救いの手は無いから自分の手でも掴んどけ
17:47
いろいろ考えている。
一番悩んでいるのがワーホリ。
来年度の1年間を休学して、憧れのニュージーランドでワーホリをしたいと思ったのが今年の4月の話。相談と意思表明も兼ねて周りにもその話をしているのだが、半年たった今、私はこの話がお流れになりかねないほどに何もしていない。
3月に単身で行ったセブ島留学で、2か国留学としてワーホリ前の勉強をしている友人がたくさんでき、彼らが羨ましくて思い立った。
海外の生活はもちろん素敵な事ばかりでもないし、辛いことや苦しいこともきっとあるけれど、1度は絶対に経験しておきたい。そしたら早い方がいいのでは?と思えてきて来年度の休学がベストだという結論に至った。
たくさんの友人にも相談し、いろいろ考えた末、自分の糧にもなるし社会人になってからワーホリをする機会は退職しないと訪れないと思うし、自分の人生で後悔はしたくないと思って相当前向きに取り組んでいた。どういうわけか相談した友人の1人もワーホリに行こうか迷い続けていたらしく、「あんたが行くなら」と、私より先にオーストラリアのワーホリを決めてしまった。私がそうさせたと言っても過言ではなくなってきた。
彼女は笑顔で「行くよね?」と私に話しかけてくる。ごめんなんか怪しそう。
学校が忙しい中でもバイトを増やして頑張るのも、ワーホリの資金を貯めるため。セブ島留学も自費で、貯金があまり無かったからね。なんならバイトのモチベーションは今これしかない。
しかしながら準備(ビザ、語学学校、家など)が一切できていないのは、ナイーブな私が1人で1年も海外でやっていけないと泣き叫んでいるから。
3週間のセブ島生活でさえ、初日から大泣きで毎日1人やだなと思っていた。家族に何かあったらすぐに飛んでいけないし、飛んできてもくれない。巷では来年の7月に大災害の予言があるが、私は結構本気であの予言を恐れている。被災の経験がよみがえってくる。予言は、私にとってワーホリを踏みとどませるのに十分すぎる理由だった。また1人暮らしをしたことのない私は自炊をはじめとした家事にものすごい不安を覚えている。セブ島では勉強に集中するシステムのために料理から洗濯に至るまでがサービスで提供されていたが、ワーホリではそうはいかない。料理はものすごく嫌いだ。ウダウダ言ってないでやれよと思うかもしれないが、私は料理が嫌で我慢して我慢して、ひもじくなって死んじゃう可能性の方がよっぽどありえるなと思っている。
また仕事という面は、ワーホリのなかでも最も挙げられる懸念点だろう。仕事がない、見つからない、雇ってもらえない。私もきっと同様の悩みに直面するだろう。確信している。
昔から肌が弱く、手に指サックと包帯を巻いて生活している私としては、清掃や洗い物といった手が荒れる仕事は極力避けたい。つまり飲食業は雇ってもらいにくいかもしれない、というか出来ることが限定的すぎる。清掃などの仕事は、言語が苦手な外国人にとって雇ってもらいやすい仕事だとどこかのサイトで見たが、この職種の選択肢は私の中ですでに消滅しかけている。仕事を選ぶ余裕はないと分かってはいる。
「言語は勉強中の外国人で、できない仕事がいくつかあるけど雇ってほしい」なんてことが、果たして通用するのか?
この心配は私の親も当然している。
わかっている。これは逃げなんだってことは。
誰かが救いの手を差し伸べてくれるんじゃないかって、甘えている。
いい加減自分の力で頑張らないといけない。
「できない理由」よりも「できるようにする方法」を見つけていかないとな。「できない理由」のほうがいっぱい思いついちゃうのは、私にまだ「行きたくない」気持ちが残っているからなんだろうな。
わかっている。
絶対に行きたい。
負けないで、わたしの気持ち。
...noteに書いたら気持ちがまとまると思ったんだ。....うーん...前途多難。
おしまい