ。雪があったのはタテバイの取り付きへのトラバース地点のみ。それも岩と雪の隙間をくぐって難なく取り付きにアプローチできた。
山頂での展望はなかったが、下り始めると頭上に青空が広がり、別山尾根が見下ろせた。雲が湧き上がっては流れ、時々青空から陽光が差し込み、爽快な夏山登山だった。上りで下山してくる男性1名とすれ違った以外、誰にも会わず。剱岳を貸し切って大満足の山行となった。最終日は別山北峰で剱岳の定番撮影をして雄山まで縦走。一の越で雨に降られ始めたが、体が冷える前に室堂到着。途中、AGの近藤ガイドとすれ違いご挨拶をさせていただいた。
今季の夏山、これからどうなるのか、、。自分にできることを淡々とやっていくしかない。めげないで、頑張ろうと思う。剱岳とご一緒できたお客様に感謝。
(下:別山から剱御前を見る 2020.07.17)
Peak2Peak写真山岳事務所のガイド企画
「剱岳別山尾根」
日時:7月中旬以降から9月末ごろまで 山中2泊3日
装備:ヘルメット、ハーネス、岩稜に適した登山靴、20L程度のアタックザック
<山行レベル>
体力:★★★☆☆(3000m近い高所でスピードを保って終日歩くことができる)
技術:★★★★☆(岩稜をバランスよく歩く、登ることができる)
お客様に必要とされる技術:三点支持で岩場を登る
事前に求められる山行経験:西穂高岳、奥穂高岳、大キレットなどの岩稜の登下降
<データ>
1日目:室堂BT→雷鳥沢→別山乗越→剱澤小屋 泊
2日目:剱澤小屋→別山尾根→剱岳山頂→別山尾根→剱澤小屋 泊
3日目:剱澤小屋→別山北峰→希望があれば立山へ縦走→室堂
2日目の天候が悪い場合、3日目に登頂する場合がある
合計距離: 15km
最高点の標高 :剱岳山頂 2999m
最低点の標高 : 室堂BT 2420mm
剱澤小屋の標高:2480m
<撮影山行のポイント>
レンズの優先順位は、標準ズーム>広角ズーム。24-70mm程度のズームが重宝する。三脚があると夜間に剱岳の星景写真を撮ることができる。別山尾根ではカメラはザックにしまって行動する。安全な撮影ポイントでのみ撮影可能。
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Keep on Climbing!
Peak2Peak 檢見﨑誠
(上:平蔵の頭 2018.08)
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