天王星が動いた
2011年から牡羊座に鎮座(鎮座って言いたい)していた天王星が牡牛座に移動した2019年の3月前後から怒涛の流れだった。
一言で言うと『マジで天王星の移動のパワー半端ねえ』って思ってる。
今年の天王星移動の話は、ホロスコープ好きな人にはなかなか影響力でビッグトピックだったと思うし、
わたし自身、実際に7年前の3月、それこそ3.11の東日本大震災以降からの社会情勢や出会った数々の重要な『点』はその後今の私にしっかりと繋がる『線』になり、この7年間のいろんなチャレンジ&チェンジは、本当に牡羊座のパワーそのものだったと振り返って感じている。
そして、星が動く影響がジワジワ出てきていたように感じる2018年〜2019年の節分頃にかけてのわたしの内側の感覚の変化がまた、星の動きに合わせたような、ゆるやかだけど確かなものだった。
わたしの日常は仕事がすべてだった。
仕事が大好きだった。
元来、なまけものでだらしなく何も続かなかったわたしが唯一続いていたのは、仕事の世界だった。
大好きで夢中で駆け抜けてきたら、たくさんの人に出会い、その中で思春期から大好きだったアーティストと出会い、あれよあれよとその会社とのご縁ができたことで、わたしは長年の夢だったビッグドリームに足を突っ込めた。(わたしの長年の夢、はまた別な回で書こう)
長年の夢だったと思う大きい仕事は、想像を遥かに越えたもので、とても刺激的でもう本当に楽しかった。
多くのひとを感動させられる、とても光栄な仕事だった。
世の中のひとがこんなに喜んで、楽しんで、それを生で見れることや感じれることは、どんな状況よりわたしにとって嬉しくて麻薬のような抜け出せない中毒さを持ったその気持ちは、どんどん昂ぶっていく。
わたしは、仕事を『一緒にやろう』と当時お世話になった社長から誘われたあの言葉は、一生忘れないと思う。
女性にとって、きっとそんな一生忘れられない言葉ってプロポーズとかなにかそういうのが一般的だと思うんだけど、私にはこれしかなかった。
それぐらい、自分の人生をすべて捧げたような働き方をしたし、じぶんで言うのも変だけど仕事に対してもう必死で走ってきた。
だけど、そんな気持ちでいたことは確かなのだけど、
わたしの気持ちは変わっていった。
その変化やライフスタイルにすこし余白を求めるようになっていったとき、
わたしは、わたしの中に徐々に現れてきた変化をうまく噛み砕けず、そこから本当の苦悩が始まった気がする。
そしてわたしは、自分の変化が苦手なんだと気付いた。
アラサーになって何言ってんだよって少し恥ずかしい話だが、
この人生で、本当に自分のなかで大きな変化などなかったと思っている。
ずっと、それこそ思春期のころから好きなものが変わらず、ライフスタイルも思春期からの流れに沿って、結婚も出産もまだ未経験なので、
住む場所が変わっても『内側の感覚や感受性が変化する』なんて経験が、ほぼなかった。
あるいは、あっても自覚として気づかないような自然な小さいものだったのかもしれない。
変化は時に人を傷つける。だからわたしは、自分で自分を守るために変化を遠ざけて生きてきたんだと思う。
そんな中で、もう変化の強制というか、もはや人生の矯正というか。
否応無しに勝手に星は動くし、泣いても笑っても天王星は牡羊座から牡牛座にバトンタッチしていく。
わたしはもうその大変化する宇宙の動きのなかで、自分の気持ちが変わっていくのを認めざるえなかった。
長くなってしまったけど、
それは『もうこの仕事、わたし続かないな』の気づきだった。
分かりやすくまとめてくださっているサイトを貼り付け。
仕事が楽しくて、大好きで、夢中だったことも事実。
仕事に対して自分のすべてをかけていたのも事実。
でも今はそうじゃなくなってしまった。
じぶんでそれを認めるだけでいいのに、わたしはうまく受け入れられず、認められなかった。複雑さで葛藤極まるような心情だった。
そして、ただただモチベーションとやる気だけが低下していく日々のなかで、
社内でうまく人間関係を築けていなかったわたしは会社での時間は地獄と化した。
社内で、上司や同僚と後輩と完全に対立してしまうような人間関係になってしまった。(人間関係はこれはまた別な回で書こうっと)
そのなかで、仕事で大ミスをかまし、それが引き金で長く勤めた会社を退職した。
本当に分かりやすく転機として変化は突きつけられた。
天王星が動くというのはこんなにも分かりやすく状況を動かすのか?とびっくりした。
わたしはホロスコープや占い、精神世界が大好きで、きっとこういう’スピリチュアル’を苦手とするひとからしたら、こういう部分に影響受けすぎていて気持ち悪いと思われるほどかもしれない。
でも、こんな大きい宇宙の動きのなかで自分の人生や感覚の大きな変化が伴ったことはこれからの人生の大きなヒントでもあると思っている。
『すこし不思議』だけど『これがわたしの日常であり現実』という感覚を美意識として、きちんとこれからも確かなものとして守るために。
ここにきちんとアウトプットしていこう。