私に何ができるのだろう
第二ステージに入った。
そんな気がする今日この頃である。
大体の転機は、20年ごとに訪れる。
中学生の時に、40歳まで生きられないのではないかと、担任との日記に書いた記憶。
21歳で結婚をし、生活が一変し、
40歳で持病を発症し、生まれ変わった人生が始まる。
そして、還暦を前に、お金を稼ぐという生産性重視ではない、充実度を求められることになった。
ぼちぼち、クラウドワークスでは、単発のお仕事を入れていくのは変わらない。
Adobeの年間プランにお金を払っているので、それらのソフトの研究も行う。
もちろん、今までの楽しみであるドラマ鑑賞も欠かせない。
先日から、新たに、息子福山の要望で、アニメ視聴も始めた。
仕事をしていないから、お金のかからない何かで、人生を充実しなければいけない。
同病の人に振り回され体調を崩した経験があるので、再び、作業所に通う選択肢もなく、自力で、生活リズムをつけなければいけない。
さて、自分に何が出来るのだろうか。
主治医には、ボランティアを勧められたが、ボランティアの場所まで行く運賃や体力さえも今の自分にはないので、その案却下である。
自分にとって、何をすることが幸せなのだろうか?
そして、人のためになることって、何?
こりゃ、忙しくなるな。
これからの人生、まるで、自分で会社を立ち上げるぐらい、雑多なことが詰め合わされたようなびっくり箱を手に入れた感覚である。
承認欲求がそれほどあるわけでは無いが、ある筋には、認めてもらいたい。
金は産まないが、価値は産んでいきたいと思っている。
価値を生んで、回り回って大金を手に入れるような妄想に囚われるのも楽しいかもしれない。
ちょっと、この先の人生が楽しくなってきた。
と、強がりを言ってみた。
20歳になるまで、欲張りの人生だった。
体がいくつあっても足りないぐらいの経験をした。
その後、人並みに結婚をし、子育てをし、経験は豊富である。
ただ、無いのが、体力とお金である。
まだ、これからもインプットは、していくから、うまいアウトプットの方法を探らなければ。
このnoteでは、これから起こる事柄のアウトプットは、継続していく。
何者にもなれないかもしれないが、自分の努力は、書き留めていきたいと思う。
努力をした上で、感じた感想も書き留めていきたいと思う。
結局は、今までとそう変わりもなくnoteを更新していくと宣言しているようなものである。
ただ、それだけなのであるが、その気持ちを今日、書き留めておきたかったのである。
「チェンソーマン」意外と面白かったぞ。