今年も田んぼが始まります。コロナ禍で生まれた小さなコミュニティの仲間と共に、再び一万粒の種を蒔きました。
桜が散ると我が家は田んぼの準備が始まります。
ここ数年は、東京の郊外にある我が家のガレージで水田プールを作り、そこで館山の田んぼに植える苗を育てています。ご近所のご理解を得つつ、今年も種蒔きが完了しました。これもコロナ禍のギフト。人は窮地に立つと、できるうる限りのことを工夫して新しい試みをすることができるものです。
自宅ガレージでの苗づくりについては2年前の日記より。
種蒔きをする前には、種籾の選別、温湯消毒、そして、芽出しという過程があるのですが、ここは、私が沖縄で舞っている間に夫が完璧に準備をしてくれて、頭上がらず。感謝の一言です。
コロナ禍のギフトはもう一つあり、それは、ここ3年、田んぼに通い、
集ってくださっている、もはや家族のような3家族のメンバーの皆さん。
8年前に、私たちが田んぼを始めたきっかけは、夫が運営に関わっていた、とある、食と健康を考えるグループで、2011年の震災を目の当たりにして、今後の災害やさまざまな社会状況の中で、少なくとも、自分たちで安全なお米を育てられるようになっていこうではないかというモチベーションのもと、有志のメンバーで縁あって館山の休耕田を耕し、お米を育てる活動に参加したこと。3年ほど続いた後、グループでの運営が困難となり、我が夫が「では、僕たちで」と名乗り出て、以来コロナ禍に入るまでは基本的に夫婦二人が責任を持ち、興味を持って飛び入りしてくれる友人たちとで試行錯誤しながら、無農薬、無肥料のお米作りを続けてきました。最初のグループから時々手伝いに手伝いに来て下さっていた親子さんが「田んぼ」そのものを楽しんでくださり、心身の調子を崩されていた娘さんも、田んぼに癒されて調子がよくなるのを経験し、そのことをお仲間に伝えて下さったことから、この田んぼに通ってくださる方が広がってきました。
そこに集うみなさんはそれぞれに、何か人生の節目を迎えていたり、やはりお子さんが心身のバランスを崩されていたりという方々で、特別な何かをするわけではないのだけれど、田んぼに入る、館山の地元の方々との交流、海にざぶんと入って同じ釜の飯を食らう、ということで、それまで堰き止められていた「何か」が動き出す体験をされたようです。
コロナ禍という「事変」が人々の心を揺るがし、何か、今の生活や生き方を見直す「機運」もやってきたのかもしれません。「田んぼ」に惹きつけられたみなさんが、どんどん「田仕事」をフェスに仕立ててくださり、昨年は田植えも、稲刈りも30人ほどの参加者が集まって楽しい「田んぼフェス」が繰り広げられました。
私が長年、通いながら学んできた「フィンドホーンの奇跡」を体験しているような気持ちで、このプロセスを眺め、楽しんでいます。
一つの「意図」を軸に「試み」を続けていく中で、その「試み」に惹かれ集う人たちが、自分自身と出会い、人と出会い、そして自然界の叡智を受け取りながら共同創造し、育っていくコミュニティ、それが私はフィンドホーンの奇跡と理解しています。言葉にすると仰々しいですが、私が経験しているこの田んぼのプロセスはまさにそういうことなんだと感じています。
最初は、田植えだけ参加されていたのが、草取りや、稲刈りも体験し、そして種蒔きからと、プロセスを遡りながら全体を体験して下さっている過程も自然で心地よいものです。人が一生懸命「計画」することは大切なことだけれども、大きな流れの中で見せられるプロセスをキャッチして体験して行くのは、玉手箱を開けるようなもので、ワクワクしてきます。
ともかくは、この素晴らしき仲間たちと、そしてそこに集ってくださる皆さんと共に、今年も田仕事が始まったことに感謝です。
お天道様と田の神さー(かんさー)様と、そして田んぼのたくさんの生き物や微生物たちとアースキープしながら、尊いお米作りをしてまいります^^
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