能登に行きたい
大阪で二十年生きてきた。
奈良に越して来て一年が経った。
過去、日本列島で起きた自然災害で
私の生活と居場所がひどく脅かされたことはなかった。
大きな被害を受けた知人だっていなかった。
2018年 西日本豪雨 大阪北部地震
早朝、休校と期末考査の延期だけを喜んで、寝て起きて
ニュース速報には少なからず胸を痛めたはずだった。
”私の故郷は大丈夫”
そう深く考えずに眠る間にも
誰かの故郷は
居場所だった場所は
流され、崩れ、失われていく
大丈夫って何だろう。
経験則的な何かであり、
願望であり、
しょうがないほどに脆いもの?
日本の地域の一部は、誰かの故郷は、
どんどん人が住むには難しい場所になってしまうのだろうか。それとも元々そうだった??
塾講師のアルバイトをしていて、2011年生まれの中学生と接することがある。
彼女らは、東日本大震災を知らない。
事実として知っていても、体では知らない。
それは私も同じだけれど。
あの日産声を上げた彼らが、中学生になるほどの時間が過ぎた。
わたしはどう伝えていけるだろうか
幼かった私の記憶は、まだ新しいもののように感じる。
被災者と同じように涙ながらに記憶を語ることはできないし、
野田洋次郎のようにメロディに乗せることもできない。
でも、そこに繋げることは出来る。
事実としての震災と、風化しない感情の中の震災を
知らないことは罪ではないし、知ることが義務でもない。
けれど私たちには、知る権利と伝える権利があるから。
アンテナを張って、今日も模索していたい
能登半島、輪島にいるすべての人が
美味しくご飯を食べられて、心静かに眠れる夜が一日でも早く来ますように。
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