見出し画像

小学校 ver.1

前回の続き。
1個目の小学校に通ってた時の話をさせてください。

★読んでいて気分が悪くなったり、悪影響が出てきたら、すぐに読むのをやめてください。
★文章がぐちゃぐちゃでごめんなさい。


母親は、今私たちが住んでいる場所(父が勝手に家を買った)が大嫌いで、この土地の小学校には行かせたくないとずっと言っていた。だから、小学校受験をした。有難いことにある程度賢かった私は、塾では「絶対に大丈夫」と言われていた。でも、ダメだった。
何がダメだったのか?
三者面接が、ことごとくダメだった。
母親や父親が私のことを話していると涙が出てきた。泣いたらダメだ、帰ったら怒られる、そう思うと余計に泣き止めなかった。
1校落ちるごとに母親は、あんたが泣いたからと言った。
1校落ちるごとに母親と父親は喧嘩した。
「もっとちゃんとしてよ」
『なんでそこまでして受験させたいんだ』
私は毎日ベットで泣いてた。すっごく覚えてる。
周りはどんどん決まっていく中、1人だけ決まらなくて親も焦ってた。私も焦ってはいたけれど、焦りよりも、親が怒ってる、機嫌が悪い、喧嘩してる、私の悪いところについて話してる、それが何より怖くて嫌でとにかく逃げたかった。
日に日に悪くなっていく母親の機嫌をどう取るか、そればっかり考えてた。
お風呂から出ると必ず母親と父親がリビングで話してて、その話題は必ず受験のことだった。

私が悪いんだ ずっとそう思い続けたあの時期。     1回目に死のうとして遺書を書いたのはあの時だったか。あんまり明白に覚えてないけれど。

小学校受験が一段落ついて、唯一合格できた学校に入った。
ちょっとだけ、変わった親御さんが多い学校だった。入る前は、こんな子を入れてくれてほんとに神様みたいって言ってた母親も、入ったら変な子しかいない変な学校って言うようになった。私は普通に学校が好きだったから、好きなところを否定されるのが嫌だった。加えて、この学校にしか入れなかった自分に嫌悪感を抱いた。

記憶にあるエピソードが1つ。
私は小一の時、いじめっ子ともいじめられっ子とも仲良くしてた。ある日いじめられっ子が先生に、虐められてると相談したのか、クラスの女子が全員集められた。先生は謝りなさいと言ったがいじめられっ子が謝るわけがない。誰かが謝ればみんなが謝ってこの話は終わる、そう思った私は1番初めに謝った。
話し合いが終わったあと、いじめられっ子が「ももちゃんには何もされてない、仲良くしてくれた」と先生に言ったのだろうか、面談で母親にその話が伝わった。
家に帰ってから、母親は私を叩いた。「なんで何もやってないのに謝ったの」
あの学校が、学校に通う人達が大嫌いだった母親にとって、何もしてない謝ったことは地雷だったのだろうか。とにかく母親の機嫌をとらないと怖いことになる、と思ったのを覚えてる。

そんなこんなで、母親と父親が奇跡的に仲良しになるなんてことは当たり前にないまま、幼稚園の時と同じように、喧嘩を見たり否定されたりしながら時が過ぎていった。


母親は私を転校させたかった。
父親は転校させなくてもよいのではと思っていた。
その意見のズレが、2人の関係を更に悪化させたような気がする。
私のせいだ 心からそう思った。
私はもう1回受験するのも嫌だったし、転校するつもりはなかったけど、母親に転校したいでしょ?って聞かれたら、したいとしか言えなかった。

転入試験の面接でも泣いた。
「なんでなにも出来ないの」「なんでそんななの」
母親に自分を否定されることは、あの頃の私にとっていちばん怖いことだった気がする。
それでも転入試験に受かって、女子校に転校することが決まったことだけが、救いだった。もう否定されなくて済むのだ、と。


これが1個目の学校にいた時の話。
やめて良かったなとも思うし、あの時辞めてなかったらどうなってたかなとも思うけど、転校させた母親を恨んでるわけじゃない。
むしろ感謝してるのかもね。


上手いまとめ方がわからないけど、次は2個目の学校の話。
それが終わったら中学の話をさせて欲しいな。
個人的には早く中学の話がしたい笑


最後まで読んでいただきありがとうございました。

イラスト/ノーコピーライトガール 様

いいなと思ったら応援しよう!