スプリング・エフェメラル
山道で出会う花の名前が覚えられなかった。何度も同じ花の名前を覚えては忘れ、忘れては写真と図鑑を見比べて再確認した。暫くすると、花が咲く季節と場所がセットになって記憶に残るようになった。毎年、同じ季節に同じ場所で同じ花々が迎えてくれる。ああ今年もこの花たちに巡り会えた。寒い冬を雪に守られて過ごし、太陽の光を浴びて短い夏を謳歌する花々の姿に、心を動かされる。
スプリング・エフェメラル Spring ephemeral いつのころからか、雪解けと共に咲き、夏が来て植物が繁茂する前に姿を消す花たちをこう呼ぶようになった。「春の儚いものたち」という意味だそうだ。
春植物とも言う。彼らの戦略はこうだ。雪解けと共に地上に茎を伸ばし葉を広げ、他の植物が繁茂する前に太陽の光を浴びて光合成をし、素早く花を咲かせ種を蒔き、他の植物が伸長し葉を広げ光を受け取れなくなると、葉は萎れ地下茎と根が地下に残り翌年に備えて休眠する。
主に温帯の落葉広葉樹林の林床に咲く花達が多い。落葉した広葉樹林は春先、林床までよく陽が入る。北アルプスで言えば、上高地から横尾までの広葉樹林と春先に咲くニリンソウが、この組み合わせの典型だ。
梅雨入りが過ぎ、いよいよ本格的な雨のシーズンが始まっていた。その日は待ち合わせ時間が遅かった。宿の山小屋まで4時間半。ゆっくり歩いても夕食前の入浴時間に間に合う。いつもは観光客で賑わうバスターミナル周辺は、梅雨入り直後の平日とあって意外なほど空いていた。徳沢園で昼食を取り、横尾山荘から槍沢に入った。
新緑が幾重にもグラデーションを作り、あちらこちらでコマドリが高らかに鳴いている。時々ミソサザイのソプラノが絡んでくる。歩いていると登山道の脇に、とっくに終わったと思っていた白い可憐な花が咲いているのに出会う。ニリンソウだった。奥上高地のニリンソウは毎年5月中旬から6月第一週までが旬。
ニリンソウはスプリング・エフェラル。ニリンソウのお花畑は、梅雨に入る頃には他の植物に覆われて姿を消す。まるで見事な舞台転換のようだ。そこにニリンソウの面影を探すことはできない。今年は5月のGW直後に北穂高に登った帰り道、徳沢園周辺でニリンソウが咲き始めていたのに驚いた。山小屋の人によれば、10日ほど開花が早いとのことだった。槍沢では開花時期は遅れるだろうが、あれから一か月も経ってこんな暑い日にニリンソウに出会えるのは、なんだか得をした気分になる。
今日は槍沢ロッジまでだと思うと心は軽く、お花を写真に収める余裕もあった。同行者も撮影に夢中になってなかなか先へ進まない。三人で撮影していると「何か珍しいものでもありましたか?」と声をかけられた。答えあぐねていると声をかけてきた紳士は花々とわれわれを一瞥し、彼にとってはとくに珍しいものではなかったらしく「ふん」と顔を背けて行ってしまった。綺麗な景色なんだがな、、と思い直して撮影に戻った。
花が美しいのはなぜだろうか。花はただ彼らの都合でそうあるだけで、あるのは美意識ではなく、生存戦略だ。だから花に美醜による優劣はないはずだが、美しく可憐な花に私の心は動かされてしまう。
ニリンソウの隣には紫のオオタチツボスミレが、キリリと立って咲いている。しばらく行くと今度はツマトリソウの群落に出会う。ツマトリソウは直径2センチほどの小さな花で、尖った花弁の先端にある淡い紅色の縁が「褄取り」という名の由来というが、その「褄取り」とは何か。鎧兜の鎧の装飾の仕方というが、昔の人の名付け方には文学の素養があると感心する。
1か月ほど厳しい山行から遠ざかっていたこともあって、まずは白馬岳、その後双六岳と残雪の山を二つこなして、今回、ようやく身体が山慣れてきたようだった。この頃いつも家を出るまでは不安がいっぱいで、足や背中や腹部の痛みを考えないようにしながも、天気が思わしくないとか雪の状態が悪いとか、行かない理由を色々並べたてている自分がいる。
それでも雪解けが進み夏道が現れ始め、人の賑わいが少しずつ戻ってくると、山に行かない理由も後退し始める。
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