「他人と比較してはいけない。ほんのわずかでも、できている部分を見つけ、それに気づかせることが重要だ」
親はきょうだいを比較してはいけない
親は子供に何かを教える際に、周囲の子供やきょうだいを例にとり、比較をしがちです。
それにより、見本を示すと共に、間違いに気づかせ、懲らしめる効果を狙っているのです。
しかし、これがうまくいくことはありません。
比較されることにより、子供は自信を失い傷つきます。
そして劣等感を肥大化させ、間違った方向で劣等感を保障しようと試みます。
多くの場合、それは問題行動となります。
つまり、親が子供を比較することにより、問題行動が無くなるのではなく、むしろ問題行動を増やしてしまうことになるのです。
私はよく姉と比較されていた
「お姉ちゃんはこんなに良い成績なのに、お前はどうして同じように良い成績を採れないんだ?」
私の姉はとても勉強がよくできて、成績がとても良かったのです。
私の成績も決して悪いわけではなく、クラスでは常に上位にいましたが、姉より成績が悪いことで叱られるのです。
親に学業のことで認められたのは、高校受験で第一志望の高校に合格した時くらいしか覚えていません。
学校でも姉と比較された
中学校に入学すると、3年生に姉がいたので、「お前が藤原の弟か」と、私個人という前に、藤原の弟として常に比較されいました。
入学して間もなく英語で筆記体を習い、課題をキレイに書けた数人が廊下に貼りだされました。
私もその1人に選ばれて喜んでいたのですが、それを見た姉をよく知る英語の教師が「お姉さんが1年生の時の方がもっと上手かったぞ」と私に声をかけてきました。
その英語教師は私にはっぱをかけるつもりだったのかもしれませんが、私は英語教師から否定されたことで自信を失い、傷つき劣等感を持つことになりました。
そして、英語が大嫌いになったのでした。
どうやって劣等感を補償したのか
私は、英語をあまり勉強せずに、それ以外の教科を一生懸命勉強するという行動を取ったのでした。
私の問題行動は英語の勉強をしないという事でした。
そのつけは、高校でやってきました。
何とか赤点を採らないようにするのが精一杯でしたね😅
上司と部下でも同じことが起きる
上司と部下の場合も周囲の人と比較するべきではないのです。
もし正しい例を示したいのであれば、本人の中にある、ほんのわずかでもできていることを見つけ、それを気づかせることが大切です。
たとえわずかであったとしても、できていることを示し、それを認め、さらに増やすように要望するのです。
比較をするのなら、過去の部下と現在の部下を比較することです。
相手の「自己ベスト更新」を一緒に喜ぶのです。