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究極の美しさとは、無駄にあると思う

わたしは人間がとってもだいすき。


感情に任せて理不尽な選択をしたり
論理立てて表面を飾っているのに裏腹では全く逆の思いを馳せていたり
全くもって無意味なことに命を懸けたりする。


不思議で
素敵で
たまらない気持ちになる。


わたしは人間でとっても良かったと思う
なぜかというと
堂々と理不尽な選択をして
堂々と間違いを犯して
堂々と意味のないことをできるから。


だから、人間は、無意味に生きるものだ!って思ってる。
死んでいくまでのデザイン事業だとも思ってる。

人生は何かを成し遂げるには短すぎるし
何もしないには長すぎる


どこからか忘れた、忘れられない言葉



「生きている実感」


わたしが「さいっこうに生きてる!」って思って忘れられない瞬間は、
シェアハウスに住んでた時に、ルームメイトと2人で早起きして卵焼きを作って、できた二つの卵焼きを並べて味見合いしながら食べたとき、「めっちゃ辛い!」と「味無い泣」って言ったのが重なって、笑い転げて結局辛い卵焼きをおかずに味のない卵焼きを食べたあの朝。


学校の設計課題で、初めて作った住宅で、2階に繋がっていない階段を提出して、落ち込んでるわたしに、「無駄なものこそ一番のアクセントになるんですよ」って言ってその階段をあっという間にメインのオブジェにしてしまったあの瞬間。




どうせいつかは砂になって消える人生だから
失敗も成功もないと思う

仕事とかして
「何のためにやってんねやろ」
ってあると思う


でも、人生がもともと無駄であると仮定すれば
生きている意味が見出せないのは至極当然なことで
それを、たまたま面白くデザインできたらラッキー!
でいいと思うんだ。


なんとも不思議なことに
わたしたちは、没頭して楽しいって感情を持って無駄なことをしているとき
「無駄」だって思わない。



究極に無駄で美しい日を


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石崎桃花
放浪癖もち飽き性単位諦めがち注意散漫の限界大学生です