3年目記念。。。闇鍋健在
昨日は、久しぶりに日にちを跨ぐような生活だった。
2011年から継続しているゲームのイベントの先行がかかっていたからである。
そんな中、noteさんからお知らせが入った。
noteを初めて、3年めの記念日であるお知らせである。
2011年からアメブロで、ブログを始め、デイサービスでの広報をやめたきっかけで、ブログではなく、もうちょっと長めのエッセイを書いてみたいと、noteに移ってきたわけだるが、当時の私には、noteは、高尚なサイトであった。
だから、noteを書き始めた当初は、迷走していた。
高尚である読み物でなければいけないという重みがあったからである。
そんな中、ある日をきっかけに、心の声が爆発して、現在のような闇鍋投稿が続いているのである。
メインとしているのは、息子福山の観察日記であるのだけれど、
自分の過去の思い出や受験関連の話題、父親の介護の様子、時には、スキルの伝達人に変貌したり、とうとう、ハンドメイドショップを開業するも宣伝費がないために、頓挫したりと鍋の中は、ごった煮状態である。
昔は、読書の感想なども書いていた時期があるが、両親の介護のあたりから、読書をする時間さえも取れない毎日となった。
それは、ガラケーからスマホに変えた影響も大きいだろう。
両親の介護に向かう赤い電車に揺られて、スマホで、雑誌を読むようになった。
とはいえ、皆さんが思うほど、スマホは、使われていない。
PCも買い換えたが、もっぱら活躍しているのは、iPadである。
現在は、突発性難聴の検査で、聴力は戻ったものの、未だ、音が二重に聞こえてうるさいので、大好きなドラマ鑑賞も途絶えている。
それなのに、本日、NHKオンデマンドの登録をして、サブスクで、「龍馬伝」をみようと試みるも、月中ばでサブスクが勿体無いと、留まった。
当時は、みなかったが、賞ももらっている傑作と聞いて、観てみたくなったのである。
何を話していたんだっけ、話が逸れてしまった。
そうそう、noteが高尚であると荷が重かった話であった。
なぜ、エッセイを描きたかったか、以前も書いたことがあると思うが、それは、中学に遡る。
中学生の時に、五木寛之と遠藤周作と北杜夫のエッセイにハマった過去がある。
このお三方の作品は、読んだ事がなく、エッセイのみなのであるが、中学生の時に、これらの下世話な話で、大人の世界を垣間見たのである。
そのあと読んだのは、横溝正史の本の数々であった。
決して、中学生の読むような本でもなかった。
恍惚とした濡れ場もあったし、ませた、中学生だったわけであるが、ブログを書くようになって、エッセイみたいな世界観を書いてみたいと思ったのである。
くすっという世界の構築。
祝3周年の日。