面倒見の良い義伯母
一人っ子のアジフライにとって、一番信用がおける大人は、母親ではなく、母親のお兄さんのお嫁さんであった。
母方の義伯母だ。
夏休みになると、決まって、おばあちゃんちに送り出されていた。
そのおばあちゃんちを仕切っていたのが、義伯母だ。
昼間は、社長宅の家政婦として働いていて、料理上手であった。
中学に上がる前まで、お正月は、家族でおばあちゃんちへ泊りに行っていた。
その時、義伯母は、腕を振るう。
義伯母の揚げるエビフライは、絶品である。
結婚して、自分でエビフライを揚げるようになったのであるが、普通の海老では再現できなかった。義伯母の使う海老は、立派な大きさの海老だったのである。
おばあちゃんちで、餅つき機が登場したお正月は、餅つきを楽しんだものである。
伯父は、仕事が忙しく出張で家を空けがちであった。
たまに、伯父が帰ってくると、茶碗蒸しやラーメンを作ってくれた。
伯父が出張している夏休みの晩、夜寝る前に、2階で義伯母が、缶入りの外国のクッキーを出してくれた。
クッキーを食べながら、いろんな話をした。
「大学は、青山にいったらいいよ。」などと、両親からは、とうてい出てこないようなアドバイスももらった。
義伯母は、朝は、美味しいオートミールを煮てくれた。
普通は、レモンティなのに、特別に甘いミルクティーを淹れてくれたり。
いつも一人でお留守番をしていたアジフライがぐれなかったのは、義伯母がいてくれたおかげかもしれない。
結婚してからは、義伯母は、ハムのセットを贈ってくれたり、りんごをひと箱送ってくれたり、お返しはいいからと美味しいものを贈ってくれた。
りんごは、アップルパイとなった。
パイ生地も手作りの美味しいアップルパイである。
ものすごく、可愛がってもらった記憶である。
高校生の時に、赤毛のアンにはまっていた当時、義伯母の家の近くの洋裁店で、モスグリーンのワンピースを仕立ててもらった。
その時、洋裁店の人との会話が記憶に残っていて、洋裁に興味をもって、服飾の専門学校に進学する決め手となった。
義伯母には、何も恩返しができなかった。
母親は、仕事をしているだけの人だったから、義伯母のやさしさは、私にとっては、今でも私の宝物である。
まあね、母親が稼いでいてくれたおかげで、専門学校にも進学できたので、母親だけを責めるつもりはないけど。
娘を一度、小さい時に、実家に預けた事があったのだけれど、実家のトイレで泣いていたとの事で、夜遅く、娘を実家に迎えにいったことがあり、それ以来、我が家の子供は、他のおうちにお泊りをさせる事は、しなくなった。
その分、子供たちには、多くの愛情を注いだつもりだけど、伝わっているのかな?