ふしぎなともだちのお話
好き、嫌い、しゃべりたい、会いたくない、一緒にいたい、見たくない…
そんなたくさんの感情を抱く、好きか嫌いか、友達か他人かもわからない、でも自分の中で何か特別な存在である彼女のお話をしたくなりました。
出会い
彼女とは私が中学三年生の時、今から4年前に出会いました。中学が別で、学習塾で知り合い、はじめは挨拶するかしないか程度の仲。さして一緒にいるわけでも、嫌い合ってるわけでもない。
高校3年、受験
三年生のときにはじめて同じクラスになりました。はじめは、「うわあ久しぶりな感じ~中学の時と雰囲気全然違う!」ぐらい。彼女はクラスの中心的な存在で、男女問わず人気。何をするにも効率的、リーダーシップもあり、スポーツ万能、勉強もできる…。才色兼備、十全十美な人でした。完全に雲の上な存在。うわあすごいなあ。中学の時からめちゃくちゃ地頭よかったしなあ。くらい。
そして、夏
部活を引退し、本格的に大学受験の勉強が始まる。朝から晩まで塾にこもり、勉強漬けな日々。
少なくとも私はハードな部活ではなく、週2、3回はオフがあったために、高校一年生のころからオフの日は学校から塾に直行して勉強し、部活がある日は終わってから塾に行ってやはり勉強していました。勉強部といっても過言ではないくらい…! たくさん時間があったため、大学受験に関する勉強だけでなく、ネットや本を使って専門的な勉強もしました。自分の中で、精一杯、100%の力で勉強してきたつもりです。
しかし、彼女はテスト期間にしか塾に来ません。部活がかなりハードで、授業中も寝ているし、自習もあまりしていないようです。だからわたしは、自然と自分のほうが勉強できると思い込んでいました。
なんと彼女…、めちゃくちゃ賢い。まじで比べもんにならん、
模試の結果ちらって見たら、ほんまに桁が違う。「ほぇぇえええ賢くてかわいくてスポーツできて性格良くて、こんな人おんねんなぁ!!!すっげぇな!!!」って思いました。「京大か?てか東大行くんじゃね?」って思いました。
そこからは学校で毎日会って、塾で毎日会う日の連続。私は、「勉強することができる自分」というアイデンティティにうぬぼれてたんだろう。『集中力がある』『勉強することができる』は、『勉強できる』ではない…のほうに気づければまだましだったかもしれない。
高校生だった私は、「なんで自分のほうが勉強してるのに自分のほうができないんだろう」のほうの思考に回ってしまった。そうするとだんだん芽生えてくるのは”嫉妬”。でも理不尽すぎるってのはさすがの私でもわかる。だから誰にも出せなかった。その期間はずっとテンションが低い、元気ない、の状態だったが、それは受験勉強のストレスでもなんでもなく、ただこの感情をどうしたらいいのかわからず、抱え込めきれずにあっぷあっぷしてただけ。それでいて優しい彼女はわたしに「ももか最近元気ないなぁ、どうしたん?」と聞いてきてくれる。その優しさまで、当時の私には刃になる。こどもな私は、「あの子が性格悪かったらまだ救われてたわ…」とも思う。
彼女に抱く感情とは結局
まあどうせ大学離れるんだから我慢しよう。
と思っていたのもつかの間、「え、志望校一緒じゃね」
なんで?私より断然賢いじゃんか。学部学科は違うものの、わたしが彼女と同じところなんか目指していいはずがない。本当にそれくらい実力差があった。
しかし、同じ土俵の上だと分かった瞬間、どうやっても「雲の上の存在」と見切ることができなくなった。それからは”敵意”すら抱く。もういよいよ自分にとって彼女がどういう存在かわからなくなる。そして圧倒的実力差を前に毎日劣等感に苦しんだ。敵うわけのない相手に、ただひたすらにライバル心だけを持つ。自分に余裕がなくなって、ポジティブにとらえなおすことのできない自分に嫌気がさす。理不尽な感情だってわかってるから。わかってるけど、好きになれない。絶対に劣等感、ライバル心が優先される。
学校のクラスも塾の部屋も一緒だから1日中一緒にいるようになって、わたしは本当にたくさんの感情を彼女に抱くようになった。毎日毎日怒涛のように感じて、いろいろ考えて、そのときは嫌で嫌でしょうがなかった余裕のなさも、今思えば、わたしが人に対してこんなに感じたり考えたりするのは、生涯最初で最後の人だったのかもしれない。それくらい彼女の存在は私にとって大きかった。昨日抱いてた感情とは全く逆の感情を今日抱いたりすることがざらにあった。考え込む癖のある私にとって、彼女はいい意味でも悪い意味でも”疲れる”存在だった…
わたしは、本当に身内というか仲のいい気の知れた友人にしか見せない1面がある。それは自覚している。しかしあるとき彼女は私にこう言ったのだ
「ももかって~~~~なところあるよね~!」
びっくりした。彼女の前では自分を繕いまくっていたから。でも、私が繕えてなかったのか、彼女の洞察力が良すぎるのかはわからない。わたしの子の面を見る人で仲良くない人が今までいなかったからだ。特別な存在にしか出さない一面を私は彼女に見せているんだ、と自覚した瞬間、ああもうこいつは好きでも嫌いでもないけどとにかくなんか”特別”なんだな、って感じた。
