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引き写しその2、あと、トルタサラータ

 こないだのテーマはイタリアン、トルタサラータ(イタリア版キッシュのようなもの、生クリームは入らない、かわりにリコッタとかが入ったりする)チーズリゾット、ティラミス、アクアパッツァ。このメニューの影で予算係が頭を痛めていたことを、分かる人は分かって下さい。チーズは高い。魚も高い。ミニトマトも地味に高い。

 さて、色々あって、札幌市北区に定住します。北区ってのは北海道大学や札幌駅、今だと大丸もあったりして、それだけ見ると割と都心っていうイメージかもしれません。でも、北区の面積は64平方km、草津市の面積が67平方kmなので同じくらいですね。札幌駅が、この一番先端の所なんですけど、ここから、北区の果ての果てと言われているあいの里っていうところまで、直線距離で15kmですが、車で行くと1時間かかります。草津市だと、イオンモール草津から滋賀医大くらいの距離ですね。めちゃめちゃ広いんですよ。

 私が住んでいたのは、ちょっと地図がボケていて申し訳ないんですが、番号でいうと③の「新琴似」です。この新琴似地区は屯田兵ってわかりますか、日本史をやった人は習いましたよね、あと漫画のゴールデンカムイを読んだ方、あの第七師団は屯田兵を母体としています。ものすごく平たく言えば「農地を開拓する兵士」です。北海道の土地を切り開いて開墾しながら、有事の際は兵隊として働くわけです。北海道の人間は自嘲気味に、北海道人は元をたどれば大体犯罪者か余り者、とよく言います。わざわざ明治時代に未開拓の地にやってくる人間は、そりゃあ本州で恵まれた環境にいたとは考えづらいですよね。例えば、第二次世界大戦より前は、財産というのは長男が全てを相続する権利があったわけですよ。農家でも、次男三男は土地をもらえない。なので外に奉公に出されたり、長男の土地の小作人みたいに働いたりしていたわけです。それが、北海道に来れば自分の土地が手に入る。また、明治維新で没落した士族なんかも、新しい土地でやり直そうと家臣を連れて集団移住したり、明治の中頃になると、犯罪者や、村のコミュニティでなにかやらかしてそこにいられなくなった連中なんかも逃げてきます。
 
 で、話を戻すと、この新琴似ってのは明治20年、今から136年前に屯田兵の入植がはじまります。そういう訳ありの人間たちが土着民になってできた町なわけです。つまり身も蓋もない言い方をすると、柄が悪い。
 
 これが新琴似にある「新琴似神社」です。ちなみに私の夫は隣の区の公務員宿舎生まれです。学校の生徒も、周りの住人も全部公務員という、まあアッパーな環境で育ったわけです。そんな彼を結婚前にこの神社のお祭りに連れていったら、神社の横のコンビニでウンコ座りしてるヤンキーとかを見かけてものすごくビビられまして早く帰ろうと泣かれましたね。中学校も、まあ私が中学生だった頃はそこそこ荒れてまして、バイクが校庭に入ってきたり、トイレにタバコが落ちていたり、夏休みが明けたらクラスメイトが金髪にしてきて、それを教師が首根っこつかんで理科室に連れて行くんですよ。何をするかって言ったら、ママレモンぶっかけて頭洗うんです。でもしっかり染めた髪の色が食器洗い洗剤ごときで落ちるわけないんですよね。だからこれは、校則を破ってとんでもない髪色にして来た奴に対しての懲罰行為なわけです。今なら大問題ですけどね。
 
 まあ、そういう所ですが、別に私は気にもせずすくすく育って高校に進学しました。ちなみに、この当時、地域のスーパーというか商業施設と言えば「ダイエー」ファストフードと言えば「ドムドムバーガー」です。ダイエーはもう10年くらい前にイオンの子会社になっちゃいまして、今はこの建物もイオンになってしまいました。ドムドムバーガーはダイエーの子会社だったため、今だとフードコートには大抵マクドがありますが、ダイエーの中には大抵ドムドムバーガーがあったわけです。今はダイエー傘下ではなくて、ホテルチェーンなんかを持っているレンブラントホールディングスの下に入って細々やってますね。

 これが高校時代の写真です。一応このころはもう平成だったんですが、なんかやっぱり時代を感じますね。ちなみに、右の写真でピースしてる奴が、今は私の夫をやっています。左の写真の隣の女の子はメンヘラで大学辞めて行方不明、右の男の子は浪人後日本脱出して今はアメリカで看護師をしています。後ろの先生は教え子と結婚して2年で離婚しました。人生いろいろ。

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