いい大学に行くシンプルな理由
だいぶ間隔が空いてしまった。というよりも機種変更してからこのアプリで記事を書いてたこと自体忘れてた。やっぱり春が近づいてきて今日みたいに気候が良いと新しいことをやりたくなる。これみんなそうだよね?ADHDだからじゃないよね?
さて、タイトルの話。私は地方出身で県内一偏差値の高い高校に入った。そもそもまず高校進学の際に普通科か工業商業などに行くかということになる。だいたいの人は普通科に行くだろう。特に考えることもなく成績に応じて見合った高校に進む。なんで普通科に行くんだろうか。私もなんとなく普通科に進んだ。でも高校に入ってからだったと思うが先生に言われたことがある。普通科の人間は勉強して成績を上げることでしか存在価値を見出せないと。確かにその通り。工業や商業は中には大学に推薦で進学したりする人もいるが大抵就職して即戦力とまではいかなくても手に職を得て仕事できる。しかし普通科には何もない。もちろん特に下のランクの高校の普通科ならばだいたい就職するんだろうけど。とにかく普通科にいるなら勉強するしかない。
そんなことで普通科の進学校、偏差値でいうと70オーバーの高校で3年過ごしたわけだが今から考えると知的な人間で溢れていた。新しいことをしようとするとみんなノリがよく、刺激的だったと思う。当時はそれが当たり前だったので意識することはなかった。失って初めて気づくみたいなことだ。同級生の大半は有名大学に進み、医師や弁護士や国際的に活躍している人など地域社会のため、世界のために貢献している。
それで私は勉強に勤しむことはなく成績は右肩下がりで結局地方のとある駅弁大学に進んだ。何も志望することはなく、センター試験の結果が9割近かったのでセンター利用ならどこ出しても受かるだろって事で実家の近くでいいやと適当に志願書を提出しパソコンで結果を見て入学式も行かなかった。
入学して一般教養の単位を取りまくろうとフルで入れていた。結果半期で34単位取得した。今は上限があるらしいのでここまで取れないだろうけど。とこれだけきくとやる気に満ち満ちた一年生と思われるだろうが全くそんなことはなかった。むしろ受ければ受けるほどに入学したことに後悔しかなかった。
まずは英語の授業で感じた。まわりが全くできない。下手したらoftenすら知らないんじゃないかというくらいだった。馬鹿しかいないのかと呆れた。そりゃ高校から考えて偏差値30近く下の大学に来たんだから当たり前だよな。他の講義でもディスカッションがあるようなパートでも全く発言がない。発言を躊躇しているのではなく、考えている素振りがない。というか地方駅弁なんて地方公務員になろうとしてる奴ばっかだから当然だわなと思ってはいたが。みんな受け身で言われたことをやれば良いとだけ思っている雰囲気だ。
2年以降は専門の比率が高くなり、そうなると旧帝落ちの人が何人かいてそういう人たちは知的好奇心が旺盛で話していても楽しかった。中には今でも研究者として活躍している人もいる。本当に尊敬している。
ダラダラと書いてしまったが、私のこのような後悔と自責の人生から伝えられることは、良い大学正確に言えば偏差値の高い大学に進学する理由である。それは自分と話が合う人が多いからだ。知的好奇心が旺盛で多動、新しいことにチャレンジしていきたいというタイプの人は絶対に東大、旧帝大に進学すべきだと思う。私立は信用してない、たとえ早慶でも色んな入り方があるから。まずは東大を目指すべきだ。
私はというと、このように若い頃うまくいかなかったがそれでもそこまで学歴の背景を問われないだろうと一貫して外資系で働いている。同世代の中央値以上は稼いでいるとは思っている。ただ雇われには限界がある。肉体も頭脳も衰えはすると思うが近い将来自分の力で稼ぎたいと画策している。シンプルといいつつこんなに書いてしまって申し訳ございません。