どんなときも割り込みはNO THANK YOU
23:18
会話って、言葉のキャッチボールだって、誰かが言ってたとおもう。
相手の話をしっかり受け止めて、返してあげるために、丁寧に最後まで話を聞いてあげることが大事なんだと思う。
その人が話そうとしていることを汲み取ろうとこちらも誠実に耳を傾け、自分なりの考えをできるだけ言葉の間違いがないように伝えるのが礼儀ってもんだ。そうじゃない?
そこで、話している間その人がどんな気持ちで話をしようとしているのかを、聞き手は察してあげることは思いの外重要になってくる。おざなりに返事をして、「こんなにも悩んでいるのに」と逆にフラストレーションを貯めこんでしまうことに繋がるからだ。これはとっても重要なこと。しかし結構難しい。その話が当事者にとってどれほどの重要性があるのか、聞き手には分からないから。でも、真剣な話を無下にしてしまうわけにもいかないから、いつでも「話を聞く姿勢」を構える。
私は人が話をしてくれるということは私に対して一定の信頼があるからだと思っている。だから、こういう気持ちで私は人と会話をする。きちんと話がまとまるまで、待つ姿勢でいる。どんなに取り留めのないことでも、心掛けていることだ。相談とか、きちんと話がしたいときは特に大事。
こういう考え方の私は、会話のキャッチボールが成立しない瞬間にもやっとする。私の直近に経験した場合は、自分が投げたボールが返ってこないとか、そういった問題じゃない。
投げたボールが、別のヤツに取られて、私が投げたはずのものと全然違うボールが飛んでくる。私はA子に野球ボール投げたのに、B男がそれ奪って、バレーボールでアタックとかしてくるわけ。例え合ってる?
会話にはターンっていうものがあって、会話をある程度に終わらせるか、言いたいことが言い切れてから新たな会話にするのが一番スムーズ。
「なんてことがあったのよ。それでね、」の途中から「ねぇちょっと待って!この動画やばくない?」でいきなり切り込まれるのは、話が違うってもんよ。これは割り込みも同然では?これは自己満足の報告だ、会話じゃない。
既にあった話(話者:私)が新たな話によって搔き消され、なんか空中にふわふわ浮いてしまっている。そして浮いてしまったモノは、新しい話の話者には見えてなくて、私には浮いてから消えるまでの様をずうぅっと見続けることになる。話を遮られて、体の中で生まれたもやもやした気持ちは解消されず私の中にとどまったままになってしまう。
割り込まれるのは誰だって気持ちの良いものじゃないんだ。お店の行列で抜かされたら、え、何で?ってなるじゃん。会話も同じよ。今私のターン!!ってなるよ。つい最近の話だが、本当に泣くぐらい嫌な事があって話をしていて、その最中に「えやば!〇〇のBeRealえぐすぎるみて」を私がいま相談している相談相手に言うんじゃない。同じ場にいたんだから話の流れわかるだろ。こんなの割り込みだァ。私の相談話が終わったじゃないか。
もちろん、常に人の話を真剣に聞くのは疲れるかもしれない。そういうときは、公園のベンチなんかに座って、「話をしっかり聞く環境」を整えるとまだやりやすいと思う。あなたの話を真剣に聞いてあげられるよと、行動で示すのが、大事なんじゃないかなぁと考えている晩秋。
おしまい