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失われた世界
夢の中で失望感に襲われ、はっと目が覚める。
父親を失う事で、クリエイティブな部分を全て失う恐怖にさいなまれたのである。
父親から、モノづくりの楽しさを教わった。
夢の中でも父親はモノづくりを行っていたのであるが、突如として夢の中から消えたのである。現在、父親は健在であり、先日も高さ60cmのスツールを改造して足を載せる部分を作ったりとモノづくりに対しても健在である。
そんな夢を今朝見て、現在、クリエイティブな部分を追求していない事に気が付く。
noteを書くこともその一部であるかもしれないが、自分の中でのクリエイティブは、カラフルな世界である。
闘病生活の中、リハビリ施設でハンドメイドを手掛けた9年間は、アジフライにとって幸せな時間であった。
職員がスワニーやイケアで購入してくる色とりどりの生地を使って、柄を型紙に当て込み創作する作業は、心を満たしていった。
リハビリ後のパートの3年間では、広報を作成していた。
企画から構成、記事の作成、写真の撮影と全般に渡って、カラフルな紙面を作り上げることは、ハンドメイドの延長線にあるセンスとセンスとのぶつかり合いである。
もちろんPCスキルも必要なその作業は、15年の闘病をしたアジフライへの神様のプレゼントの様にも感じられていたものである。
パートをやめた現在、それらのクリエイティブな部分を失ってしまった。
それ、あかんやろ。
物づくりをせな、あかんやろ。
そう思わせた、今朝の夢であった。
現在、環境も無いし、予算も無い。
何から始めればよいのか途方に暮れる。
しかしながら、子供の時から大好きだった絵を失った時とは状況が違う。
まだまだ、カラフルでありたい。
何が今の自分に出来るのであろうか。
一から物を作り上げるのは苦しい。苦しいけれど出来上がった時の幸福度は例えようがないぐらい大きい。
オリジナルサイトはもうネット上には無いが、ツイッターのハンドル名は『EMERA』と名乗ったままである。
命名した時は、ハンドメイドをネット上で販売する時のブランド名にしようと考えられた名前である。
色彩豊かな中でこそ、いきいきと生きられる自分を再確認して、実務だけではなく、クリエイティブな自分の存在も大切にしたい。
やっと、新たな道を模索し始めたような気がする。
新型コロナの影響で、世界に変化が現れている現在、未来に向けて、何か人の役に立ち、自分のクリエイティブな部分をも追及する事が出来るといいな。
夢は大きく。
今度、なぜ絵が書けなくなったかの話はゆっくり話たいかと思う。
失われた世界をもう一度。そう今は考えている。