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ポルノグラフィティ史上最高のラブソング『証言』について

僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに
僕らはこの街がまだジャングルだった頃から
変わらない愛のかたち探してる

ポルノグラフィティ『アポロ』

 ポルノグラフィティの歴史は、『アポロ』のサビを越えていくことだ――と常々感じていた。デビュー曲としてふさわしい曲になるよう言葉を選びに選び抜いて歌詞を書いた、と作詞担当の新藤晴一がラジオで話していた通り、この曲の歌詞は歌詞として美しすぎるほどに完成されている。
 この曲がリリースされた1999年という時代、世紀末への期待と不安を反映させるような歌詞にして、押しつけがましさはまったくない。変わっていくもの(時代や自分を取り巻く状況)を否定的には描かないまま、求めているのは変わらないもの(愛のかたち)の方だということが、とても自然に結論づけられている。
 この歌詞が面白いのは、「愛」の捉え方である。「愛」という言葉が何度か出てきているが、描かれているのはいわゆる恋愛感情としての愛として限定されてはいない、一般化された愛だ。親子愛かもしれないし、師弟愛かもしれないし、動物や無生物や自然に対する愛かもしれない。(「離ればなれになった悲しい恋人たち」という言葉はあるが、それは分かりやすい愛の一例を挙げたものだと受け取っている。)「愛のかたち」の意味を聴き手に委ねて想像の余白を拡げているがゆえに、この曲がいまだにポルノグラフィティの代表曲のひとつとして広く世間に受け入れられているのだと感じる。

 それから幾度となくポルノグラフィティはラブソングをリリースしてきたけれど、そしてそれらは本当に素晴らしいラブソングたちだけど、この『アポロ』のサビを越えるフレーズがあるのかと問われれば、この完璧さと美しさを越えられるものはなかったかもしれない。いつまでも高いハードルとしてあるデビュー曲、自分たちで生み出した壁を乗り越えていこうとする物語がポルノグラフィティなのだと思っていた、この夏が始まるまでは。

 8月3日にリリースされた最新アルバム「暁」から先行解禁された『証言』を聴いたのが7月25日のこと。タイトルから『190827-28』や『敵はどこだ?』のような時相を反映した曲かと思いきや、予想に反したとんでもないラブソングだった。
 そう、わたしはこれを待っていた。デビュー23周年を迎えるポルノグラフィティが生み出す、史上最高のラブソングを。



 常に曲が先にあり、歌詞は曲に当てはめていくつくり方をしていると新藤晴一は言うが、この『証言』という曲はにわかにその話を信じられないほど「歌詞ありきの曲」に聴こえる。岡野昭仁という他人が持ってきたメロディから、この歌詞の物語を完成させる力には、いつものことながらひれ伏さざるを得ない。実際「歌詞ありきの曲だと思われるだろう、と思いながら書いた」とラジオでも発言していたので、まんまと彼の思惑にはまってしまったということだ。

 そして、「そろそろラブソングを書かないとなと思った」とこれまたラジオで呟いていたように、アルバム「暁」には比較的たくさんラブソングが収録されている。それらひとつひとつもわたしが待ち望んでいたポルノグラフィティのラブソングで語りだしたいのはやまやまだがそれは別の記事でやるとして、その中でもど真ん中直球ストレートなのがこの『証言』であるといえよう。

悪魔が黒い翼 羽ばたかせ飛び去った
木々は薙ぎ倒されて 愛は引き裂かれたの

ポルノグラフィティ『証言』

 この2行だけでこの曲の説明が終わる。あるひとつの愛が終わった物語だ。大袈裟すぎるほどの描写にも見えるが、この曲の壮大さの前ではまったく大袈裟ではない。

必要な強さを持ち合わせぬせいで
ついには真実まで辿り着けなかった

 続くフレーズでは、愛が終わった理由を述べる。「必要な強さ」を持ち合わせていなかったのは、「私」か「あなた」かそれともどちらもだろうか。いずれとも意味は取れる、その余白が絶妙である。
 ここで言う「真実」は、サビのフレーズにある「完璧なものなどこの世にはない」ということではないかと思っていた。誰かを愛したとき、わたしたちはその愛は永遠に続くものと思いたがる。世界にはこんなにも終わった愛が転がっているのに、自分たちだけはそうではないと信じ込んでしまう。だから、完璧でない(永続しない)と気づいたとき、ひどく落胆してしまう。

あなたを失って繰り返す日々にどんな意味を見出せばいい?
運命という言葉だけで砕けた心は癒されない

 「運命」は「うんめい」と歌われるが、「さだめ」とルビを振ってもいい。どちらにせよここで言う「運命」は、いい意味では使われていない。「そういう運命だったんだ」という諦めや慰めの意味が込められているのだろう。そしてそう呟くのは、受け入れがたい事実を目の前にして、それでも受け入れなければならないときだ。
 このフレーズでわたしは、「私」が失った愛が恋愛の愛とは限らないことに気づく。愛は自ら打ち捨てたわけではなく、黒い翼の悪魔に引き裂かれたのであり、「私」はそれを運命として受け入れるしかない状態なのだとすれば、「私」が向き合っているのは自分ではどうにもならない永遠の別れ=死なのではないか。

