Day5:もののけ姫を見た。
5日目。
昨日、noteの更新できなかったけど、今までは謎に24時回った後に投稿してたから、日付だけで言うと毎日投稿継続中だから良しということで。
今、映画館でジブリ作品をみることができるということなので、地味にまだ見たことのなかった”もののけ姫”を見てきた。
見終わってのヒトコト目。
宮崎駿さん、すげぇ。。。。
上映時間は133分だったが、3時間、いいや4時間分の映画を見たような満足感。内容がぎっしり詰まっていて、色んなことを考えさせられる作品だった。
この作品は、公開したのがちょうど僕が生まれた年で23年前なのだが、絵、音楽、ストーリー、すべてが段違いに良かった。
緑の山々はなんと鮮やかに描写されていて、すべてのシーンに妥協を感じられないほどに美しかった。音楽も同様で、さすが久石譲さんだといった感じ。
そして何よりも、本当にたくさんのメッセージを詰め込んだような密度の濃いストーリー。
自然との共存がテーマであると誰しもが考えると思うが、実際はそれはほんの一部であると感じた。
序盤のアシタカがタタリ神の呪いを受ける件、あの村はエミシの生き残りであり、村の若者はアシタカのみであった。巨大な岩を祭っていたり、占いによって物事を決めていたりと、自然崇拝の文化が垣間見れる。
また、アシタカが村を追放されたことで、あの村はおそらく消滅していってしまうのであろう。
タタラ場においては、エボシという女頭領がおり、彼女は売られた女性や、おそらくハンセン病患者であろう病人たちを受け入れており、非常に人徳の高いひとであった。
しかし、乙事主率いる猪の神たちをせん滅しようとする際には、男衆をおとりとしてつかい、非常にむごたらしい仕打ちをしているのである。
このように、ジェンダーや病気、民族などのさまざまな差別を、映画を見た人にうったえかけてくるのだ。
他にも、人間の欲にまみれた行動が随所に見られる。タタラ場の人たちはエボシに率いられ、鉄を作るために自然を冒していき、さらには、森の神殺しまでにも手を染めていく。
近隣の大名たちは、エボシたちがそうして築いてきたものを自分らの資源とするために侍を派遣し、略奪を企てる。
唐笠の連中を率いていたあのオヤジは、帝の命を受けて、不老不死の力があるといわれるシシ神様の首を奪うために、危険で何が起こるかわからない神殺し自体はエボシを利用し、安全に手に入れようとする。
人間とはなんと醜い生き物なのだろうか。
そんな人間を強く憎む、山犬に育てられた少女サン。彼女は人間に捨てられ、人として生きることを許されず、神のような存在でもない、”もののけ”として生きてきた。あれだけ人間を憎むのも無理はない。自然、シシ神の山を守るために、自分の命さえも顧みずにエボシを殺そうとしていた。
そんなサンだったが、アシタカを殺そうとしたときに、「生きろ。そなたは美しい。」と言われて動揺したり、最後の戦いに向かう朝、眠るアシタカのもとに荷物と一緒に食べ物を二つ置き、ヤックルにも手綱をつけてあげる心配りなど、すごく人間らしい部分もたくさん見られる。
次第にアシタカには心を開いていき、最後のシーンでは、お互いがお互いの場所で生き続けていこうと誓い合う。
人が嫌いなのは変わらないが、生き続けていけば、いつか何かが変わるかもしれないといった希望を見出せたのかもしれない。
「生きろ。」
非常に有名な”もののけ姫”のキャッチコピーである。
人間は確かに醜い生き物だ。色んな間違いを犯すし、自然やその他の動物、この世界にとっては悪でしかないのかもしれない、人間として生きている意味を見出せなくなるときもある。
だけど、どんなときでも生きろ。
森や川などの自然や動物たちと共に生きることは本当に不可能なのか、何か方法はないのか、人間には考えることができる。
また、自分が生きていることでだれか一人くらい幸せにすることはできるのではないか。相手を思いやることが人にはできるだろう。愛を信じろ。
僕はこの映画を見てこんな風に感じた。
もっと書きたいことはいっぱいあるのだけれど、書いてる途中に日付が変わってしまい、冒頭に述べた論が通じなくなってしまったのでこの辺で。
なんだか、まとまりのない文章になってしまった感は否めないが、まだ五日目なので今後の自分に期待しよう。
ではでは。アデュー。