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根っこを知る旅②*2000年前の女性たちが興したピースムーブメント
今回のヤハラヅカサのご奉納の後、
沖縄在住で、今回のご奉納の準備を進めてくださった千春さんのご案内で、
残った仲間と共に、南城市にある「玉城(タマグスク)」を訪れました。
昔から家族が住んでいたこともあり、南城市には何度も
足を運んでいるにもかかわらず、「玉城」は一度も訪れたことがなかった
場所でした。
雨が降る中を傘を差しながら、整えられた階段を登り、面白い形をした「門」の前で千さんのお話を聞きました。
「玉城」は王族が住んだ場所というより、おそらく祈りの場であり、
お墓でもあったと。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76104243/picture_pc_d7f5c9afb561b7eae97179b01cb3c6fd.jpg?width=1200)
門はゴホウラ貝(法螺貝のような形をした貝)を
輪切りにしたような形になっていて、
夏至にはこの門から太陽の光が入り、冬至はその逆で門の内から外に
放たれるように人為的にデザインされているそうだ。
時は弥生の世、本土(ヤマト)では、稲作がもたらされたことで
水を求めて争いが始まり、領土意識も高まり、権力闘争が盛んに
なり始めた時代。
ヤマトの平和な在り方が崩れてきた頃。
琉球では縄文の分かち合いの母型社会が、まだ営まれており、
ヤマトの巫女達は、女性を中心とした世直しを図るために、
沖縄までその暮らし方、生き方、国の統治を学びにきたと。
仏教が伝わるまでおよそ、1000年もの間、そんな行き来があったそうです。
巫女達は漆で塗られた琥珀の赤椀を賜物として捧げ、
代わりにゴホウラ貝を輪切りにした腕輪を受け取り、平和の世を創る
印として持ち帰ったといいます。
ゴホウラ貝はその形から女性の子宮を示していて、神聖さの象徴ともされ
その女性の力をヤマトに持ち帰り、平和の象徴としたとも言えるのかもしれません。
玉城もそれ全体が、そのゴホウラ貝の形を模倣しているらしい。
(このお話は「赤碗の世直し(名護博著)』に詳しく書かれているそうです。この本によれば、沖縄・奄美は原初ヤマトの生みの母胎であったそう。興味津々!)
そんな「玉城」の物語に触れたのは、とても新鮮な衝撃でした。
令和の時代、世の中がおかしくなってきている中で、
今回、私たちも本土から、改めて、琉球に伝わる伝説から学び
平和の世づくり、暮らしづくりをそれぞれの場所に持ち帰ることを
求めてきたのかもしれません。
また、私に取っては、更にヤマトと沖縄とのつながりを再認識する
大切なきっかけとなりました。
ヤハラヅカサで舞い、祈ること。
それは、もう一回、原初的なところに戻ることに対する深いところからの
ニーズだったかもしれません。
コロナ禍が始まり、(その前からも実は始まっていたとも言えるけど)
私たちには目に見えない仕組みに絡みとられ、人間性の根源が
揺るがされるようなことが起きている今、あらゆる角度で感じることです。
もう一度、大地に根っこを下ろし、そして、一人一人がアマ(天)との
つながりを築きながら情報の風に揺るがされない、本来の命を
生きられるということを示していくこと。
それが人として、本当に平和な暮らしを営むことはできないと
思うのでした。
行動の後にやってくる、気づきの波がまだまだ収まりません。
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