 ともすれば、真実とは「人はいずれ死ぬこと」であり、それを受け入れる強さを持ち合わせていないがために、その真実に辿り着けない=受け入れられないのではないか、というのは飛躍しすぎだろうか。

 愛する人の死によって不可抗力的に愛を失った物語である、とこの歌詞を仮定するなら、「いくつもの黒い手」は喪に服す人々が合わす手で、「逃げ切れるはずもない」のは明らかで、「希望を歌ってた鳥たちは遠くに行った」のもうなずけるし、確かに「季節はもう巡らない」だろう。
 その悲しみは押し殺せるものではなく、「ハリケーン過ぎ去るのを身をかがめ待っている」ように、ただただじっとして、何も思わなくなる日を待つしかない。「あなたの名を祈るように呟く」というシーンは、もう二度と会えない人の面影を目の前に引き留めるような切実さだ。
 この圧倒的な悲しみの表現、いくら称賛してもしすぎることはない。2番の歌詞は喪失の悲しみを表現することにまるごと使っている。

 もちろんこの曲のテーマが死と向き合う主体だと断言はできないが(だってそんなことどこにも書いていない)、それに匹敵するほどの喪失に相対していることは確かで、そしてそれは、人生で必ず一度は経験するはずの喪失であると言える。愛を一度も失わずに生きて死ぬ人間はいない。親は大概先に死ぬし、決定的に子と決別することだってある。もちろん世紀の大失恋をすることも、推しを失うことも、ペットを見送ることも、大切なものを失くすことも愛の喪失で、その悲しみの強弱は「私」自身にしか分からない。それゆえにこの歌詞の「私」の悲しみは、まるで自分が経験している(していた)ことのように、心の内側の壁を強く抓り上げてくる。「私」の喪失の痛みを、まるで我が事のように感じてしまう。

 ただ、それだけで終わらないのがこの歌詞の素晴らしさで、この曲は決して悲しみをエンターテインメント化していない。「こんな時代だから、悲しいばかりの歌だとしんどいしつらいから」と時々呟く新藤晴一は、きちんと救いのカタルシスを準備している。

どんなに離れても 声が聞けなくても
私から奪えないものが
きっとあると ここにあると 信じているから強くなれる

完璧なものなど この世にはないと言うのなら あの愛はそれを
覆した ほんの一瞬 たくさんの星が証言してくれるはず
偽りのない奇跡と

 このサビは、すべてのラブソングの終着点だ。何も難しくも目新しくもない。「信じている」「強くなれる」「愛」「奇跡」なんて何百万回と使われたラブソング(に限らずすべての楽曲)の言葉だ。ところが、ここまで喪失の悲しみを滔々と豊かに歌い、暗闇の底に投げ出されたようなところで最後のこのサビを聴くと、聴き慣れた言葉が眩しい光のように耳を突き抜けてくる。
 そしてもうひとつ、このサビがラブソングとして素晴らしいのは、無責任に希望を持たせていないところだ。「私から奪えないものがきっとあると信じている」だけで、「ある」と断言はしていない。星は証言してくれるはずだけれど、結果として「偽りのない奇跡」と証明してくれたわけではない。そもそも、遠い場所の光である星の証言に、そんな力があるとは思えない。しかも証言してくれる「はず」でしかないので、証言すらしてくれない可能性だって示唆されている。どちらにせよ、この物語の主体である「私」が「あなた」を失った悲しみも、癒されない心も変わらずそこにあるままなのだ。

 すべての愛はいつか失われることを、わたしたちは現実として知っている。それでも、自分の注ぐ愛だけは、あるいは自分に注がれる愛だけは、完璧なもの――変わらず続いていくものとして信じてしまうことがある。信じることで生まれる強さもあれば、信じていた分だけ失ってしまったときの悲しみもあって、だからこそ人はだれかを何かを愛することをやめられないのだろう。


 誰しもが経験する愛の理想と現実を、ここまで完璧にサビに落とし込んでいるこの『証言』という曲は、間違いなくポルノグラフィティ史上最高のラブソングであり、デビュー23周年を目前としてデビュー曲『アポロ』のパーフェクトなサビを越えてしまった。もちろんこの物語を生み出したメロディも、それを表現するボーカルも、この世界観を完全に描き出すアレンジも素晴らしいんだけど、やっぱりこの歌詞、そしてサビは文句なくラブソングの最高峰だ。24年目のポルノグラフィティにも、熱い期待の目線を注がざるを得ない。



 こんな最高のラブソングを書いたのは、ポルノグラフィティのギター新藤晴一であり、今日は48歳の誕生日でございました。この一年も素晴らしい活動ができるようにお祈りするとともに、この文章をもってお祝いとさせていただきます! 次は『証言』を越えるラブソングを期待して待ってます!! どうか元気に健康で!!!




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