「すべての悩みは対人関係の課題である。仙人のような世捨て人さえも、実は他人の目を気にしているのだ」
誰もが人の目を気にして生きている
そのことがよくわかるエピソードを紹介します。
ある村に世俗的な欲望を捨てた仙人のような人がいました。
彼は村に住むことを拒否し、山の中に掘っ立て小屋を造って、たった1人で自給自足の生活を始めました。
村人たちと交流することに意味を感じなかったのです。
ある日、その村が大火事に見舞われました。
村は荒れ果て、人々はその土地を捨てて、他の土地に移住することに決めました。
そして、村全体で移住することに決めました。
すると、驚いたことに、他人のような世捨て人までもが移住して、新しい村を見渡せる新たな山に引っ越したのです。
世捨て人は、人間関係を捨てたわけではありませんでした。
彼は「世俗の欲望を捨てた仙人のように『清らか』で『優れた』人間である」と村人から思われたかった。
そのために世捨て人になったのです。
ですから「観客」がいない場所で生きることに耐えられなかったのです。
自分は周囲の目を気にしているのか?
さて、自分はどうかと振り返ってみました。
結論から言うと周りからどう見られているのか、とても気にしていると思います。
周りから良く見られたいという想いは多分にあると思います。
私が生涯学習・生涯成長に取り組んでいるのは、もちろん自分の成長のためであり、自分が成長することで他者支援できるスキルを向上させるためであることは、間違いないことだと断言できます。
一方で、そんな私に対して、周りの人たちから「頑張って勉強している」と評価してもらいたい、という動機はないのか?
インプット、アウトプットを続けることによって、「自分の存在をアピールしたい」という動機はないのか?
正直に言うと、その動機は大いにあると思っています。
評価されることで自己効力感がアップする
そんな下心を持つことは悪いことなのか?
私は決してそんなことはないと考えています。
自己効力感がアップすることで、行動変容につながるということは、研究により科学的に実証さています。
では、どうすれば自己効力感がアップするのか?
それの1つとして資格を取ることも有効であると言われています。
私も積極的に取り組んでいます。
その他の方法としては、周囲から自分の努力を評価してもらうことも有効だと考えています。
評価を得られることで「また、これからも頑張ろう!」と勇気をもらえると思います。
褒めることは相手を下に見る行為
ただ、注意したいのは頑張っている人に対して「えらいね」と褒める行為は、上から目線で相手を下に見る行為なんです。
これはで勇気くじきになってしまいます。
声をかけるなら「○○さんが頑張っている姿を見ていると、私も勇気をもらってチャレンジする気が湧いてくるんですよ。ありがとう」というように、横から目線で相手に勇気づけすることが大切ですね。
あらゆる人の悩みはすべて対人関係の問題に帰結する
そうは言っても、良好な人間関係を構築するのは簡単ではないですよね。
自分はどのような人間でありたいのか、と考える際には、必ず周囲の目を気にしているということを認識していることが重要ですね。
なりたい自分を周囲に押し付けていては、決して良好な人間関係を築くことはできないことは確かだと思います。