「めちゃくちゃ嫌いでなんかもう顔も見たくない。もう今日は家で勉強する。」って言ってたり、休憩時間の度にしゃべりに行ったり、彼女のほうが賢いから勉強の質問をいっぱいしたり…
たぶん彼女にとって、毎日機嫌が変わってそのたびに自分への当たり方が変わるクソめんどい奴やったことは否めません。今この感情を感じなくなったわけではない、減っただけだけど、今だって彼女の才能に嫉妬する。そんな自分は、醜い。
合格発表の日の3分の会話をすごく覚えています
そんなこんなで好きやら嫌いやら言いつつ時は経ち、受験が終わった。
わたしが第一志望の大学に落ちたとき、大好きな学校の先生よりも、大好きな塾の先生よりも先に連絡したのが彼女だった。
ずっとライバルだったはず。しかし、なんとなく今までの自分の努力をずっと見てくれてたのは彼女だと思ったから。泣きながら電話したら彼女は
「もしもし?うわ、また泣いてんの笑
なに?あかんかったん?」
って笑った。
わたしは、
「落ちた…」
って笑った。
なんか、笑けた。
そしたらまさかの大学でもよろしくねだった
もっと笑けた。
わたしにとって彼女とは結局何だったんだろう。通算中学のときから一緒にいてるけど、まだ分かんないや。
大学生になって
大学は同じだけど、学部は違う。つまりほとんど会わなくなった。バイトは同じだけど、シフト曜日が違う。つまりほとんど会わなくなった。なんかせいせいした、けどなんか寂しい。
高校生の時にましてめちゃくちゃ綺麗になった彼女は友達であることを誇りに思えるくらいかわいい。わたしは好きだ。
でも、会わない。喋らない。
彼女がなんの勉強をしてるのか、どんなサークルに入っているのか、なにを目指しているのか、全く分からなくなった。同様に、わたしも自分のことを全く話さなくなった。もう他人同然になってしまったのか
そんなことはあまり気にしてなかったが!!!やっぱり高3のときに怒涛のように感じていた毎日を送っていたわたしにとって、彼女のいない毎日はすこし感情が少なくて、退屈だった。疲れないからハッピーだけどね!!!
そして、わたしがTABIPPO主催の世界一周コンテスト、DREAMに出場して、1次審査を通過、そのあとの2次審査で目の前に立ちはだかるWEB投票というなの高い厚い壁。さして知り合いが多いとは言えないわたしにとってすごく辛かった。他の人がわたしのことをどう思ってるのか分からないまま毎朝獲得票数順に並べられる、商品のように扱われる毎日がとても辛かった。ただひたすらに、「みなさんの5秒をください」と叫び続けた。
もう、喉が痛かった。
Twitterでたくさん呼びかけた。
もう、拡散やめようかな、と思ったこともあった。
そんなときに1件の通知が来た。
あの彼女が、自身のTwitterで、わたしの投票ページのリンクを貼り付けて、応援してくれたのだ。
目を疑った。
わたしは彼女をフォローしていないし、もちろん彼女もわたしをフォローしていない。友人伝いかなんかで見つけたのだろうか。彼女らしいことに、彼女はわたしをフォローしないままでわたしをツイートにタグ付けしたのだ
「フォローして?笑」と一瞬思ったが、いや逆に、フォローフォロワーの関係じゃないのに続く関係を持ってるってすごくね、と思ったからわたしからフォローすることもなくこのままにしておいた。SNSって深い。
彼女はこう呟いた
「またなんか新しいことしてる。ももかはうるさくて危なっかしくてめんどくさい。でもいつも一生懸命でパワーをもらえる存在。よければ投票してあげてください」
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『学生時代の友人は一生もの』
といいますが、2種類あると思いました
1つ目は、何年経っても、久しぶりに会ったときでも、昨日ぶりのような感じで話して、飲めて、遊べる友達
2つ目は、遊んだり飲んだり2人でわざわざ会ったりはしないけど、何年経っても心の中にずっとおるやつ。
彼女は後者ね
わたしはあのツイートをみて、
「ああもうこいつには一生敵わねえ」
って思った。あんな素敵なやついないわ。合わん合わんって思ってたけど、もはやそんなん関係なくなるくらいに素敵なやつだった。
これはついこの間、2週間くらい前のお話。だから本当に嬉しかったんだ。最近まったく会ってなかったのに。
なにが言いたいかというと
結論、彼女は永遠に謎だ
もう今は大人になったから(まだ19)嫌いとか思わない(多分)けど、好きとか嫌いとかの感情より、もっと奥深いものがあったんだ。それは、高校時代では気づけなかったこと。もっと深く彼女のことをみたら、いっぱい自分のことも彼女のことも知れた。彼女は大学生になってからたぶんサッカーチームの何かをやってる。でもわたしはあまり知らない。また今度聞こうと思う。
視野の狭さを広げるのも1つだけど、深めるのもまた1つだよね
長いものを読んでいただきありがとうございました。